ただの森だ、と自分に言い聞かせ、未咲と二人して木々のあいだに足を踏み入れる。想像以上に前が見通せない。足元には落葉が積み重なっており、踏みしめるごとにバリバリと小さくない音が出た。木は大半はまっすぐ上に伸びているが、ところどころに節くれて曲がった種類のものもあり、それが暗闇からぱっと照らし出される様は、何か奇妙な生き物じみて背中を粟立たせる要素満載だった。
 俺の心臓はどくどくと激しく脈打っていた。雰囲気に飲まれているのもあったが、一番は、身を縮こませるようにした未咲が、俺へ体を密着させているのが原因だった。
 緊張と、恐怖と、少しの喜悦で、もう自分の心境が分からない。
 ちらりとへばりつく未咲を見ると、その顔色はずいぶんと青かった。 

「大丈夫かよ、お前」
「たぶん……大丈夫……」

 大丈夫そうには見えないのだが。
 そう返そうとした矢先、ぴゃっと未咲が飛び上がる。

「ひゃっ」
「な、なんだ?」
「いまなんか、パキッていわなかった? やだぁ……」
「風とか、木の枝でも折れたんじゃねーの……」

 言うが早いか、未咲にきゅ、と手を握られた。
 おい、それはやばいぞ。

「……龍介の手、意外とおっきいね。こうするとちょっと安心するかも……」

 片手が未咲の両手で包まれる。未咲の手はさらりとして、俺より少し冷たかった。こんなときにやめろと言いたい。全力失踪した後くらい早まったこの脈拍が、未咲に伝わってしまうのではないか、と恐れを抱く。
 手を繋いだまま、それからは無言で森の奥を目指した。おそらく4、5分だったのだろうが、体感では1時間も2時間もかかったように思われた。

「あ、祠って、これかな」

 俺も同時にそれに気づいた。俗に鎮守さまというものなのだろうか、俺の背丈より小さい鳥居と、ちんまりとした祠が姿を現した。祠の前に鉛筆がそっと置いてあり、それはお墓に線香を供えるのにも似ている構図だった。未咲が鉛筆を一本掴む。二人とも、どちらからともなくほっと息をついた。

「じゃ、戻るか」
「うん」

 未咲の両の手はまだ俺の手をしっかり握っている。そういえば、未咲と手を繋いだのなんて、中学一年のとき以来じゃないか。ぼんやりとそんな考えを巡らせられるほど、往路よりは心に遊びができ、この状態を噛み締めて心に刻むこともできた。未咲の顔色にも血色の良さが戻ってきている。
 今なら言えるのでは。
 今なら、ずっと隠し事をしてきたと、彼女に伝えられるのでは。
 俺は唇を湿らせ、意を決して、口を開いた。

「あのさ。お前に言ってなかったことがあるんだけど……」
「え?」

 未咲が、予想以上の反応を示す。肩がびくりと跳ね、脚の動きが止まる。それは、予想外の切り出し方をされた、というより、言われるのではないか、と予期していた言葉を不意に投げつけられた、と思えるような反応の仕方だった。
 未咲の過剰なリアクションに内心で首をひねり、また実際に未咲の方へ首をひねったとき。
 俺の思考は突如凍りついた。

 山羊がいた。

 呼吸ができなくなる。木立の暗がりの中、人の大きさの影がぬっと立っている。闇に紛れるような、黒っぽく目立たない服装。そして頭には、リアルな山羊の被り物。
 山羊頭の男。
 何度も繰り返す、誘拐の日の夢。
 ――どうしてここに、あいつがいる。これは現実か。誰か夢だと、そう言ってくれ。
 視界がぎゅうと狭くなる。心臓が破れそうなくらいに、ばくばくと肋骨を叩く。不快な冷や汗がこめかみを伝った。いきなり押し黙った俺を、未咲がどこか切迫した面持ちで見上げている。

「何? 話って――」

 俺はそれに答えられない。凝視する先で、ゆらり、と山羊頭が一歩踏み出したように見えた。
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