「どうしてですか」
「ん?」

 先生の片眉が上がる。

「どうしてそこまでしてくれるんですか? 俺は授業も聞かないような生徒だし、先生だって俺のことまだ何も知らないのに……」

 龍介はこれまで、他人をほとんど信用してこなかった。心を開いたのは幼馴染みの2人だけと言っていい。自分も相手に関わらないし、相手も自分に関わらない。そういうスタンスだった。なのに、いま先生がこちらにすっと踏み込んでくることが、自分でも不思議なことに全く嫌ではなく、むしろ心地よかった。
 先生は眉根を寄せて呆れたような表情を浮かべ、短く息を吐いた。

「いいかね茅ヶ崎。普通、教師はな、生徒のために何でもしたいと思っているものだ」

 龍介はぽかんとして、先生の顔を見つめた。今まで、そんな関わり方をしてくれる先生はいなかった。

 ――それとも、自分の方が関わるのを避けていただけだったのだろうか?

 龍介は、なんとなく、この人を信頼しても良いような気がした。
 自分のことを、話しても良いんじゃないかと感じた。
 言ってみようか。言ってみよう。

「あの、信じてもらえないかもしれないんですが」

 龍介は意を決した。

「ん? 何だね」

 先生の黒縁眼鏡の奥の目が少しだけ丸くなる。

「俺……なんというか、数字に色が着いて見えるんです。円周率とかも、すごくきれいな色に見えるんです。そういうきれいな数字を見たくて、数学を勉強してきたんです」

 数字に色が見えることを話してきた人の顔が甦る。困ったように曖昧な微笑みを返してきた人もいれば、異物に遭遇したと言わんばかりに顔をしかめる人もいた。ふーん、そうなんだ、とすんなり受けとめてくれたのは未咲と輝だけだった。
 どんな反応が返ってくるか。龍介は両膝の上で拳を握りしめた。

「なるほどな」

 嘆息するような言葉に、はっと顔をあげる。
 先生は合点がいったとばかりに何度か小さく頷いた。

「円周率にきれいな色が着いて見えるのか。羨ましいものだ」
「……信じるんですか?」
「? 信じるも何もないだろう。嘘なのかね」
「いえ……」

 桐原先生はそこで、ほんの少しだけ愉快そうに微笑んだ。5日間で初めて見た先生の笑顔だった。
 それは冷徹なイメージが覆るくらいの、優しい笑顔だった。

「音に色を感じるとか、そういうのを共感覚というんだ。君のも多分それだろう。素晴らしいじゃないか」
「そう……ですかね」
「違いない」

 先生は机の上の紙をとんとんと揃えて、

「では、来週からプリントを準備してくる形で良いな? 話というのはこれで以上だが、君から何か聞きたいことはあるかね?」
「いえ……あ」
「ん?」
「あの……また話しに来てもいいですか」

 今度は先生が声をあげて笑った。

「勿論だ。私でよければ」



 教室へ戻ると、未咲がにやにやしながら待ち受けていた。机に座ったまま、人を小馬鹿にしたように下から顔を覗いてくる。

「で〜? 龍介は何説教されたわけ? わたしが説教食らってあんたが何も言われないわけが……あれ?」

 未咲の表情がにやけ顔から真顔、怪訝な顔へみるみる変わってゆく。

「なんかあんた……清々しい顔してない? なになに? 何があったわけ? ちょっと、話しなさいよ」
「話さねーよ」
「はあ? 何それ? 龍介のくせに何言ってんのよ」
「話さないって言ってんだろ」

 いきりたつ未咲に、思いっきり笑顔を向けてやった。未咲は相当混乱するだろう。いい気味だ。
 高校生活、少し楽しくなるかもな、と龍介はほのかに思った。

――予感
 
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