「キスされたあ!?」
『ちょっ、と、声! 抑えて!』
「ああ、ごめんごめん」
昼からの授業を取っていない日、私はナミちゃんに誘われて大学近くのカフェに来ていた。そこでこの前風邪を引いて寝込んだときのことを話した結果が、冒頭である。
「しっかし寝込んだ乙女を襲うとは卑劣極まりない奴ね。慰謝料ふんだくってやんなさいよ。駅前に腕のいい弁護士がいるらしいわよ」
『い、いや、いいよそんなの。相談すんのも恥ずかしい…』
「だめよ、そうやって泣き寝入りさせんのが魂胆なんだから! まあ弁護士なんて頼らなくていいわ、このナミ様ががっつりがっぽりふんだくって…! あ、報酬は慰謝料の8割ね」
『ええっ、報酬高すぎでしょ!? って言うか、ほんといいの、慰謝料云々は!』
目が円マークにぎらつくナミちゃんを何とか落ち着かせて、私はカフェオレをひと口飲んだ。ミホークおじさまが淹れてくれるやつのほうが美味しいな、なんてぼんやり思った。
「あいつ絶対金持ちなのに、もったいない。まあいいわ。で?」
『うん?』
「うん、じゃないわよ。仕返ししたいってわけじゃないなら、何であたしにわざわざ話したの? 何かあるんでしょ?」
ナミちゃんがオレンジムースのタルトにフォークを入れながらたずねる。私はうーんと唸って、またカフェオレをすすってから口を開いた。
『何かって言うか、何であんなことしたのかなって、気になってさ』
「そんなの、あんたのことモノにするためでしょ? ほんと、よく最後までヤられずに済んだわよね。あいつ見た目に反して不能なのかしら…」
『こ、こらナミちゃん、そんな身も蓋もない言い方しないの!』
まったく、可愛い顔して言うことはえげつないんだからこの子は…。
まあ、私もそれは…いや、不能云々は別として、その、あいつが私を好きだと言う考えは持たなかったわけではない。だけどいつも本気には思えないから、拒否してきたのだ。あいつの言動は、いつも、理解に苦しむ。
『横恋慕とか、略奪愛とか…ほんと、昼ドラ見たあとにきたのかな…』
「あいつがそう言ってたの?」
『そう』
タルトの最後のひと口を頬張って、ナミちゃんは口の端についたクリームを舐め取った。たったそれだけのことなのに、自信なくしちゃうくらい色っぽくて可愛い。
「あいつ、あんたに誰か好きな人がいるって勘違いしてるんじゃないの」
『私に?』
「そ。ほら、例えば今一緒に住んでる…誰だっけ? あ、ミホークおじさま? とか」
『お、おじさまっ?』
「あんたいつも一緒にいるじゃない。噂してる連中もいるのよ」
『そうなの…』
言われてみれば、買い物も一緒に行くことが多いし、仕事のついでに大学まで送ってもらうことも迎えに来てもらうこともあるし、そう言う噂とか勘違いがあってもおかしくはない気もする。
そりゃおじさまは格好いいし素敵だけれど、所詮は憧れと言うかそう言う類の感情で、恋心なんてものは微塵もないわけで。
『何か、もう難しくてめんどくさい…』
「あんたねえ…ま、仕返ししてやりたいってなったらいつでも言いなさい。がっつり巻き上げたげるから」
『そりゃどーも』
「あ、時間みたい。じゃあ私もう行くわ。ごちそーさま」
『えっ、時間? 何、時間って? 待ってよナミちゃんっ』
急に立ち上がってごめんねーっと手を振りながらドアのほうへ歩いていくナミちゃん。その背を追おうと立ち上がったのに、後ろからの手に肩を掴まれて座っていた椅子に逆戻りした。
何事かと思って振り返れば、そこにいたのは今日も今日とてセンセーショナルなファッションのドピンク野郎で。
くっそ、ナミちゃんがカフェに誘ってくれたのはこいつのせいだったか! ごめんねーって、そう言うことか悪魔め!!
「フフフッ、その険しい顔は照れ隠しかァ?」
『純然たる嫌悪ですけど』
ドピンクはさもあたりまえのようにさっきまでナミちゃんが座っていた席に腰を下ろしていた。ショッキングピンクのカラーシャツがお洒落なカフェと妙にマッチしていてこれがまた腹立たしい。
「ガールズトークにゃ彼氏との惚気話が付きものだろ? ミカン女におれとのどんな思い出を惚気てたんだ、名前ちゃん?」
言いようのない苛立ちが身体を駆け巡った。
私は黙ったまま財布からケーキとカフェオレ代を出すとテーブルに叩きつけるように置いて今度こそ席を立った。
『ノロケ話なんて100%ないから安心しやがれ』
店を出るまでに浴びた視線すら気にならないほど頭に血が上っていた。
100%ないから安心しろ『(ありえないありえないありえない!)』
「(どう見たって照れ隠しなのになァ)」
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