かけがえのない家族との幸福な時間を思い出してしまう。だから誕生日を祝われるのは苦手だった。今では歳をくったせいか、感情に飲み込まれて心が荒れ狂うことは少なくなったが、それでも、二度と戻らない幸せな光景を思い出すのは避けたかった。


『お気持ち、わかりますよ。私も同じですから』


とある島の本屋の一角で、店主の女はそう頷いた。
目当ての書物を卸しに来る問屋を待つあいだ、身のうえ話をしたのは彼女の持つ独特な雰囲気に絆されたせいだった。

よければ寛いでくださいな、と木漏れ日の差す窓辺のソファに案内されて、香りのよいコーヒーと上等な茶菓子まで出されては、こちらも肴を返さないわけにはいかなかったのだ。


『私の家族はね、私が幼い時分に、海賊に奪われてしまったんですよ』

「へえ。それであんたも誕生日を祝われるのが嫌いなのか」

『嫌いとまでは言いませんけれど。お祝いを言われると、家族でのささやかな誕生日パーティーを思い出して、つらいものがあります』

「……そうだな。わかる気がするよ」


コーヒーカップを撫でながら女が目を伏せる。悲哀に満ちた瞳に、昔の自分が重なった。


『でも船員さんがたはお祝いしたがるんじゃありませんか。我らが船長の生まれた日ですよ。こんなに心の躍る日はないでしょう』

「まァな。好きにさせてるよ。酒が飲める機会を取り上げるほど無粋じゃねェ」

『ふふ、お優しいですね』


心底人の好さそうな笑みを向けられて、胸の奥がぞわりと震えるのがわかった。
この女はきっと根っからの善人なのだろう。大穴で、どろりとした暗い感情を隠すのにひどく長けている可能性もあるが、おれは前者であることを確信していた。


『あら、お待ちかねの書物が届いたようですね』


程なくして、問屋が朗らかに店に入ってきた。
女と問屋のやり取りをぼんやり眺めながら、いくらかの紙幣をテーブルに置く。手を付け損ねた茶菓子は、船に戻ったらべポにでもやろうとポケットに忍ばせた。


『さあ、お待ちどうさまでした。こちらでよろしかったかしら?』

「ああ、手間かけたな。コーヒーもごちそうさん」

『いえいえ』


女から数冊の本が入った紙袋を受け取り、店のドアに手をかける。最後に一度振り向けば、女はやはりやわらかに微笑んで手を振った。


『ハッピーバースデー。素敵な一日をお過ごしくださいね』


口角と片手をあげて応えながら、浮かれているであろうクルーの待つ船へ足を進める。
いつかあの女にも、翳の差さない誕生日がくればいいなんて柄にもないことを考えながら。


top


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -