「あれ」 いくら押してもそれはかしょん、と小さな音を風呂場に響かせただけだった。 (そういえば昨日最後の最後まで絞りだした様な記憶が) いくら押してもないものはないのである。確か買い置きがあったはずだと、よっこらしょと婆臭い声を出しながら私はゆっくりと立ち上がった。 「…寒い」 当たり前である。バスタオル一枚で冬の薄暗い廊下を歩きながら垂れてきた鼻水をずびりと吸い込み、リビングのドアを開ければふわりと暖かい空気が頬を撫でた。 「マスター、出たの、か…?」 読んでいた本から顔を上げたハッサムと目があい、思わずげ、と声が漏れた。固まってしまった彼の手から読んでいた本がばさりと落ちた。 ハッサムの顔が真っ赤に染まった。もとの色が赤いから非常に分かりにくいが。 「……あー…気にしないで読書の続きを」 未だ衝撃から抜け出せていない彼を尻目にシャンプーを探す事にし、ごそごそと引き出しを漁っているとハッサムの慌てた様な声。 そしてばたばたという音が聞こえたかと思えばばさりと肩にかけられた、ふわふわとした暖かい感触。 「シャンプー位言え。風邪を引いたらどうする」 「…いや、なんか…うん、ごめん」 何の為に私がいると思っている、と言われシャンプーを取るためにいるんじゃないだろうと主張したかったが、ギロリと睨まれ大人しく謝る。怒らせたら面倒なのもあるが(なにせ説教が長い)、彼の言っていることは正論なのである。降参。ぐうの音も出ない。 「…ごめん」 そう言えばハッサムは呆れた様なため息をつき、もう一枚、私に毛布をかけた。ああ濡れてしまうなと頭の片隅には思っても、ハッサムが満足そうにしている為黙っておくことにした。彼のことだからきちんと後の事まで考えての行動なのだろうことは簡単に予想が付いた。 「ありがと」 「…大切な大切な私のマスターだからな」 にこり。ハッサムが笑う。 ずっと一緒にいたはずのパートナーに、不覚にも私の心臓が跳ねた。これはあれだ。小さい頃、初めて恋をした時の様な感覚。懐かしくて、暖かくて、少し切ない。 湯冷めしないうちに早く風呂場に戻れと背中を押され、耐えきれずににやけた顔を隠さないままがばりとハッサムに抱きついた。 こういう面ではずっと一緒にいたと云うことは気楽なのかもしれない。あーもー大好き!と叫んでぎゅっと抱き締めれば、彼はう、だのあ、だの言いながら固まってしまった。 遠慮がちに背中に手が回され、ぽんぽんと叩かれる。ハッサムは真っ赤な顔で必死に私から目を反らしていた。その表情を見るにこれはきっとギブギブと言っているのだろうがそんなことは気にしない。 「ま、マスター」 「私の目を見て話しなさい」 必死な彼が可愛らしくて、ついつい虐めたくなった。多分ハッサムは私の格好を気にしているのだろうが、昔は一緒に風呂でもトイレでも(失礼、)入ったのだ。私に今更羞恥心なんて物は存在しない。風呂場からタオルを巻いて出たのは私なりの彼に対する優しさと言う奴だ。ついでに説教回避の為。 それでもこちらを見ようとしない彼の頭を掴んで無理矢理こちらを向かせると、彼はぴゃっ!と何とも可愛らしい悲鳴あげた。 「……!」 なんだこね愛らしい生き物は…!ハッサムを抱き締めたままぷるぷると悶えていると、彼は心配そうな声を上げた。耐えられずそこでまた抱き締める力を強めれば、また固まるハッサム。何という悪循環。私には都合がいいが。 しかしこの状況。何かに似ている気がする。そこまで考えてふと思い当たる。 (かんっぺきなセクハラねこれ) 権力や立場の違いを使って嫌がる相手に…て違う違う。ハッサムはちょっぴり照れ屋なだけなのだ。 「違うからな、マスター」 「あれ、読心術なんて技使えたっけ?」 「そんな技は存在しない」 むっすりとしたハッサムはマスターの考えていることなど大体は分かる、と言った。マジか。 しかし私は腐ってもハッサムのパートナーである。こんなちょっぴりツンな態度を取られたくらいでめげるような浅い愛ではない。 「よーし分かった。それなら大丈夫ね」 「マスター?」 むんず。彼の首筋を掴みずるずると風呂場の方に引きずって行けば、すぐに私の行動の意味を理解したのかあわあわと騒ぎだした。まったく照れ屋さんめ。 「たまには裸の付き合いでも」 「その前に私の心情を察してくれ…!」 お風呂場攻防戦! (貴女と風呂など、私の理性がもたないんだマスター…!) 千崎様へ。相互ありがとうございました!千崎様のみお持ち帰り可です^^ハッサムはきっと硬派… ×
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