「じゃあ名前、またね」
『うん、またね』
金曜の最後の1コマの講義が終わって、友人たちは皆ばらばらと帰って行った。
『あっ…』
私も荷物をまとめて帰る支度をしていると、うっかり机から鞄を落としてしまった。その拍子に内ポケットに入れていた携帯が鞄のなかに飛び出る。
床に落ちなくてよかったと思いつつ手に取ると、何かにあたったのかロックが解けていた。
通知される着信3件と新着メール4件の文字。着信のほうは無視して、メールのほうだけ送信者を確認したら、相手はすべてドフィさんで。
嬉しいのにバツが悪いから何とも言えない気持ちで溜め息を吐いた。同時に着信画面に変わる。どきっとしたけれど、相手はローくんだった。
『はい』
《授業は終わったか》
『うん、さっき終わったとこ』
《そうか。もう着く。門のところで待ってろよ》
『うん、ありがとう』
先週一緒に買い物に行った日に呼び出しを受けてから忙しくなったらしく、あれからローくんからの連絡は何もなかった。だけどゆうべふと電話がかかってきて、明日、つまり今日時間が取れるから、本を取りに行くついでにメシも頼んでいいかと聞かれた。
そして今の電話に至る。大学まで迎えに来てくれるのだ。
私が正門に着くのと同時に一台の車が停まって、助手席の窓がすっと開いた。運転席に見えるのは、相も変わらず隈を携えた幼なじみ。
『車だったんだね』
「仕事帰りだからな」
『そっか。お疲れさま』
乗り込んだ車のなかは、ふわりとローくんの匂いがした。
『あ、冷蔵庫空っぽなんで』
「おまえな…まあいい。そんなこったろうとは思ってた」
『すいません』
◆
先週と同じくスーパーに寄って肉じゃがの材料を買って、マンションへ帰る。
ローくんは車を停めるなり荷物を持ってさくさく歩いていく。そんなにお腹空いてるのかしら。
可愛いな、と思いながら小走りにあとを追うと、ローくんは玄関に入る自動ドアの前で待っていてくれた。
『優しいね』
「うるせえよ」
『ふふっ……えっ…?』
「あ? どうした?」
照れ隠しのしかめっ面の横、ガラスのドアに映り込んだ車に振り返る。もう走り去ってしまったけれど、今の車、あの人の車に見えた。
「おい、名前?」
『今…ううん、何でもない』
私が首を振って笑うと、ローくんは少し首を傾げたけれど、そうかと呟いて止めていた足を進めた。今のはきっと気のせいだ。
部屋に戻るとすぐ、私はご飯の支度を始めた。ローくんは台所にあるテーブルで、私が預かっていた本を広げて難しい顔をしている。
まるで同棲しているみたいに思えて、頬が緩む。…あの人とは、考えられない光景だな、これ。
目が沁みるのは、きっと玉ねぎのせいだけじゃない。
ややあって、ローくんリクエストの肉じゃがができあがった。我ながら自信作だ。わかめのお味噌汁も玉子焼きもほうれん草のおひたしもばっちり。
『ローくん、できたよ』
「ああ、すぐ片付ける」
読んでいた本をまとめて片付けるローくん。
きれいになった食卓のうえに、できたてのご飯を見栄えよく配膳すれば、ぐう、と聞こえるお腹の音。
『ふふ…どうぞ召し上がれ』
「……」
私に笑われて恥ずかしかったのか、ローくんは顔を少ししかめて何も言わずに手を合わせて箸をとった。私も真似て手を合わせ、ほかほかのご飯を頬張る。
「うまいな」
『本当? よかった。おかわりもあるよ』
「ああ」
ローくんってこんなに食べる人だったっけ、と首を傾げるほどよく食べてくれて、何だかとても嬉しかった。米粒のひとつも残さず食べ終えた彼は、また無言で手を合わせる。
『お粗末さまでした』
私が食器を片付けたあと、ローくんがさっき読みかけた本を最後まで読み終えたいと言ったので、邪魔しないように私もベッドで本を読むことにした。
しかし読み始めて数分、どうにも目蓋が重くなってきて。台所を見ればローくんはまだ本に夢中の様子。
ああ、ねむい。
小さいときも本を読むローくんの傍で私はぐうぐう寝ていたなあ、なんて思い出しながら、降りてくる目蓋を受け入れた。
夢のなかであの人が私の頭を優しく撫でてくれていた。そんなのありえないのに、ばかみたい。
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