ローくんとせっかく再会できたのに、また、会えなくなってしまった。まあ、自分が悪いのだけれど。
ご飯に行ったあの日から、ローくんからの連絡をずっと無視している。電話もメールも、応えるのが恐いの。今は何も、触れられたくない。
ついでに予定を蹴った日からドフィさんからの連絡もなくて、すっかりまっとうな大学生活を送っているんだけども。


『はぁ…』


何に対してかわからない大きな溜め息を吐く。
すると同じタイミングでインターホンが鳴った。


『はーい』


ドアのレンズを覗くと、見えるのは昼下がりの穏やかな陽に照らされる廊下だけで、人影はない。
不思議に思いながらもドアを開ける。死角から現れたのは、ローくんだった。


『っ、』

「閉めんな」

『あっ』


反射的にドアを閉めようとするも、あっと言う間に滑り込まれて、私は玄関に尻餅をついた。
ローくんはそんな私を見下ろすと靴を脱いで、私の腕を引っ掴んで部屋の奥のベッドに押し付けるよう座らせた。
自分はベッドの向かいのデスク用のイスに腰をかける。


「どう言うつもりだ。電話もメールも無視しやがって」


イライラを隠さないその声色に、肩が震える。


『ご、ごめんなさい…』

「……悪かったよ」

『え…?』


ローくんは真っ直ぐに私のことを見つめて、もう一度小さく、悪かったと口にした。


「おまえを泣かせる気はなかった」

『ローくん…ううん、悪いのは私だよ…連絡無視して、ごめんなさい…』


ローくんが謝ることなんて、本当は何もないのに。
あの日ローくんが言った言葉は私を確かに傷付けたけれど、でもきっと、ローくんは私を助けるために言ってくれたの、わかっているの。


『遊びだって言えたら…全部、忘れることができたら…そう、思わないことは、ないの…』

「名前…」

『でも、無理…遊びなんて言えないし、忘れられもしない…私、バカなんだ…カシコクなれない…』


咽び泣く私の背を、いつの間にか隣に座っていたローくんが撫でてくれる。変わらない温かな手がひどく懐かしい。
私がやっと泣き止むと、ローくんは私の目元を見て大丈夫そうだな、と呟いた。何が、と問いかける前に、仕度しろと押される背。


『仕度って、何の? 出かけるの?』

「部屋を整理したら足りねえもんが出てきた。買い物に付き合え」


そう言って着替えるところが見えないように台所のイスに座ったローくん。
私を元気づけようとしてくれているのは、火を見るより明らかで。


『ありがとう、ローくん』


ひと言呟いて、私は出かける仕度をした。



ローくんの言う足りないものとやらはほとんどが医学書で、目当てのものは最初に立ち寄った大きな書店ですべてそろったようだった。


『結構買ったね』

「あァ」

『まだ勉強しなきゃならないんだ?』

「まあ、知識は広いに越したことねえからな」

『ローくんはえらいねえ…』


感心してそう言えば、ローくんは少し顔を背けてしかめっ面をした。昔から、そうやって照れ隠しするのは今も同じらしい。可愛い私のお兄ちゃん。


『あ、おいしそうなパフェ』

「…好きだな、そーゆーの」

『うん、大好き』

「…入るか」


広い通りにある人気のスウィーツカフェに入って、私はパフェを、ローくんはコーヒーを頼む。周りの席はカップルばかりで、何となく引け目を感じてしまった。
もしもここへあの人ときたら、何も知らない人たちは、私と彼をカップルだと思うのだろうか。仲睦まじく愛を語り合う朗らかなカップルだと、思うのだろうか。


「…余計なこと考えんのはやめろ」

『いたっ』


不意にローくんにおでこを小突かれて、我に返る。目の前にはもうおいしそうなパフェが運ばれてきていた。


「食いたかったんだろ、それ。食うことに集中してろ」

『ん…ごめんね。ありがとう』

「気にするな」


パフェをごちそうになって、また大通りをぶらつく。
きっと普段なら立ち寄るはずもないファンシーな雑貨屋さんや、女の子向けのアクセサリーショップにもどんどん入ってくれるローくん。
本当に優しい人。


『ローくん、本当に、ありがとうね』

「何だ、急に」

『急じゃないよ。ずっとありがとうって思ってた。ありがとう』

「っ、何度も言うな。一回言われりゃわかる」


照れ隠しのしかめっ面に、頬が緩む。本当に、自慢のお兄ちゃんだよ、ローくん。


『あ、ねえ、何かお礼がしたいな。何か、してほしいこととか、ほしいものとか、ない?』


日も傾いてきた頃、私の住むマンションへ戻りがてら、私はローくんにたずねた。私にできることなんて限られているけれど、何か返さずにはいられないと思った。
ローくんは一瞬目を丸くして、そのあと少し考えて、口を開く。


「手料理が食いたい」

『てりょーり? ローくん自炊してるでしょ? 毎日手料理食べてるんじゃ…』

「自分で作ったのじゃ味気ねえだろ。それに最近忙しくてコンビニ飯ばっかだしな」

『そう、なの…』

「ああ。よし、スーパー寄って帰るぞ。肉じゃがが食いたい。今日作れ」

『あっ、待ってよっ』


決めるや否やスーパーに向かってさくさく歩いていくローくん。
忙しかったのに、あんなにメールや電話をくれたんだね。それなのに無視したりして本当にごめんね。ありがとう。
きっととびきりおいしい肉じゃがを作ってみせるから。

スーパーで肉じゃがの材料を買って、マンションの玄関近くまで来たとき、ローくんのポケットから電子音が聞こえた。


『何の音?』


ジーパンのポケットから小さな機械を取り出したローくんはチッと舌打ちをして私のほうを見やった。


「悪い、呼び出しだ。メシはまた今度頼む」

『うん、大丈夫、いつでも作るから』

「悪ィ。悪いついでに、本、預けといていいか」

『もちろんいいよ』


ローくんは荷物を部屋までは運ぶと言ったけれど、ローくんの医学書と夕飯の材料以外買ったものはないし、エレベーターを使えば問題ないから大丈夫と私がすべて持って、彼を送り出した。


「行ってくる」

『気にしないで、気を付けて行ってらっしゃい』


あの人には言ったことのない行ってらっしゃいの言葉が、やけに胸に沁みた。



部屋に帰って食材を片付けていると、テーブルに置いた携帯が鳴った。メールの着信音。相手はドフィさんだった。

“夜、迎えに行く”

久しぶりの連絡に胸が高鳴る。けれど、ふとこの前の光景が頭を過ぎって肩を落とした。
連絡をもらって嬉しいのは本心。ドフィさんに会いたいのも本心。だけど、今は。


『…会えないや…』


そうだ、会えない。
今会ったらきっと、あの女の人のことを思い出してしまう。思い出して、それで、泣いてしまう。あの人は誰なのって訊ねてしまう。面倒な女になってしまう。
一線を越えれば、待つのは二度と会ってもらえない現実。


『……仕方ないの…仕方ない…』


“ごめんなさい、予定があるので、また今度で”

二度目の断りのメール。送信を押す指先が少し震えた。
送信完了の文字を見届けて、私は片付けの続きをする。野菜をしまい終えると、再び携帯が鳴った。今度は電話の着信音。発信者は…ドフィさん。


『……』


出なければと思うのに、携帯を手に取ることすらできない。
出たら、何を話されるんだろうか。何の予定だと訊かれるのかな。それとももう連絡しないと言われるのかな。
悩んでいるうちにコール音は鳴り止んで。


『…ごめんなさい…』


携帯をサイレントモードに切り替えて、画面が見えないように伏せてしまった。

ドフィさん。
あなたが私だけのあなたになってくれるわけがないのは初めからわかっていたよ。
それでもいいと思ったし、もしかしたらとも思ったし、あなたを忘れられるくらいの人と出会ってあなたを過去にできる日が来るかも知れないとも思ったよ。
だけど全部無理みたいだ。


『…すき、だ』


リスクを忘れて好きになりすぎてしまった。私のばかやろう。



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