* * * *

 終業式の3日前。
 テストが終わった安堵感と、むしむしとした暑さが相まって、夏休みまでのロスタイムみたいなだらけた雰囲気が、校舎に漂っている。わたしは幼なじみの輝と隣り合って、大会議室のテーブルに就いていた。
 黒板には"文化祭のテーマについて"という大きな文字。
 文化祭実行委員の顔合わせ、兼テーマ決めの場だ。
 わたしのクラスの委員長はわたし、副委員長は輝。演説台に立つ生徒会長が、よく通る明るい発声で、てきぱきと会議を進めている。今日も会長は爽やかでかっこいい。もう一人の陰気な幼なじみ、茅ヶ崎龍介とは全然違う。会長には、この人に着いていけば何も心配要らない、そう皆に思わせてしまう力がある。
 ぼんやりと会長の挙動を眺めているうち、あれよあれよとテーマが決まり、会議はお開きになった。テーマは聞き逃したけど、輝がちゃんと書きとめてくれてるだろうから、心配はない。
 上の空のまま、一度も使わなかった筆記用具をケースにしまう。他の実行委員たちは足早に会議室を出ていく。そのうちの一人、女子生徒がわたしの横を通りすぎる際、鞄の底面がちょうど会議資料の束の面(おもて)を掠めていった。視界にちらとピンクのパスケースが映る。
 あ、と思う間もなく、鞄に擦られた資料が重力に従って落下した。
 紙がばらばらになり床にぶちまけられる。最悪、と思いながら床にうずくまり、ほとんど見てもいなかった資料を拾い集める。上級生たちは見て見ぬふりをして横を通りすぎていった。何よ、と声に出さずに毒づく。何なの! ちょっとくらい拾ってくれたっていいじゃない。

「篠村さん、大丈夫?」

 誠実そうな声とともに、資料が一枚差し出された。手の先を追って見ると、他でもない生徒会長だ。"夏のせい"では済まないほど、わたしの頬がかあっと熱くなる。

「会長! ありがとうございます、すみません」
「いやいいよ、これで最後かな?」

 他に誰もいなくなった会議室の床を、二人してきょろきょろ見回す。もう無いね、と会長が呟く。
 あれ? もしかしなくてもこの状況、二人っきりじゃない? 気づいてどきり、と心臓が一瞬止まる。まあもちろん会長はわたしなんか相手にしないだろうけど、でももしかしてもしかしてすると――。

「篠村さん」
「はいっ!」
「部活、頑張ってね。それじゃ」

 非の打ちどころのない爽やかな笑みを浮かべ、会長は部屋を出ていった。わたしの口からもう一度漏れた"はい"は、ロボットのような機械的な応答になった。
 そりゃそうだよ、と自分を励ます。会長に名前を覚えられ、時々声をかけてもらえるだけで、わたしという存在には充分すぎるのだ。落ち込んでなんかいない。そう、期待してなんかいない。
 彼と初めて話した時のこと、よく覚えてる。
 初回の生徒会の集会だった。
 会長が全校生徒の前で話すのを何度も見ていたから、それまでに彼に対する漠然とした憧れは持っていた。かっこいいな、と思っていた。けれどそれは、女子生徒なら一度は抱くぼんやりとした感情であって、願わくばお近づきになりたいとはこれっぽっちも考えていなかった。テレビの向こうのアイドルと、付き合いたいなんて思わないのと一緒だ。
 生徒会の顔合わせが終わったあと、篠村さん、ちょっといいかな、と名指しで呼び止められ、わたしは驚いた。近くで見る会長は、はっとするほど背が高く、颯爽とした雰囲気と整った顔立ちが相まっており、つまりかなり魅力的だった。

「えっと、なんですか?」
「呼び止めてごめんね、大した用じゃないんだけど」

 ばつが悪そうに笑う。ああそういえば、あの時もこの会議室に二人きりだったっけ。
 
「君のその、服装のことなんだけどね」
「服装?」
「うん。生徒会で集まるときだけでいいから、校則どおりの着方をしてもらえないかな」

 それはとても柔らかい口調だった。
 わたしは自分の格好を眺める。シャツの第一ボタンとブレザーのボタンが開いていて、スカートは膝上15センチ。おまけに指定外のニーハイソックス。ははあ、とそこで初めて気づいた。打合せ中、上級生がわたしを見てひそひそ耳打ちし合っていた原因はこれだな、と。
 わたしがすいません、気をつけます、と言うと、会長は困った顔をして微笑み、

「まあ俺は実を言うと、服装なんてどうでもいいと思ってる人間なんだけどね。生徒会長の立場上、そんなこと大っぴらには言えないけど。――あ、この話、他の人には内緒にしてね」

 そして、人差し指を立てて唇に当て、しーっという仕種をした。その時、会長の後ろの方から、なんともいえず清涼な風が吹き抜けてきたように感じた。一陣の風は、わたしの心を揺らして吹き去っていった。
 つまり、わたしはそれにやられたのだ。

「それじゃ、これからよろしくね」

 胸の高鳴りに動揺したわたしは、こくりと頷くことしかできなかった。
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