静まり返った病院の待合室に、"手術中"の無機質な赤い光が灯る。
 金髪の青年――ハンスさんが運転する車は、こぢんまりとした病院に横付けされた。連絡を受けていたのか、すぐにストレッチャーを携えた看護師さんたちがわらわらと出てきて、桐原先生を搬送していく。
 病院の外観を見て、なんだか心配になった。そこが小規模な開業医だったからだ。もっと大きく、設備が整った病院に行かなくて大丈夫なのだろうか。
 私以外の二人は車外に出て、ふうっと息を吐く。

「やれやれ。元影の隊医がやってる病院が近くにあって良かったぜ」
「ほんとですね。間に合っているといいんですが」

 暢気にも思える発言に、かっと頭に血が昇るのが分かった。
 気づいたときには我知らず彼らの前に躍り出て、大声で喚き散らしていた。

「あの! こんな病院でいいんですか? ここ、個人の開業医じゃないですか。救急車も呼ばない、警察も呼ばない、そんなのおかしいですよ! これでもし先生が助からなかったら……助からなかったら、私、の――」
「お嬢さん。泣くにはまだ早いぜ」

 溢れ出てくる言葉をそのままぶつける私を、赤毛の男性が優しい声でなだめる。
 自分の頬に、いつの間にか、熱いものがつううと伝っていた。感情が昂りすぎて、抑えることなんてできはしなかった。どうして先生がこんな目に。助けて。助けて。
 助けてよ。

「冷えてきたし、とりあえず中に入ろうか」

 男性がそっと肩を抱き、病院のロビーへ促すのに、力なく従う他になかった。
 そして今、私は手術室の前にある長椅子に腰かけている。
 入院着を貸してもらって、その上から先生のスーツを羽織っていた。その袖部分を、ぎゅっと両手で握りしめる。私の肩を強く抱き締める、先生の手の感触がまだ体に残っていた。
 お願い。お願いします。助けて。助けて下さい。
 どうしても悪い想像ばかりが膨らむ。もしも、手遅れだったら。先生がもしも、助からなかったら。あの手術中のランプが消えて、駄目でした、医者たちがそう肩を落として、頭を振りながら出てきたら――。
 黒々とした想像に呑まれそうになっていると、ふと、視界に紅茶の缶がフェードインしてきた。

「どうぞ」

 見上げると、にこやかに笑う赤髪の男性だった。
 ぎこちなくそれを受け取る。温かかった。それで、自分の手がどれだけ冷えていたのかを知った。
 男性が私の隣にその長身を沈ませる。

「紅茶は嫌いじゃなかった?」
「……はい、好きです」
「そういえば、あいつがコーヒーをブラックで飲めないの知ってる?」
「え、いいえ。そうなんですか」
「そうそう。意外と可愛いげがあるよな、あいつ」

 穏やかに男性が笑う。
 その声はゆったりとしていて、焦燥感など微塵もなく、大河の流れのように落ち着いていた。気持ちが温かく包み込まれ、荒立った心の表面が少しなだらかになるのを感じた。混乱を極めている私の感情を、揉みほぐしてくれているのだろう。素直に、ありがたかった。
 少しの静寂を置き、

「君のせいじゃないよ」

 唐突に、そう彼が言った。
 心でも読んだかのようなタイミングに、まじまじと彼の顔を見てしまう。

「君が負い目に感じる必要なんてないんだ。むしろ、あいつは自分が君を巻き込んだと思ってるはずだよ。大丈夫、あいつはこれしきでくたばるようなタマじゃないさ」
「……」
「もしこれで死んだりしたら、俺があの世まで、あいつをぶっ殺しに行ってやるよ」

 その声はからっとしていて、湿度の低い南国の風のように、朗らかだった。
 彼につられて、涙目になりながらもふふっと笑ってしまう。

「ありがとうございます。おかげでちょっと、前向きになれました。あの……」
「ああ、言ってなかったね。俺はヴェルナー。ヴェルナー・シェーンヴォルフ」
「ありがとうございます、ヴェルナーさん」
「……君に話があるんだけどさ」

 ヴェルナーさんが膝をこちらに向け、先ほどとはうって変わって真面目な調子で、そう切り出した。自然、私の背中も伸びる。
 彼は決定的な言葉を口にした。

「君は、錦のことが好きなんだよね」

 そう、歩くような速度で。
- 12/14 -

back


(C)Spur Spiegel


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -