「失礼しまーす。水城ちゃん、英語教えて!」

 その声に、私より先に桐原先生が反応する。

「こら、篠村。ちゃんと敬語を遣いなさい。私相手には構わんが、他の先生には失礼だろう」

 未咲さんは先生に向かってべーっと舌を出した。どうやら二人の仲は険悪なようだ。二人とも好いている私には胸が痛む光景である。
 職員室の外の廊下には、質問に来た生徒と教師が座れるように、長机と椅子が設置してある。そこに座るや否や、未咲さんがぷりぷりして言う。

「ほんとあいつ、やな奴! 水城ちゃんと私は仲良しだから、生徒と先生とか関係ないし!」
「未咲さんは、桐原先生のこと嫌いなの?」
「大っ嫌い! すごい感じ悪いじゃん! 水城ちゃんもそう思うでしょ?」
「うーん……私は、桐原先生のこと」

 好きだけどな、と反射的に言いかけて慌てて口をつぐむ。代わりに、尊敬してるけどな、と続ける。

「尊敬ー? あんな性悪眼鏡を? あいつと席が隣なんて、水城ちゃんがかわいそう」

 いやいや、私は嬉しいんです、と苦笑しながら心の内で返事をする。それにしても、性悪眼鏡って。ちょっと面白いなと思ったのは秘密にしておこう。
 未咲さんがぺらぺらと参考書をめくって、ここが分からないの、と言った。ふむふむ。説明の手順を頭の中で組み立てる。

「これはね、この問題を例にするとね……この動詞を受動態にして……」
「じゅどうたい?」
「えーと、受身形のことよ」
「受け身? じゅどう……柔道?」

 未咲さんは無邪気な顔で首をひねっている。
 これはどうやら、気合いを入れて取り組む必要がありそうだ。私はよし、と気持ちを引き締めた。



 時間も忘れて教えていると、別の長机に誰かが座る気配があった。未咲さんの背側、私の向いている側の机である。反射的にちらりと見ると、桐原先生だ。と、茅ヶ崎くん。
 桐原先生が私に背を向ける形で椅子に座る。未咲さんが問題を解いているあいだに、そちらを少し見やると、先生と茅ヶ崎くんが穏やかに談笑していた。わ、笑ってる。あの茅ヶ崎くんが。
 茅ヶ崎くんが数学を得意としていることは、今年の一年生の担当教員なら誰でも知っている。彼は、数学の入試問題を完璧に解答して入学してきたのだ。数学のセンスを持つ者同士、ウマが合うのかもしれない。
 いいな、桐原先生と二人きりなんて。茅ヶ崎くんが羨ましい。
 不純なことを考えていると、できた!と未咲さんが元気な声を発した。どれどれ、と問題が並ぶページをチェックする。文法というよりもスペルミスが若干散見されるが、全体的には及第点だろう。

「うん、文法は大丈夫みたいね」
「やった! ありがとう水城ちゃん、水城ちゃんのおかげだよー」

 未咲さんは私にぎゅっとハグをすると、じゃあね、と元気に言い、風のようにさあっと去っていった。折って短くしたスカートが走るのに合わせてはためいていた。生徒の"分からない"が"分かる"に変わる瞬間を見届けるのは、いつだって良いものである。

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