窓の外を眺めやっていた桐原先生は、私たちが入っていくのへ振り返り、わずかに顔をしかめた。

「ヴェル、彼女にあまり近寄るな。不愉快だ」
「おっいいねえ、お前が独占欲を露にしていく感じ。新鮮だね」
「茶化すな」

 先生が鼻を鳴らす。
 ベッドのそばの丸椅子に腰を下ろしながら、私はひそかに感動していた。だって嫉妬しているのだ。あの生真面目でストイックな性格の桐原先生が。しかも、この私を対象に。
 大丈夫ですよ、桐原先生。私はとっくにあなた一人のものですよ(はぁと)。
 とはさすがに言えない。絶対引かれるからやめろ、と自分の冷静な部分が脳の片隅で囁いている。空気を変えようとしてか、桐原先生がおほん、と咳払いをした。

「そういえば、さっき電話で誰と話していたんだ?」
「ああ、まさにこれからその話をしようと思ってたんだよ」

 立ったままのヴェルナーさんが、よくぞ訊いてくれましたとばかり、気取った仕草でぱちんと指を弾く。

「彼女には相談してたんだが、水城ちゃんに護衛をつけた方がいいって話をしててね。俺たちと向こうさんに多少なりとも関わった水城ちゃんは、この先身の安全が保証されてるとは言えないだろ。だから、うちらのエージェントをつけて、身辺を警護する」

 彼の声を聞き、無意識に背筋が伸びる。そう、護衛。桐原先生の意識が戻るまでのあいだに、ヴェルナーさんから提案を受けていたのだ。ボディーガードを打診されるなんて、自分の一生に起こるとは夢にも思っていなかった。
 あの夜のことを思い出す。山羊の被り物をした人たちに押さえつけられ、ナイフで衣服を裂かれ、体を触られたこと。身震いが起こるけれど、それらよりも強く焼きついているのが、私を信じて下さい、と呼びかける桐原先生のまっすぐな眼差しと、私を抱える力強い腕の感触だった。
 降って湧いた話題に、先生の片眉が持ち上がる。

「ちょっと待ってくれ。彼女の安全を確保することには賛成だ。が……貴様は我々や相手の組織のことを、彼女にどれくらい説明しているんだ」

 問いただされたヴェルナーさんは、小さく息を吐きながら肩を竦めて答える。

「俺たち、味方。山羊頭の奴ら、敵」

 言葉はそれで切れ、病室には数秒の間が生まれた。あっさりした返答に桐原先生は唖然とし、それだけか、と問い返す。
 二人の鋭い視線が、火花すら見えそうなほどに絡み、交錯する。

「あのなあ。これ以上説明したら取り返しのつかない形で巻き込むことになるぜ、坊っちゃんと違って水城ちゃんは当事者じゃないからな。それはお前だって本意じゃないだろ」
「それはそうだが……」

 私は黙って繰り広げられる会話を聞いていた。下唇を噛む桐原先生が、その時だけはどこか遠く思えた。坊っちゃんというのが誰を指すのか、私は知らない。興味を持ってはいけないことなのだ、と自らに言い聞かせる。
 と、こちらを一瞬だけ見やった先生と、まともに視線がかち合う。案ずるような色がそこにはあった。

「彼女は女性だ。四六時中そばにいるのに相応しい相手など、組織にいるのか」

 ああ、と胸の奥がじんと痺れる。私を心配してくれているのだ。
 ヴェルナーさんはにんまりと笑う。その時の先生とヴェルナーさんは(例えが良いか分からないけれど)、糾弾された犯人と名探偵のように見えたから、少し可笑しくなる。証拠はあるのか、と反論され、待ってましたとばかりに口上を述べる名探偵、ドラマなんかでよく見るあの構図だ。

「心配御無用。まさにその相手から、飛行機から降りてここに車で向かってるって連絡をさっき受けたんだ。んで、何を隠そうその人ってのが――」

 滔々と流れる勿体ぶった口調。そこに、三回の硬質なノックの音が割り込んだ。
 ヴェルナーさんはひゅうっと口笛を吹く。

「ちょうどご到着のようだ。……どうぞ!」

 それは私が言うことだろう、と勝手に入室の許可を出された先生がぼやく。
 私は急いで椅子から降りて、扉が見えるところまで移動する。わずかに体が緊張していた。襲われた日の、ヴェルナーさんの揺るぎない冷徹な目を思い出す。彼は大量の出血を見てもまったく動じないばかりか、手当てや事後処理にも慣れた人であり、これから入って来る人はそのお仲間なのだ。
 するすると扉が開かれる。自分が生唾を飲むこむ音がする。失礼します、と凛とした訛りのない日本語が聞こえる。
 現れた人を見て、はっと息を飲んだ。
 155cmの自分より明らかに10cm以上背が高い、目映い金髪を左肩の上でひとつにくくったパンツスーツ姿の女性が、颯爽と病室に入ってくる。目鼻立ちのくっきりした妙齢の欧米人で、金髪と驚くほど青い目、白い肌がダークグレーの三つ揃いによく映えている。可愛いより美しい、美しいより格好いいという形容詞が断然似合う。胸元のクロスタイが凛々しさに拍車をかけていた。
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