病室のベッドに身を移しつつ、パイプ椅子に座したヴェルナーに問う。
「それで? 話とはそれだけではないだろう?」
「ああ、まあな。もう影への報告は終わってるんだろうが、お前の口から直接事件の話を聞きたくてな。どうして今さら"英雄"が狙われることになったか、相手の目的に思い当たる節はねえのか?」
今度は影絡みの真面目な話だ。私は首を振る。
「……ああ。何もないし、さっぱり見当もつかない。こっちが訊きたいくらいだ。相手は生け捕りにしろと言われていたようだが」
「生け捕り、ねえ。つうことは今後もまた刺客が現れる可能性も捨てきれないってこったな。英雄の正体が向こうさんに割れたかは分からんが。一応、英雄が入院した病院の場所については、誤報をそこらにばらまいてある。しばらく様子見するしかねえかな」
ヴェルナーはくだけた口調ながら、私=英雄の構図を言及するのを避けていた。
良くないな、と私は呟く。
「これでは対応が後手に回りそうだ」
「ま、お上からの御信託を待つしかあるめぇよ。しかし、向こうさんに睨まれてるのが坊っちゃんだけじゃないとなるとてんてこ舞いだぜ、こりゃあ」
「私は自分のことは自分で守る」
「怪我が治ってから言えよ、そういうのは。……でもお前も自分の命は大事にしろよ」
破天荒な同僚がふと真面目な顔つきになる。
「なんだ、いきなり」
「お前の命と引き換えに救えるものなんざ、高が知れてるだろ。だったら、泥水啜ってでも生きて、その先の人生で人を救えよ。まずは自分の命あっての人助けだ。何より自分が第一だぜ」
「……男相手にずいぶん親身なことを言うんだな」
「はっ、女の子の命はそりゃ重いけどよォ、女の子に想われてる男の命も同じくらい重いんだぜ」
ヴェルナーは決め台詞を口にした俳優のように気障な表情になり、
「……どうしてそれを真面目な顔で言えるんだ?」
「えっ今の感動するところなんだけど」
私の反応に唇を尖らせる。
* * * * 病院の休憩スペースにはテレビが備えられていたものの、そこには私以外誰もおらず、液晶は黒い画面を映したまま沈黙していた。
静かだ。ソファへ腰かけ、窓の外に視線をやって物思いに耽る。思考を占めているのは先ほどの桐原先生とのやり取りと、口元に残る彼の唇の感触だ。我ながら、思いきったことをしたものだと思う。勝手に体が動いていたのだが、思い返しても頬が熱くなる。でも、それで桐原先生に想いを受け入れてもらえたのだから、結果オーライと言うべきだろうか。
そう、私の好意は受け入れられたのだ。具体的に交際するとかそういう話は出ていないけれど、あのような返事をもらえたのだから、両想いになったと見て差し支えないだろう。
一目惚れしてずっと好きだった人と、両想い。
それを強く意識すると、私の脳に妄想という名のエンジンがかかり、桐原先生との展望を思い描き始める。二人とも成人した社会人なのだから、これから仲が深まったら様々な触れ合いへと発展するだろう。手を繋いだり、抱き合ったり、さっきみたいにキスをしたり、それから、桐原先生のあの少し骨張った長い指が、私の――。
「水城ちゃん?」
「ひえっ」
横から急に声をかけられて、座ったままでほんの少し飛び上がる。振り仰ぐと、眉尻を下げたヴェルナーさんがそこに立っていた。
「ごめんごめん、驚かせたかな。一人で待たせて悪かったね、病室に戻ろうか」
「は、はい」
彼のスマートな対応に促されて立ち上がる。ヴェルナーさんはきっと女性にモテるのだろうな、とひそかに思う。当初は外見の印象でどんなぶっ飛んだ人なんだろうと思っていたけれど。
歩きだすと、ヴェルナーさんがありがとね、と静かに呟いた。
「え?」
「錦のこと。二人で何を話してたかは分からないけど、あいつの雰囲気が柔らかくなってたから。色々、励ましたりしてくれたんだろうなって。だから、ありがとう」
「いえ、そんな……大したことは」
「あいつを変えられるのはきっと、君だけだよ」
数歩先を行くヴェルナーさんがちらりとこちらを振り返る。彼は親が子でも見るような目付きで、口元にほほえみを浮かべていた。
「あいつ、危なっかしいからさ。自己犠牲型っていうのかな、全部自分一人で背負い込もうとして、結局自滅するタイプ。だから、隣で見ててあげて。あいつが無理しすぎないように」
不意にヴェルナーさんが立ち止まり、赤い瞳が真っ直ぐ私を見た。
「ね、水城ちゃん」
「……はい」
深く顎を引くと、小さな頷きが返る。
ああそれと、とヴェルナーさんが付け足す。
「こういうこと俺が言ってたって知ったら、あいつ怒るから。内緒にしておいて」
「はい、内緒です」
彼が唇に人差し指を当てるのを真似して、こっそり笑い合う。
男同士の友情ってなんだかいいなあ、と羨望とも憧憬ともつかぬ感慨を抱きつつ、再び歩き出したヴェルナーさんの後に続き、桐原先生の病室へと舞い戻る。
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