title by 愛執

朝練を終えて教室に入ると苗字がもう席に着いていた。その顔は心なしか楽しげに見える。
同じクラスだから一緒に来ていたジローも苗字に気付いたのか、眠そうだった目を輝かせて、ちょうど落としたペンを拾おうと立ち上がった苗字に文字通り飛びついた。


「名前ちゃんっ」

『わっ、あ、芥川くん…? おはよう、元気だねえ』

「元気いっぱいだC! おはよー名前ちゃん!」


…見間違いでなければ、今一瞬、苗字の顔が歪んだ気がする。
まあ朝っぱらからあの高いテンションで飛びつかれたんじゃ、顔をしかめるなと言うほうが無理な話か。


「おいジロー、苗字は病み上がりなんだぜ、あんま騒ぐなよ」

「あっ、そっか、そうだったね」


ごめんごめんと謝って腕を離すジローを、苗字は苦笑して許していた。
さっきのは反射的に顔が引きつっちまっただけだったんだな。そう納得した俺が、苗字が顔を歪めた本当の理由に気付くことはなかった。


「もう具合はいいのかよ」

『え?』


ジローが自分の席に着いてうとうとし始めた頃、俺は隣に座る苗字をほうを見ずにたずねた。
苗字は先週の木曜に、うちの部活を見てる途中ぶっ倒れた。跡部がすぐ保健室に連れてったし、まあ大事ないだろうと思っていたけど、翌日の金曜、苗字は学校を休んだ。土日を挟んだからか、何だか顔を合わせるのは妙に久々な気がしていた。


『別に、大したことなかったの。でも妙に心配されちゃって…金曜は念のため休みなさいねって言われて』

「そうか、大変だったな? まあ、大丈夫ならいいけどよ。他の奴らも気にしてたから」

『そうだったの? …ありがとう。心配かけちゃってごめんね。もう、大丈夫』


ちらりと彼女を見やると、控えめな笑顔が目に入って柄にもなく可愛いなと思った。
目が合うと、顔に熱が集まるのがわかって、適当な返事をしながら正面に向き直る。激ダサだぜ、俺。



午前の授業が終わって、昼休みになった。
いつからか昼飯は屋上で食べるのが習慣になってしまっていたので、俺はいそいそと弁当と水筒を準備した。最初はわりとやかましい教室で食べるよりいいかと思ってひとり屋上で食ってたんだが、長太郎が増え、向日が増え、忍足が増え…たまに滝とか、起きてたらジローも一緒に飯を食う。跡部や樺地や日吉は、めったに来ねえけど、一緒になるときもあるくらいだ。


「宍戸さん!」

「お、長太郎、早いな」


こんな風に長太郎が迎えに来るのももうすっかり慣れたものだ。
長太郎は俺の席まで来ると、隣で鞄を整理している苗字の顔を覗き込んだ。突然のことに驚いた苗字がびくりと肩を揺らす。動物っぽい反応。


「こんにちは、苗字さん。体の具合はどうですか?」

『え、あ、ああ、もう大丈夫です。気にしてくれてありがとう鳳くん』

「いいえ。元気になってよかったです」


うちの部の連中は、跡部の知り合いってこともあって、ほとんどが苗字のことを心配していた。あの日吉でさえ、難しい顔をして大丈夫なんですかね、と呟いていたくらいだ。


「長太郎、そろそろ行こうぜ」

「あ、はい。それじゃあ苗字さん、また」

『うん、じゃあね』


苗字と別れて、俺たちは屋上へ向かった。


「なんや遅かったなあ自分ら」

「もう食ってるぜー」


デカい校舎なだけあって広い屋上の一角に、見慣れたふたり組が座っていた。
輪になるように腰を下ろして、俺と長太郎も弁当の包みを開く。


「なあ、苗字、今日は来てた?」


好物らしい唐揚げを頬張りながら、向日が俺のほうを向いてたずねた。
忍足も興味がある様子で、伊達眼鏡越しの視線をこちらに寄越す。


「ああ、来てたぜ」

「もう具合もいいそうでしたよ。ね、宍戸さん」

「ああ」

「そっか、そりゃよかった」


それきり苗字のことは話題にはならなかったが、俺はしみじみ、苗字が部員に懐かれていることを実感した。あいつは部員でも何でもないけど、何となく頭の隅に残るような、不思議な奴。やっぱり跡部の知り合いだってのが、大きいんだろうか。

昼休みが終わる少し前まで他愛もない話をして、俺たちはそれぞれの教室に戻った。



6限目が終わったあと、やけに急いで帰る準備をする苗字に声をかけた。今日も彼女は練習を見に来るつもりだろうから、コートまで一緒に行かないかと誘うつもりだった。


「なあ苗字」

『ん、なあに、宍戸くん?』

「あ、いや…」


不意に苗字の鞄のなかに服が入っているのが見えた。制服の替えとかじゃないところからすると、このあとそれに着替えて、どこかへ行く予定でもあるんじゃないかと想像できた。


「今日は練習、見に来ねえのか」


言ってから、まるで来てほしいみたいな言い方になったのを後悔した。本日2回目の、激ダサだぜ、俺。
苗字は一瞬動きを止めてから、困ったように眉を寄せて頷いた。


『もう迷惑かけないって、跡部くんに約束したんだ。だからその、もう行かない、かな』

「そっか…別にめーわくだとか思ってねえと思うけど…ま、気が向いたら来いよ。跡部には俺から言ってやるからよ」

『うん、ありがとう』


ホームルームが終わるとすぐに教室を飛び出して行った苗字の後ろ姿は、今朝見たのと同じように、どこか楽しそうだった。

もう行かない、か。
苗字が来ないと言うことを残念がる自分を振り払うように、相変わらず惰眠を貪るジローを叩き起こした。



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