「すみません。だから私は、特定の誰かの大切な人にはなれないんです」
「……悲しいですね」

 私が語り終えると、水城先生はそう言って双眸を潤ませた。その言葉の前に、頭(こうべ)を垂れる。 心が抉られる思いで、申し訳ない、と絞り出す。
 その自分の謝罪は、違うんです、と穏やかに遮られた。

「……違う?」
「ええ、あの……悲しいというのは私が悲しいんじゃなく、桐原先生の考え方が、ってことで……。先生が私のことを好きになれないなら、別にそれでもいいんです。私はあなたが好きだけど、無理に好きになってもらおうとは思いません。でも、最初からすべての好意を拒絶してしまうなんて、悲しいなって、思って……」
「……」
「私は、桐原先生に幸せになってほしいです。あなたの隣にいるのが私じゃなくてもいい。だから、好意に応えられないなんて、悲しいことを言わないで……」

 水城先生の目の縁に、いつしか涙が溜まっていた。ふるふると震えていた水の雫は、一度堰を切ると次々と筋になって溢れた。彼女はそれを拭おうともせず、ほんのり笑んだままで、私のことを見つめている。
 どうすればいいのか分からなかった。そもそも好きだと言われ、応えられないと返した時点で、彼女を悲しませている。それなのに、水城先生は私の幸せを願ってくれている。自分はこんなに、どうしようもない男なのに。

「私が――幸せになる権利なんて――」
「ありますよ」

 泣き笑いの表情のまま、水城先生は断言する。

「幸せになっちゃいけない人なんて、いないですよ。桐原先生みたいないい人なら、なおさらです」
「そんな、ことは……」
「それに」

 膝の上で握っていた拳が、温かい温度で包まれる。手を握られたのだと、一拍遅れて気づいた。

「先生は他の人を悲しませたくないって仰いましたけど、悲しむのってそんなに悪いことじゃないと思いますよ」
「え……?」
「だって先生は今、その昔の恋人だった方に会わなければよかった、なんて思っていないはずですから」

 瞠目して彼女を見つめる。
 その通りだった。私はルネを守れなかったことを悔やみこそすれど、出会ったことを後悔してはいない。かつてルネを愛したことを、過ちだとは思わない。
 見通しの利かない霧がずっと立ち込めていた胸の中に、晴れ間が覗き、温かな陽が射し込んでくるように思えた。

「確かに……あなたの言う通りです……」
「きっと、そうだと思いました。これは個人的な考えなんですけど、人っていつかいなくなってしまうからこそ、他人を大切にできるんだと思うんです」
「……」
「違いますかね?」
「いいえ……私も、そう思います」

 彼女の涙はもう止まっていた。代わりに、朗らかな笑みがそこにはある。
 自分の中で固く冷たく、凝(こご)っていたものが氷解していくようだった。頑なな気持ちが解け、柔らかくなっていく。不思議だった。どうしてこの人はこんなにも暖かいのだろう。
 
「私はあのとき……死のうと思っていました」

 ほろりと本音が口を突いて、自分で驚く。剥き出しの己の想い。それを曝すことを、怖いとは思わなかった。きっと、彼女の前だからだ。
 水城先生は黙して耳を傾けている。

「自分が死ぬことで彼らの目的が果たせなくなるなら死んでも構わない、そう考えていたんです。でも、あなたが私のために泣いているのを見て、考えが変わりました。私がいなくなることで、泣く人がいる。それが驚きだったんです。だから、全力で抗おうと思いました」
「……」
「それから、意識が戻る前――あなたの夢を見ました。あなたが私の名前を呼んでいた。それがなかったら、私は向こう側に行っていたと思います。あなたのおかげで、こちらに戻ってこられた……」

 話しながら、苦笑してしまう。他人を愛すまいと、自分の心をぎちぎちに縛り付けているつもりでいたのに。こうして言葉にしてみたら、丸分かりじゃないか。自分はずっと前から、水城先生に惹かれていたことが。
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