自室の扉を開け、電気を点ける。なかなかいいとこ住んでるじゃねえか、とヴェルナーが呑気な感想を述べた。
 たかが20分程度言葉を交わしていただけなのに、桐原の気疲れは相当なものだった。これからヴェルナーからさらに影の話を聞かされる、と思うと気が滅入る。
 ヴェルナーをダイニングの椅子に座らせ、自身もその前に座る。

「話を聞かせてもらおうか」
「ああ、その前に。お前に紹介したい奴がいるんだ」

 ヴェルナーが不遜な笑みを浮かべる。おい、もういいぞ、とダイニングから続くキッチンの扉へ呼びかけた。
 誰に言っているんだ、と言いかけたところで、閉ざされていた扉がすうっと開いた。桐原は肝を冷やして、扉を凝視する。

「待ちくたびれましたよ、ヴェルナーさん」

 悠然とした微笑みと共に姿を現したのは、金髪碧眼の青年だった。
 桐原は唖然としてその青年を見つめる。同時に不思議な既視感に襲われた。
 年の頃は二十歳前後だろうか。金細工のように繊細な髪と、優美な顔の造りを兼ね備えている。垂れ気味の目は髪と同じ色の長い睫毛に縁取られ、虹彩は覗き見た海がそのまま焼き付いたような深い青だ。美青年という形容がこれほどはまる人間も珍しいと思えた。
 しかし桐原の視線を捕らえたのは容姿ではなく、青年が着ている服だった。紺色の、見覚えのある軍用服。影と罪の闘争が著しかった8年前まで、影の執行部隊員に支給されていた戦闘服だ。
 ヴェルナーがふふんと鼻で笑う。

「人の気配に気づかなかったのか? 平和ボケしてんじゃねーの?」
「……平和ボケの、何が悪いんだ」
「ま、いいけどね。こいつは俺の部下であり弟子でもある、ハンス・ヨハネス・リヒターだ」
「初めまして桐原さん、ハンスといいます。ヴェルナーさんからよくお話は聞いていました。それからこの子は」

 とハンスが足元に視線を落とす。釣られて見ると、ハンスに寄り添うように、毛並みの整った金目の黒猫が佇んでいた。

「僕の大切なパートナーのノイです。どうぞお見知りおきを」

 ニァア、と猫が鳴く。ハンスの口元が優雅な曲線を描いた。
 思わずこめかみを押さえる。頭痛がしてきそうだった。

「ちょっと待ってくれ。色々と聞きたいことがあるんだが……」
「勝手に家にお邪魔したことは謝ります。何も盗っていませんし、壊してもいないので、ここはひとつ見逃して下さいませんか」
「いや、それはまあ良いとして……。君のその格好は何なんだ」
「これですか?」

 ハンスが指先で焦げ茶色のシャツの襟を持ち上げる。
 それはな、とヴェルナーの声が割って入った。

「こいつは支援部の所属でな。いつも偵察役をやってて、今みたいに大概の扉でも金庫でも開けられるんだが、武器を扱う技量がねーんだ。だから執行部員に憧れてて、外見だけでも勇ましくいこうってわけさ」

 ヴェルナーが親指でくいとハンスを指すと、青年の双眸が昏(くら)く光った。恨めしさの宿った視線がヴェルナーに注がれる。
 ヴェルナーは執行部所属で、ハンスは支援部所属――おかしな話だった。
 影のメンバーは、3つの部署――執行部、諜報部、支援部――のいずれかに所属する。敵対組織である"罪"と直接事を構える執行部、スパイ活動を担う諜報部、物資や情報を扱う支援部、役割はそれぞれにある。 
 影ではメンバーの各々が、弟子を取ることが推奨されている。それは、執行部員なら戦闘の技術を、諜報部員なら諜報の技術を、全て弟子に教え込むためだ。だから、師匠と弟子は普通同じ部署に所属する。この二人のような例は聞いたことがない。
 ヴェルナーの得物は拳銃のはずだが、ハンスはその技術を全く教えられていないということなのか。

「そんな話があっていいのか」
「もちろん僕は納得していませんよ。さっき部下ってヴェルナーさんは言いましたけど、部署が違うから今のままじゃ名ばかり上司ですしね。どうしてこんな不能な人の下で働かなきゃいけないのか、意味が分からないです」
「おい待て、俺は不能じゃねえぞ。それを言うなら無能だろ」

 ハンスの重たい眼差しをかわすように、ヴェルナーがあっけらかんと笑う。

「無能は否定しないのかね……」
「聞いたでしょう桐原さん。僕はこの無能な人をやっつけて、地位をぶん取ってやるのが目標なんです。これからよろしくお願いします」
「…………」
「ま、こういう奴なんだ」

 ヴェルナーは手慣れた風である。ハンスは終始柔らかだが本心が読めない笑みを浮かべていた。師匠も師匠なら、弟子も弟子でかなりの曲者だ。桐原の疲労感はさらに募る。
 早く話を聞こう。そしてさっさと帰ってもらおう。明日も仕事なのだし。

「それで、本題だが」
「あーその前にだね、錦くん」
「今度は何だ」
「腹減ったから何か作ってよ。お前料理は得意だったろ?」
「……」
「なんだよ。睨むなって」
「あのな……人に物を頼むには、それ相応の態度というものがあるんじゃないかね」

 ヴェルナーがはっと何かに気付いたような顔をする。

「オゥ……ニシキサーン、俺タチオナカペコペーコナンデース、何カツクッテクダサーイ」
「どうして急に片言になるんだ……」

 全身の力が抜ける。もういい分かった、とぞんざいに呟いて、キッチンへ向かった。
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