この間からある女の子に睨み付けられている気がする。
三年間、六角中に通っているけれど今まで見たことのない子。転校生か何かかな。同じ学年カラーの上履きを履いているけれど全く見覚えがないのだ。
「彼女の名前知ってる?」
テニス部のメンバーにそう訊ねたのが三日前。彼らは何故か揃って苦笑いをしながら言葉を濁した。
「佐伯君、お疲れ様」
「これタオル使って」
「ありがとう」
部活中、タオルを持って来てくれた女の子達に声をかけられると向こうのコートで剣太郎がいいないいなと声を上げた。そういえばタオル持ってくるのをすっかり忘れてたなと素直に差し出されたタオルをを受け取る。
「(…あ)」
ふと視線をはずすとフェンスの向こう側、おそらく下校途中であろう例の女の子がまたこちらを睨むように見ていた。それに気付き俺も彼女を見返すと彼女はふいと顔を背けスタスタとコートを後にした。
一体全体彼女は何者なのだろう。何か俺は気に障ることでも言ってしまったのだろうか。しかし恨みを買うもなにも、話をした覚えもなければ見覚えすらないのだから心当たりはなにもないのだ。残念ながら。
「あ…」
「…」
そんなある日の昼休み。先生に頼まれて社会科の資料室に地図を取りにきたときだ。誰もいないと思い開けた部屋の中に彼女がいた。思わず声を洩らすとこちらを見る彼女がぐっとまた眉間に皺を寄せた。
何か文句でもあるならいい加減はっきり言ってほしい。そう思い彼女に声をかけることにした。
「あの、俺、君に何かしたのかな」
しんとした資料室に俺の声が静かに吸い込まれた。数秒の重い沈黙の後、彼女が低いトーンで口を開いた。
「何で」
短い言葉。でもなんだか彼女の声はすっと自分の中に入ってきて脳で溶けた。
「最近、君に睨まれているような気がしてたから」
勘違いかな?と柄にもなく緊張して笑う。もし俺が何か、そう無意識に彼女を傷つけてしまったのだとしたら謝りたい。そう思っての問いだったのだが…。
「佐伯…君は私のこと知ってるの?」
「あ、えっと、いや…ごめん」
うっかりしていた。彼女のことは知らなくとも名前とクラスくらい調べておくんだった。申し訳なさがこみ上げつつ素直に謝ってしまう自分が情けない。どう言い訳しようかと思ったが謝った時点で彼女は察しがついただろう。失礼なことだ。自分から声をかけておいて。
「ごめんね、実は俺、君のことよく知らないんだ…でも俺がもし何かしたんなら謝りたくて…」
そう言うと彼女は無言でこっちを見た。何故かその表情がとてもとても悲しそうで、俺はどうしてそんな表情をするのかなんて検討もつかなくて。女の子の心境とかそういうのは結構分かってあげられる方だと思っていたのに。分からない。
「別に、なんでもない」
俺がごちゃごちゃと考えているうちに彼女はそれだけ言うと俺の横を擦り抜けて資料室を出て行った。
「なん…なんだ」
一体、彼女は何なのだろうか。
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「あ、またタオル忘れた」
ガサゴソと鞄を漁るもお目当てのスポーツタオルはやはり見つからない。最近毎日タオルを忘れてしまう。まったくマジックで手にでも書いておこうかな。バネに笑われるからやめておこう。
「なんだよサエ、またタオル忘れたのか?」
「ああ、バネ」
ラケットバッグを漁る俺を呆れた顔で見下ろすバネ。
「そうなんだよ。何故か最近ラケットとかは絶対忘れないのにタオルだけ忘れちゃうんだ。何か自分で持ってこなくても誰かがいつも持ってきてくれていた気がしてさ」
あ、ギャラリーの女の子達とかそういう自慢とかではなく、特定の誰かがいつも持って来てくれていたようなそんな気がしたのだけど…いやいや。誰かが俺のためにって…誰だよ。オジイか?俺が甘ったれていると言うんだろうか。ただ単に忘れてきただけだろ、と自分に苦笑して立ち上がったとき。
「あ、」
彼女がいた。フェンスの向こうからこっちを見て立ち尽くしている。ただいつもと違うのは、こっちを見て、まっすぐに見てその瞳からぽろぽろと涙を流していることだ。彼女の涙に思わず声が出なくて一歩近寄ると彼女は直ぐに我に返り俺の「待って」という言葉にも振り返らず走って行ってしまった。
「バネ…今の子、名前分かる?」
彼女の去って行った方を馬鹿みたいに見詰めながらバネに問いかける。するとバネは何故だか妙に落ち着き払った声で彼女の名前を口にした。
「小森桜だよ」
何故だかその名前も俺の中にすっと入り脳でじんわりと溶けた。
だけど分からないのだ。彼女が何者なのか。俺にとってどういう存在なのかを。
ただ俺の肩をポンと叩き淋しそうなバネの表情が印象に残っていた。
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「はあ、はあ」
やってしまった。あろうことかサエの前で泣いてしまった。彼はもう私のことなど何も覚えていないというのに。
サエとは昔からの幼馴染みだった。でもいつしか私はサエが好きになっていてお互い中学二年生のときに告白して両想いだったことに気付いて、それで付き合っていた。はずだったのにどういうわけか不思議なことにサエは急に記憶喪失になった。ただ全てを忘れたわけでなく何故かこれまた不思議なことに私の記憶だけ消えてしまったらしい。何故だろうかきっと悪い夢だと何度も思ったけれど、思い出してほしかったけどでも私の存在がなくてもサエは以前と変わらずで何事も支障なく暮らしていてそれがとても寂しくて悔しく毎日枕を濡らした。そして悪いことに私は根っからのネガティブであったので、きっとサエが記憶喪失になったのは私が嫌いで鬱陶しくてそれが何らかの影響で都合よく私だけ忘れる原因になったんじゃないかと考えはじめて、もう私がいない方がいいんじゃないかなんて考えた。サエは廊下で会ってもこっちを見向きもしないしこれから改めてサエを振り向かせて好きになってもらうことなんて絶対に無理だと思ってしまった。卑屈になって遂にこんな嫌なうじうじした私はやはりサエの傍には相応しくなかったのだと思い至り、バネや周りの人達やサエの家族に口止めをしてサエから自分を切り離そうとしたのだ。だけど、中途半端になってしまったらしい。毎回他の女の子達に囲まれるサエが憎たらしい、楽しそうに笑っているサエを見ると泣きたくなる。気付いてよと泣いて叫んですがり付きたくなるのだ。それを我慢していたのだけどサエはそうは捉えていなかったらしい。何故睨むのかと、俺は何かしたのかと聞いてきた。その時は何とか誤魔化したけれどその後がマズかった。
帰り道にフラりと通りかかったテニスコート。そこでサエがいた。
「そうなんだよ。何故か最近ラケットとかは絶対忘れないのにタオルだけ忘れちゃうんだ。何か自分で持ってこなくても誰かがいつも持ってきてくれていた気がしてさ」
そんな声が聞こえて私は熱くなる目頭を抑えられず気付けばだらしなく泣いていた。そしてこっちを見たサエと目が合って慌てて逃げるように走った。
だって、だってサエにいつもタオルを持ってきていたのは誰でもない私なんだから。こんなことになる前の私なんだから。
「馬鹿…」
気付いてよ気付いてよと心が叫んでいた。でもそれだけで。私はますます蹲って泣いたのだ。
早く私に気付いてよ。
「おなかがすいた」の江子さんに、サイト2周年リクエスト企画で書いて頂きました。
江子さん本当にありがとうございました!!!