スパイとしてドフィのもとへ潜り込んでから、しばらくが経った。
最初こそ、口もきかないおれへの不信感があったが、ドフィの実の弟と言う立場はよい方向に働いて、やがてファミリー内での疑わしいような空気は薄れていった。
ある日、またひとり血迷ってこのファミリーに入りたいと言うガキを蹴散らして追い返したときのこと。
ふと見上げたアジトの一室の窓辺に、ぼんやり佇む影があった。目を凝らして見れば、それは年端のいかない少女だった。どんなにひどく当たっても出て行かないのはあの3人くらいだと思っていたがそうではなかったらしい。
おれは溜め息をひとつ吐いて、その少女のいる部屋へ向かった。
そこは建物の北側の、陽のあたらない暗い部屋だった。あまり人が出入りしていない棟だったので、がらくた置きにでもなっていると思っていた。ドアの前に立つと、確かに、人の気配がした。
ノックをすることもなく乱雑にドアを開けると、やはり窓辺に少女はいた。突然現れたおれに驚くこともなく、それどころか気付いてさえいないように、じっと窓の外を見つめている。
「コラソン、そこで何してる」
「!」
不意に背後から声をかけられて、肩を跳ねさせた。ドフィだ。
とっさに紙とペンを出し、“見慣れないガキがいたから来た”とメモを見せる。
「あァ、言ってなかったな」
「……」
「“それ”は放っておけ。ガキが嫌いなのは仕方ねェ。が、それは別だ」
“絶対に、手を出すな”
ドフィはそう言って部屋の前から離れていった。声を荒らげられたわけでも、咎められたわけでもないのに、身体が、震えていた。
ここは黙って引き下がるのが吉だ、と思い、最後に少女を振り返る。
「!」
窓の外へ向けられていた双眸は、真っ直ぐ、こちらを見ていた。
逆光にさらされた華奢な身体と表情のない顔。魅入られるとはこのことを言うのだろう。そう感じた。
おれはすぐさま視線を逸らし、部屋を出た。ドアが閉まる間際、かすかに、少女のか細い声が聞こえた気がした。
◆
降りしきる雪のなか。
撃たれた傷の熱い疼きを感じながら、ローの無事を願った。
きっと、もう、命が途切れる。そう悟ったとき、ふと澄んだ声が頭に響いた。深窓の少女に初めて出会った日に、おれの背にかけられた言葉だ。
『あの子を助けて』
今となっては本当にそう言ったのかもわからない。
あの子が誰のことなのかも、なぜ助けろなどと言ったのかも、何も、わからない。
それでもおれは、彼女の言葉通り、ローを助けられたのだと、彼女の願いを叶えてやれたのだと、最期の瞬間、安堵した。
思い残すことがあるとすれば、この先のローの傍にいれやれないこと。あの少女を、救ってやれないこと。それだけだ。
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