* * * *

 二人が店内に消えていくのを見送って、俺はひそかに安堵した。というのも、これで彼らの会話を聞き続けなくて済むからだ。未咲と九条の仲良さげなやりとりを耳に入れているのは、精神的にかなり辛いものがあった。感情への負荷が大きすぎる。
 ふーっと詰めていた息を吐き出す。いくら読唇術が使える輝といえども、姿が見えなければ会話も追えまい。
 と高をくくっていたのだが、輝はこれ見よがしに鞄からイヤホンを取り出すと、いそいそと耳に装着してみせた。

「何してんだよ」
「二人の会話を聴いてるんだよ」
「はあ? どうやって」
「昨日の夜、未咲の家に行ってさ、集音機を渡してきたんだよ。恋愛成就の御守りの中に仕込んでね。しっかり鞄に入れて持ってきてくれたみたい。はっきり聴こえるよ」
「嘘だろ……」

 軽くウィンクまで飛ばす輝とは対照的に、俺は眉間を押さえた。盗聴までお手のものとは。こいつ犯罪者予備軍なんじゃないか。どこまで鬼畜なんだよ。
 しかも、これはイヤホンをシェアして着けろという流れなのではないのか。周りでは普通に人が行き交っているというのに。拷問以外の何物でもない。

「俺は聴かないからな」

 先手を打って拒否すると、意外にも輝はそうだね、と素直に聞き入れた。

「龍介は聴かない方がいいかもねぇ」
「どういう意味だよそれ……」

 輝の口元に意味深な微笑みが浮く。夏の真昼間だというのに、背筋に冷たいものが走った。

* * * *

 店から一歩出ると、熱気に全身を包まれる。それでも、太陽は南を過ぎ、西へ傾きはじめている。色々話をしながら食べていたから、時刻はもう2時に迫っていた。
 パスタは魚介の旨味が濃厚で美味しかったし、会長から一切れ貰ったピザもバジルが新鮮で美味しかった。さすが、会長の見立ては間違いない。
 映画を観るという目的は達したので、今日のデートはこれで終わりだろうか。名残惜しい気持ちとともに、横目で彼を見やる。まだ、会長と一緒にいたい。
 わたしのそんな思いを察したのか、彼は再びわたしの手を取り、きゅっと握ってきた。

「俺、まだ未咲さんといたいんだけど、いいかな」

 言葉は形がないのに、会長のそれは、わたしの心臓をしっかりと掴んでくる。
 火照った顔を悟られないように、爪先を見ながらこくこくと頷き返した。

「はい、あの、わたしも悟さんといたいです……」
「ほんと? 嬉しいな。じゃあ、一緒に服でも見ようか。未咲さんがどんな服好きなのか知りたいし」
「えっ……」

 なんという直球。わたしのストライクゾーン、そのど真ん中のストレート。
 会長はいたずらっ子みたいな目をして、わたしの顔を覗きこんでいた。
 もう、この人は、わたしをどれだけどきどきさせたら気が済むのだろうか。

「駄目かな?」
「ぜ、全然、駄目じゃないです、わたしも悟さんの好きな服知りたいですしっ」
「よし、それじゃ行こうか」

 好きな人に手を引かれて歩く。このシチュエーションで舞い上がらない方がおかしい。自分がかわいい女の子になった気分だった。
 たくさんテナントが入った複合ビルで、会長に服を見繕ってもらう。彼が"これ、似合うんじゃない?"と示す服は、ふわふわした感じの、いつもわたしが選ばない印象のものだった。わたしって、会長からはこういうイメージで見られているんだろうか。ちょっと意外。
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