用事は済みました、と申告したら、シャーロットさんはまたにこりとほほえんでくれた。
 シャーロットさんがまず病室を辞し、ヴェルナーさんはじゃあまた来るぜと手をひらひらさせながら背中を見せる。私もまた来ますね、とベッドに近づいて声をかけると、出し抜けに桐原先生の大きな掌が私の腕を取り、指先を包み込んだ。
 突然のことに硬直していると、どこまでも真摯な眼差しをした彼に見上げられる。

「すみません」
「え……?」
「何も力になれなくて歯痒いです。本当なら私があなたの傍に着いていられたらいいんですが――」
「そんな……」

 熱のこもった視線にどぎまぎしてしまう。好きな人に"傍に着いていられたら"なんて言われて、この私が平常心でいられるわけがない。
 オーバーヒート寸前の頭で、なんとか常識ある返答を探す。

「どうか謝らないで下さい。私はほんとに、先生が無事に過ごしてるだけで嬉しいと思ってます! なので何も気にしないで下さい。今はまず体を治すのを第一に考えましょう!」
「……そうですね。ありがとうございます」
「いえ、そんな」
「水城先生。あなたがいてくれて良かった」
「……っ」

 好きな人が表情を緩めてそんなことを言うものだから、私の胸はいっぱいになってしまう。


 はち切れそうになった感情をこらえて病室を後にすると、廊下の角の先からヴェルナーさんとシャーロットさんが英語で話しているのが聞こえてきた。二人とも抑制的な声音だ。

「いつも君に頼ってばかりでごめんね」
「依頼を受けてから謝られるのは好きじゃないわ。大体、可愛い女の子が相手だって言われたら断れないでしょ。急いで他の仕事を片付けてきたわよ」
「そこは相変わらずだね。……君も俺に頼ってくれていいのに。もっと甘えてくれていいんだよ。俺は君のものなんだから」
「……そういうのは、もっと頼り甲斐を身に付けてから言うものじゃない?」
「はは。なかなか手厳しいね」

 なんだかただごとではない気配を感じ、思わず足が止まる。会話の内容だけ聞くと、シャーロットさんがヴェルナーさんの好意を突っぱねている構図だ。なのに、痛みを抱え我慢しているような苦しい響きが、お互いの声色に感じられるのは気のせいだろうか。

「ロッティちゃん、俺の気持ちはずっと変わってないよ」
「そう言われても、私にはどうすることもできないのよ。分かるでしょう」
「うん。それでも、言いたいんだ。君を本当に好きな人間が、一人はいるって分かっててほしいから」
「あ、あのう……」

 充満するオトナな空気にいたたまれなくなって、角からそっと頭を覗かせる。二人は驚くでもなく、ふいとこちらを振り向いた。今しがたの非礼を正直に口にする。

「すみません、ちょっと会話が聞こえちゃって……」
「いいのよ。聞かれて困ることは話してないから」
「うん。気にしないで」

 二人とも、人が変わったように柔和にほほえむのが、逆に私の胸をざわつかせた。
 シャーロットさんの荷物が積まれたままの、彼女が病院まで乗ってきた車の助手席に乗り込む。ヴェルナーさんはここまで私を送った車で、桐原先生の家へ向かうと言っていた。彼が桐原先生の家に間借りして生活していると聞いたときは心底羨ま――驚いてしまった。
 どんな人が来るのかけっこう不安だったけれど、言葉を交わしてみるとシャーロットさんは優しくて話しやすい人だった。日本語も殆ど訛りがなくてとても綺麗だ。
 ヴェルナーさんの仲間と共に生活することになるという話をされていたから、自分の家の片付けは済ませていた。シャーロットさんを着いた部屋に案内し、とりあえず座ってもらう。

「ええと、何かお飲み物でも飲まれますか」
「お気遣いなく。私は客ではないし、むしろあなたが依頼主なのよ。私に命令するくらいのつもりでいて大丈夫。これからできればいつもあなたの傍にいたいのだけど、問題はない?」
「はい。部屋はちょっと狭いかもしれないですけど」
「私はどこでも寝られるように訓練を受けているから平気よ。たとえ床でもね」
「いえいえ、そんな……」

 冗談っぽくウインクするシャーロットさんに、思わず笑みが漏れる。たぶん、彼女は緊張気味の私をリラックスさせようとしてくれているのだろう。飛行機に乗ってきて疲れているはずなのに、すごい人だ。
 私はちょっと喉が渇いたので、もし良ければ一緒にお茶でも飲みませんか、と誘うと、シャーロットさんは快諾してくれた。
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