夕刻、一人で下校していると、道端に猫がうっそりと佇んでいるのを発見した。毛並みのよい、黒猫だ。曇天の下、薄闇が迫るなかでも、毛づやが輪のように光るのがはっきり分かる。
 こちらをじっと見ている目は、青と金色のオッドアイだった。白猫のオッドアイは何度か見かけたことがあるが、黒猫は珍しい。目が合ってしまったのでゆっくりまばたきをすると、黒猫は警戒する様子もなく、こちらにぽてぽてと近づいてきた。そのまま俺の膝に体を擦り寄せる。

「人懐っこいやつだな、お前」

 見ると、赤い首輪をしている。飼い猫のようだ。
 腰を落として、喉や頬や耳の後ろを掻くように撫でてやると、うっとりと目を細め、喉を鳴らし始めた。かわいいやつ。

「猫はいいよな。やんなきゃいけないこともねーし、やっちゃいけねえこともねーし、悩み事なんてないもんな」

 誰にともなく呟く。猫に向かってというより、自分自身に向けて。
 黒猫はそんなことない、とでも言うように、色違いの瞳を見開いてニァアアァ、と鳴く。

「そっかそっか、猫も忙しいか。悪いこと言ったな」

 こうして猫を撫でていると、荒(すさ)んで毛羽だった心の表面が、少しずつ滑らかになっていく。ちくちくと心臓を刺しつづける、長さも太さも異なる針が一本ずつぽろぽろと抜け落ちていく。現実逃避といわれればそれまでだが、この効能は決して人間には作れないのだ。
 一頻りもふもふしてやると、黒猫は撫でられるのに飽きてきたようだった。その気配を察知し、俺は満足して立ち上がる。
 別れの挨拶だと言わんばかりに、猫はすねに何度も頭突きをかましてきた。俺は含み笑いをこらえる。かわいいやつ撤回だ。とても、かわいいやつ。

「じゃあな。車には気をつけろよ」

 ちらりと振り返ると、そういった意思は無いに違いないのだろうが、色の違う双眸が、見送るようにじっと俺に向けられていた。


 前日の下校と同じく、翌日の登校も一人だった。
 自分のクラスの下駄箱の前に男子生徒がいて、俺にちらりと視線をくれる。
 ほとんどのクラスメイトは、俺の姿を見かけるとそそくさと先へ行ってしまう。彼もそうするのだろうなと思った。別にそのことで傷つきはしない。目つきも言葉遣いも悪い、授業を抜け出たりサボったりする生徒となんか、誰だって関わりたくないだろう。俺だって嫌だ。
 そんなだから、その男子に、おはようと声をかけられて驚いた。予定外の事態に、おはようと返すのがワンテンポ遅れる。朝から調子が狂う。
 事態はそれで終わらなかった。
 そいつは俺が上履きを履くのをなぜか待っており、一緒に教室まで歩く流れになった。背格好は俺と同じくらいだが、やたらと姿勢がいいので、相手の方が一回り大きく見える。何が起こっているんだと混乱する。
 相手の顔をまともに見て、昨日の数学の時間、最後まで教壇の上に残っていた生徒だと気づいた。

「茅ヶ崎ってさ、猫好きなん?」

 意外な展開に口ごもっていると、相手が自然体な様子で尋ねてくる。脳裏にオッドアイの黒猫の姿が浮かぶ。

「もしかして、昨日の?」
「見ちゃまずいとこだったかな」
「別に、そういうわけじゃねえけど……」

 悪事をはたらいていたわけでもないので見られてもまずくはないが、かなり気まずくはある。猫相手に笑ってたり、話しかけたりしていたのを見られたということか。だいぶ恥ずかしい。

「……そっちも、猫好きなのか? ええと――」
「あー俺の名前、分かんないよな。太田だよ。猫は好きだけど、近づくと逃げられるんだよな」

 気を害する素ぶりも見せず、そう太田は教えてくれる。
 高校に入学してほぼ丸3カ月経つが、未咲や輝以外のクラスメイトとまともに会話したのは、これが初めてだった。太田の口ぶりは穏やかで地に足が着いている感じで、旧知の人間に話しかけているのかと思うほど無理がなかった。
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