* * * *

 映画は面白かった。心の底から感動もした。割と涙腺が緩いタイプであるわたしは、途中からえぐえぐと泣きじゃくっていた。あいにく拭うものを持ち合わせていなかったけれど、会長が隣からそっとハンカチを手渡してくれ、事なきを得た。
 映画館から出ると、きゅうう、とわたしのおなかが鳴る。もう、会長といる時くらい自重してよ、わたしのおなか。
 会長が軽やかに笑い、左腕をかざしてそこにある時計を見る。

「ちょうどお昼時だね。何か一緒に食べようか」
「あ、わたし、何も考えてなくて――」
「いや、大丈夫だよ。未咲さんは、ご飯ものかそれ以外だったらどっちがいい?」
「えーと、ご飯もの以外、ですかね」
「それじゃあ、イタリアンはどうかな。この近くにイル・ソーレってお店とか、駅前のビバーチェってお店があるんだけど」
「イタリアン! いいですね」
「俺はビバーチェの方が色々選べるからいいかなと思ってるんだけど、未咲さんおなかぺこぺこ? ちょっと歩ける?」
「歩けます! 鍛えてるんで」

 小さくガッツポーズをしながら首を縦に振る。ちょっとずれた返答になった気がするけど、会長がふふっと微笑んでくれたので結果オーライだ。
 ビバーチェは初めて入るお店だった。こじゃれた雰囲気で、あまり馴染みがない空気が漂っていた。夜になったら、お酒とおつまみ的な料理が出てくるお店なんだろう。カップルが来そう、という感想を抱いたとき、そうだ、わたしたちも正真正銘のカップルなんだ、と思い至って、一人で勝手に赤面した。
 慣れない場にいるせいで、動きがぎこちなくなり、メニューを決めるのにも時間がかかってしまう。普段、龍介を付き合わせてラーメンや丼ものばかり食べているツケだ。それでも会長は、嫌な顔ひとつせず待ってくれた。なんて紳士。なんて心の広さ。
 運ばれてきたスープパスタの器を見て、反射的に少なっ、と声に出してしまいそうになったが、そこは我慢、がまん。何せ憧れの会長の前なのだ。スプーンの上で頑張ってフォークをくるくる回し、一口をいつもの1/3くらいに抑えて口に運ぶ。龍介や輝が相手ならもりもりむしゃむしゃと食べるところだが、どうしてもおしとやかにしないと、という意識がはたらく。
 会長が手慣れた様子でピザを切り分けながら、口を開いた。

「この前未咲さんから貰ったペンケース、毎日使ってるよ。すごく便利で、気に入ってる」

 はたと目の前の整った顔を見る。
 ペンケースというのは、前にわたしが会長にプレゼントした、ファスナーを開けると自立させることができるという一品だ。
 嬉しかった。使っているのみならず、気に入ってくれているなんて。

「本当ですか? 嬉しいです! あれ実は、幼なじみの奴と選んだんですよー」

 あ、しまった。つい、言わなくていい事実まで伝えてしまった。
 会長の手の動きがふ、と止まる。目が少しだけ細められ、笑みが若干減ったように見えた。

「幼なじみって、もしかすると茅ヶ崎くんかな」
「あれ、龍介のこと知って――」
「うん。前、新聞部の取材を受けたから。……未咲さんは、茅ヶ崎くんと仲がいいんだね」

 会長はなぜか、遠いものに向ける目でわたしを見ていた。
 フォークを一旦テーブルに戻し、体の前で掌を左右に振る。

「いやいや! 全然仲良くなんてないですよ。家が近くて、昔からよくつるんでただけですし。会ったら喧嘩ばっかりしてますし」
「そっか……」

 会長は一応頷いて笑みを浮かべるが、それはどこか取り繕った笑顔にも見えた。
 たまに勘違いされるが、わたしと龍介は彼氏彼女の関係なんかじゃ全くない。わたしたちのあいだには、本当に何の特別な感情もないのだ。
 あの日、あいつが関係をこじらせてしまったせいで。
 その日のことを、わたしははっきり覚えている。あれは中学2年の夏祭りの夜だった。
 龍介が人混みの中で気分が悪そうにしていた。わたしは彼を休憩場所に連れ出し、二人して休んでいたところ、急にあいつが"龍介くんって呼ばないで"と言い放って、駆け足で帰ってしまったのだ。何に腹を立てたのだか未だに見当がついていない。わたしはびっくりし、龍介を怒らせてしまったと思い、訳が分からず大泣きしながら家に帰った。お姉ちゃんとお兄ちゃんが、泣きじゃくるわたしを見て目を丸くしていた。
 お姉ちゃんは、"大丈夫、龍くんは優しいから許してくれるよ"と言ってなだめてくれた。
 次の日、そろそろと龍介の家に謝りに行ったら、のっそり出てきた龍介は居心地が悪そうな顔をしていた。"悪いのは俺なんだ、悪かった"と逆に謝られたけれど、一度も目を合わせてくれなかったし、一人称が"僕"から"俺"に急に変わっていて驚いた。
 それからというもの、龍介はわたしに対して突き放すような態度を取るようになった。はじめは困惑するばかりだったわたしも、だんだん彼の理由不明な言動にちょっとした憤りを抱くようになり、そっちがそうならわたしも、と龍介に刺々しく当たるようになって今に至る。魚心あれば水心ありというやつである。違うか。売り言葉に買い言葉というやつである。それも違うか。
 そんなことがあっても、わたしがあいつの近くにいて何やかや世話を焼いているのは、ひとえにわたしのお情けというものだ。わたしってば、なんて優しいの。

「あいつは、わたしがいないと駄目なんです」

 ちょっと胸を反らしながら言うと、会長がいいなあ……と小さく呟く。

「え?」
「いや、独り言だよ」

 誤魔化すように破顔するその表情には、わずかながら寂しさが滲んでいた。
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