教室から続くベランダに出る。少し肌寒い秋風も、ぷしゅうというコーラの開封音も、喉を流れ落ちていく炭酸の感触も、みんな心地よかった。
 他に誰もいないベランダの足元には枯れ葉が散らばり、秋の深まりを感じる。仁志田と二人、教室の窓枠に寄りかかった。ベランダは同じ階を繋いでいるから、違うクラスの仁志田とも昼休みぎりぎりまで話せて都合がいい。

「コーラって久しぶりに飲んだけど、美味いな」
「だろ? 俺のチョイスはいつでも正解なんだよ」

 仁志田は調子のいいことを言って笑っている。さてどう口火を切ったものか、と思案していると、

「で、話って何よ。別れた相手のこと?」

 向こうがいきなり核心を突くものだから、返答に詰まった。
 未咲さんと俺が上手くいっていなかったことは直接は伝えていないが、仁志田くらいいつも側にいれば嫌でも気づくだろう。しかし話がしたいと言っただけでそれを察してくるとは。当の仁志田は俺の反応などどこ吹く風で、どこか遠いところを見ながらサイダーをぐびりと一口呷る。

「ま、俺は最初から思ってたけどな。あの子とお前じゃ釣り合わないって」

 彼の口から放たれた言葉が、俺の胃の底をかっと熱くさせた。逆に、頭はすうっと冷めていくのを感じた。仁志田は未咲さんと一度会ったことがあるとはいえ、顔を合わせたあのショッピングモールの数分間で何が分かるというのか。
 ジン、と傍らの友を呼ぶ声は、自分でも驚くほど低かった。

「未咲さんの――篠村(しのむら)さんを悪く言うなら、お前でも許さない」

 冷たくいい放つと、仁志田がこちらを向いた。きょとん、という描写がぴったりな顔をして。そして一瞬ののちに腰を折り曲げて笑い出す。

「……なんだよ」
「ばあか、ちっげーよ、逆だよ。お前じゃあの子に釣り合わないってんだよ、自惚(うぬぼ)れんな」

 含み笑いを漏らしながら、仁志田は俺の上腕あたりを拳でどしっと叩いてきた。彼の言い分に拍子抜けして、肩から力が抜ける。

「なんだ、そっちか。それなら分かるよ。俺に未咲さんみたいな良い子は勿体ない」
「そうだなあ、お前みたいな奴には勿体ないなあ。どうせお前のことだから、別れた女の子で抜いたりしてんだろ」

 何気なく紡ぎ出された仁志田の言葉に、二言を失う。
 昨晩の苦々しい虚無感が胸に甦る。そうだ、俺は下着すら見たことのない相手の妄想が止められないような、そんなろくでもない男なのだ。
 図星を突かれ、絶句した俺を見て、仁志田が今度は体を仰け反らせて笑い声を上げた。

「え、マジなの? やべーな。クッソ変態じゃん、お前。ま、分かってたけど」

 彼の笑い方があまりに愉快そうなので、自分としてもさほど嫌な気分はしなかった。俺が変態なのは否定できない事実であるし。
 俺にこういう話題を振ってくるのは仁志田だけだ。自分の趣味嗜好がアブノーマル寄りだと自覚していなかった時代に、「お前それは変態だよ」と暴かれてから、彼の中で九条悟は変態で通っている。仁志田に言わせれば、俺は惨めな気持ちになるのを好むミゼラブルラバーらしい。言い得て妙だと思う。
 爬虫類めいた細い目元から、流し目がこちらを捉える。

「女子が知ったらどんだけ萎えるだろうな。文武両道、才色兼備の生徒会長さまがそんな男だったなんてさ」
「自分が一番よく分かってる。なあジン、俺さ……ずっとこのまま一人なのかなあ」

 気持ちよく晴れた秋空を見上げ、心の内を吐露する。それは偽らざる自分の本心だった。霞みたいな薄い秋の雲のように、声は弱々しく響いた。

「それが話したかったこと?」

 問うてくる仁志田に、頷きで答える。
 俺は、本音も弱音も、こいつの前でしか曝け出すことができない。自分の汚い部分を直視してもなお、友人として付き合ってくれる相手は仁志田しかいない。
 仁志田はへらへら笑いながら、ばあか、とちゃんと言ってほしかった言葉で叱咤してくれる。

「今からそんな深刻に考えてどうすんだよ。まだ俺たち、高校生だぞ? もっとライトに考えようぜ。遊びでいいじゃん、遊びで。相手がそれで良けりゃあな」
「……まあ、分からないでもないよ」

 仁志田がサイダーの缶を持ったまま、うーんと天に向かって伸びをする。

「頭ん中がエロいことでいっぱいなのに変なところで真面目だからなー、お前は」
「そういう言い方されるとけっこう傷つくんだけど」
「事実だろ。お前のその爽やかさとかさあ、もはや短所だよな、逆に。むしろエロさ全開で売り出してった方が上手くいくんじゃん?」
「できねえよ」

 好き勝手言い募る仁志田に苦笑しつつ、今度は俺の方から拳をお見舞いするふりをする。
 仁志田は暴力生徒会長はんたーい、などと軽口を叩いて身をよじった。

「とにかく、一回ぱーっと遊んでみることだな。深く考えずに、自分のやりたいようにしてさ。合コンやろうぜ、人数集めてやるからお前も来いよ」
「無理だよ、それは。……とりあえず、会長であるあいだは」

 強引な提案に笑うしかない。でも、そんな仁志田に救われているのも事実だ。ウザがられるに決まっているから、口には出さない。
 仁志田の案に乗ってみるのも一興かとも感じたが、今は生徒会長という立場が許さない。生徒会長は言わば学校の代表だから、変な噂を立てられれば校名を傷つけることにもなりかねない。文化祭を終えると生徒会選挙が始まり、次の会長へとバトンを渡せば晴れて任期満了となる。
 じゃあさ、と言いながら仁志田が肩に手を回してくる。

「それが終わったら女の子と遊ぼうぜ。俺が責任を持って後腐れのない子を紹介してやるから」
「……頼むよ」
「ようし、もっとお前の変態ぶり、前面に出してこうぜ」
「はは……まあ、それはちょっと自重するよ……」

 話があらかたまとまったところで、計ったようなタイミングで外から九条くーん!、と甲高い呼び声が飛び込んできた。
 下方を見ると、同学年の女子が三人、校舎の前庭付近から二階のこちらを見上げて手を振っている。手を振り返すと、きゃーという悲鳴めいた黄色い声が上がり、彼女らが見ている九条悟という像がここには存在しないことが申し訳なくなる。肩を回したままの仁志田がふんと鼻を鳴らした。

「女子うっせえぞー」
「うっさい仁志田!」
「九条くんを独り占めするな!」
「離れろ! 今すぐ!」

 先ほどは甲高い声を出していた彼女らが、口々に迫力のある声音と口調で仁志田に命令する。そんな光景が俺は羨ましくなる。どうして俺は仁志田じゃないのだろうと思ってしまう。
 彼はなかなかの天邪鬼(あまのじゃく)なので、文句を言われたのとは逆にもっと俺の肩を抱き寄せた。恋人にするそれと同じように。
 女子たちから一斉に悲鳴が上がる。

「おうおう、羨ましかろう」
「やめろー! 九条くんを汚すなー!」
「仁志田ー! 覚えてろよ!」
「ははは……」

 苦笑しているあいだに、彼女らはベランダの下側へと吸い込まれるように消えていった。
 そこでチャイムが鳴り始める。じゃ、行くわと腕を解いた仁志田を、なあジン、と呼び止める。

「お前がいて良かったよ」

 去りしなの大きい背に言うと、振り返った彼は盛大に顔をしかめていた。

「は? んだそれ。気持ち悪い通り越して怖ぇわ」
「ごめん、でも本当に感謝してるから」
「はあ……重いんだよなあ、お前は。俺以外にも本音言える相手早く見つけろよ」

 言葉は拒絶みたいだったが、口調は冗談めかしているのが俺には分かる。

「ああ。頑張るよ」
「頑張る頑張るって、お前は頑張りすぎなんだよ。頑張るのやめて建前捨てて、それを受け入れてくれる人を探せっつってんだよ、ばあか」

 優しい捨て台詞を残し、仁志田は去っていく。


 放課後、文化祭実行委員の仕事を終えると、時刻は十八時半近くになっていた。駅へ歩いているとさすがに空腹を感じ、手近なコンビニに寄ると、菓子パンコーナーに見知った横顔を見つける。
 鋭い目付きで棚を見回しパンを見定めている男子生徒。茅ヶ崎龍介だ。
 茅ヶ崎くん、と呼びかけると、男子にしてはかなり薄い肩がぴくりと震える。こちらを振り向くと、むっつりした顔の中で目が見開かれる。彼はぺこりと軽く会釈した。

「あ……どうも」
「今帰り?」
「まあ……そんなとこです」

 仁志田と未咲さんのことを話した日に、偶然未咲さんの幼なじみの茅ヶ崎くんに会うなんて。
 乗りかかった舟だ。目を少し細めて、少し窺(うかが)うように切り出した。

「あのさ。ちょっとこれから、時間あるかな?」
「え……はい」

 目に戸惑いを浮かべつつも、茅ヶ崎くんは頷いてくれた。
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