ローくんは昔からずっと優しくて頼もしくて。歳上だったこともあってかすごく大人に見えて。初めからずっと、大好きだった。


『……』

「……」


お互いに一歩も近付くことなく見つめ合って、もうどのくらい経ったのだろう。ローくんは口をつぐんだまま、真っ直ぐ私を見つめて動かない。
鳥の囀る声と風の音が遠くから聞こえるだけの、静かな空気が流れる。


『…楽に、なりたいって、思う』


渇いた喉からようやく出せた声はところどころ掠れていた。ローくんはまだ、何も言わない。目も逸らせないまま、次の言葉を探した。
楽になりたいと、心からそう思う。全部なかったことにして、もう、全部忘れてしまって、楽に、なりたい。
だけど。


『…それでも私…どうしても…ドフィさんのことが…』


今、とても苦しいけれど、ローくんを選んでも、きっと苦しい。
あの人がダメならこの人、なんて後ろめたいし、あの人を捨てたところでつらくなくなるわけではないし。
だって忘れることなんてできやしないもの。
それくらいには、私は、ドフィさんのことが、本気で。


『私は、ずっと、ドフィさんが、好き』


止まっていた涙が、またほろりと零れて落ちた。

たった今時計の針が動き出したかのように、ローくんがこちらに歩いてくる。目を逸らして俯く私のことをそっと抱き締めてくれる。
大好きな強くて優しい腕。でもこれじゃないの。


『ごめんね…大好きだよ…けどこれは、ちがう…』

「わかってる。気にするな」


背中をさすって、頭を撫でて。私がローくんの気持ちを受け入れないとわかっているのに、こんなにも穏やかで優しい。
ごめんなさい以外の言葉が出てこなくて、何度もそう繰り返す私にローくんが笑って言う。


「おまえに兄としてしか見られなかった。それはおまえのせいじゃねえ。男としてのおれの落ち度だ」

『そん、な、こと…』

「いいから。気の済むまで泣けよ。どうせ今まで泣けなかったんだろ。理由が理由だしな」

『……』

「おまえの大好きなローお兄ちゃんがついててやるから、子供みたいに泣いてろ」


ふっと肩が軽くなったような気がして、ドフィさんと出会って関係を持ってからあったつらかったことや悲しかったことを何も考えず全部話した。
話すたびに嗚咽がひどくなるから、ほとんど聞き取れるものじゃなかっただろうけれど、ローくんはただただ耳を傾けて、私を優しく撫で続けてくれた。
本当に、あなたは私の自慢のお兄ちゃんだよ。



散々泣いて落ち着いた頃にはもうお昼を過ぎていた。
涙でぐしゃぐしゃになってしまった私は、もう一度シャワーを浴びて、ローくんお手製の氷嚢をまたもらって目を冷やしていた。


「落ち着いたか」


ベッドに腰かける私に、ローくんがコーヒーを持ってきてくれる。ありがとう、と受け取ってひと口飲めば、とてもほっとした。


「…名前」

『ん…?』


こくりこくりと少しずつコーヒーをすする私の隣に腰かけて、同じようにコーヒーを手にしたローくんが口を開く。


「蒸し返して悪いが、アイツとのこと、これからどうするんだ」


ぴたりと動きが止まるのがわかった。マグカップをテーブルに置いてから、私はうなる。これからどうする、か。まるで想像ができない。でもずっと連絡を無視したままでいるわけにもいかないだろう。


『話し合ってみる…』

「……」

『今まで、言えなかったこと…私だけじゃないのは嫌だとか、そう言う気持ち…ちゃんと話してみる。わかってもらえなかったら、そのときはそのときだものね』


もしかしたら私の気持ちを理解してくれるかも知れないし。
強がって笑って見せれば、ローくんもかすかに笑ってくれた。それが返って居心地を悪くして、私は涙を隠すため氷嚢を目に押し当てる。
そしてふと疑問に思っていたことをたずねた。


『そう言えば、ローくんはドフィさんと知り合いだったの?』

「…まあ」


曰く、ドフィさんとは海外へ行ってすぐ知り合ったらしい。
知り合ったと言っても、向こうが一方的にローくんに構ってきただけなのだそうだけど。


「頭のデキを買われてな。ウチに来いだなんだとしつけェのなんの…」

『知り合ってすぐ? 熱烈なラブコールだったんだね』

「気色悪ィからやめろその言い方」


氷嚢を当てているからローくんの表情は見えないけど、苦々しい声色から彼が眉間のしわを濃くしているであろうことは簡単に想像できて笑ってしまった。


「笑ってんじゃねーよ」

『ふふ、だって…それで、そのお誘いは受けたの?』

「受けるわけねェだろ。…まあ、世話は焼きたいだけ焼かせてやったが」

『世話?』

「目当ての研究室に入り込めたのは、多少、アイツのコネのおかげもあった」


その点はまァ、感謝してなくもねェ。
不貞腐れたように言うローくん。前にドフィさんのことをクズ呼ばわりしていたけど、心底嫌いってわけじゃなさそうな声音にまた笑みが浮かぶ。
私の知らなかったローくんのこと。ドフィさんのこと。
ほんの少し知れただけで、こんなにも気持ちが明るくなるなんて。
私、ローくんもドフィさんも、本当に好きなんだな…。


『ありがとね』

「? どう言う流れでのアリガトウだ、そりゃ」

『色んな流れでのアリガトウだよ』


ローくんは怪訝な顔をしたけれど、なんて説明すればいいのかわからなくて、私はただ笑うしかなかった。
そのときふと、ローくんの携帯が鳴った。


『電話?』

「いや…ペンギンの奴からメールだ」

『ペンギン…? あ、この前の? 後輩なんだっけ』

「あァ」


申し訳ないほど、その名前は懐かしく感じた。飲み会で会って以来ちらりとも名前を耳にしていなかったから、つい。


「チッ…レポートなんざ知るか」

『レポートがどうしたって?』

「さっぱり進まねェらしい。シャチともども情けねェ」


ローくんがメール画面を見せてくれたので文を読むと、シャチくんとふたりでゼミのレポートをしているのだけれど、内容がさっぱり浮かばなくて困っているらしい。
それでもし暇があるようなら助けに来てほしいと言うことだ。


『大変そうだね』

「おれには関係ねェがな」

『それは、ね。けどそのレポート、次の評価に結構響くって医学部の子が言ってた気がする…』

「……ったく、あのバカども…」


空になっていたマグカップをシンクに運んで、ローくんは荷物をまとめ始めた。どうやら助っ人に行ってあげることにしたらしい。優しい人。


『行ってらっしゃい。あんまり厳しいこと言って泣かせちゃだめだよ』

「言われねェようあいつらが気を付けりゃいいことだ」

『ふふ、それは難しそう』

「、名前」


玄関で靴を履いてドアノブに手をかけたローくんが振り向く。
何、と首を傾げれば、ためらいがちに視線を彷徨わせ、やがて短い溜め息を吐いて目を合わせた。


「さっきは言わなかったんだが」

『うん?』

「…一度だけ、おまえのことをドフラミンゴに訊かれたことがある。おれがおまえの写真を見ているときだった」

『私のことを…?』

「その女は誰だと訊かれて、おれはおまえには関係ないとだけ答えた。…たいしたことじゃねェが、一応耳に入れとく」


疑問はいくつか湧いたけど、何をどう訊けばいいのかわからなくて、そっか、としかこぼせない私を少し見つめたあと、ローくんは小さく行ってくると呟いて部屋を出た。

あの人は、私のことを知っていたのかしら。



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