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運命にさよならするの
「佐伯先輩、お誕生日おめでとうございます」
「ありがとう」
「それで…あの、私…ずっと先輩のことが…」
──なんというタイミング。
私は思わず溜め息をついた。海への近道だからって、校舎裏なんか突っ切ろうとするんじゃなかった。ここが告白の名所だって知ってた筈なのに。
私は、音を立てないように気を付けながらそうっと方向転換した。からからに乾いた落ち葉がそこら中に落ちているから、それはなかなか至難の技だった。女の子はこちらに背中を向けていて私にはまるで気付いていなかったけれど、彼女の告白を受けるサエと一瞬目が合ったような気がした。
でも気のせいかもしれない。距離があったし、私はすぐに目を逸らしてしまったから。
海は大好き。いつでも。
正門を抜ける遠回りのルートでお気に入りの浜辺にやって来て、私はいつもの岩に腰掛けた。
子どもの頃からずっと、この場所が私の指定席。ひやりとつめたく、波に洗われてつるつるとすべらかな石の感触にほっとする。
…小学生のときまでは、ここは私とサエの指定席だった。今は私ひとりの席だけど。
私とサエは、家が近所で、親同士も仲が良くて、それこそほんの赤ちゃんの頃からずっと一緒だった。何をするのも、どこに行くのも一緒で、海にもよく遊びに来た。
この岩に一緒に座って、流星群を見た夜もある。冬で寒かったから、体をくっつけて、サエのお母さんが持たせてくれた魔法びんのミルクティーをふうふう吹きながら分けっこした。私は暗いのが怖かったけど、星の説明をしてくれるサエがお星さまみたいにきらきらして見えて、だんだん怖くなくなったのを覚えてる。
サエが大好きだった。同い年だけど優しいお兄ちゃんみたいな幼馴染み。ずっと一緒にいられると思っていたのに。
「ずっと親友でいてね」小学校の卒業式の日、そう言った私に、サエは「嫌だよ」と即答した。私はそれは傷ついて、怒って泣いて、それからサエとはまともに口もきいていない。
サエに拒絶されてから、今日は三回目の彼の誕生日。
中学に入って急に背が伸びて大人っぽくかっこよくなったサエは、学校中の女の子の憧れの的だ。未だに誰とも付き合ってないのが不思議なくらい。
──ああでも、さっき告白していた1年生の女の子。あの子はテニス部のマネージャーをしていて、サエとも親しかった筈だ。よく一緒にいるところを見かける。あの子なら、すごく可愛いし、性格もよさそうだし、サエとお似合いだ。あの子の告白ならサエも受けるのかもしれない。
サエが誰かのものになることを思ったら、あの笑顔がたったひとりの女の子だけに向けられることを考えたら、何故だか物凄く苦しくなった。
夜に怯える私に、「俺が一緒だから怖くないよ」ってふわりと笑って、差しのべられた手の温度を、今もはっきり覚えているのに。
サエ、今私はひとりだよ。どうして今も一緒にいてくれないの。どうしてあのとき私を拒絶したの。
サエに「お誕生日おめでとう」と言えなくなって、三度目の10月1日。あんな場面見たくなかった。
もうあの頃みたいには戻れないのかな。
波の音はやさしい。泣きたくなって私は目を閉じた。
「桜」
懐かしい、大好きな声に名前を呼ばれたような気がした。
「桜。風邪ひくよ」
あの頃より少し低くなった、でも変わらず大好きな声。記憶より大きな掌で髪を撫でられる感触。
なにこれ。こんなの夢だ。ありえない。
「ありえないよ…」
「何が、有り得ないの?」
思わず呟いたら、優しい声で訊き返された。
夢のくせに意地悪だ。そんな質問するなんて。私は瞑ったままの目元にぎゅっと力を入れて泣かないようにした。
「だってサエは」
「何?」
「サエは、私のこと嫌いだもん」
「……どうしてそう思うの?」
「だって」
しつこく聞いてくるとは、なんて意地悪な夢だ。憎たらしい。私が逆らえない声で問い掛けてくるあたりが厭らしい。よりによって今日みたいな日にこんな夢。
「だってサエが言ったんだよ。ずっと一緒にいてねって言った私に、『嫌だよ』って!」
悲鳴みたいに叫んだ。
開いてしまった目からぼろぼろと涙が零れ落ちた。
いつの間にか夜で、辺りはもう真っ暗で、波の音だけがしてて、夢は醒めて、私はやっぱり一人で。
「桜」
「──え?」
一人じゃなかった。懐かしい体温にふわりと抱きしめられて、私は呆然と瞬きをした。瞬きの度に涙がころころ落ちていくけど、それどころじゃなくて、え、なにこれ、夢の続き?
「……さえ?」
嘘でしょ、と思いながら、本当であって、と願ってた。数年ぶりに口に出した幼馴染みの名前は情けなく震えてた。
「そうだよ」
返ってきた確かな答えに、今度こそ声だけじゃなくて全身が震えた。なんで、どうして。
「桜、馬鹿だなあ。俺は桜と一緒にいるのが嫌だなんて一度も言ってないのに。俺だってずっと一緒にいたいのに」
ぎゅうぎゅうと抱きしめられながら耳に届くサエの声も震えてて、なにこれ、と思った。
「だって…サエ、嫌だよって言ったじゃない…。だから私、嫌われたのかと思って、離れたのに…」
「桜こそ酷いよ。俺、あの後泣いたよ」
「はあ!?」
思い切り呆れた声が出た。サエ、何言ってんの?
サエはようやく私を抱きしめる手を緩めて、それでも完全には離さないで、凄く近い距離で顔を合わせた。数年ぶりの接近にどくりと心臓が跳ねる。真っ暗だけど、星明かりで微かに見えたサエは相変わらず綺麗な顔をしてて、でもいつの間にかしっかり男の人の表情になってた。真剣な目で射抜かれて、私も目を逸らせない。
「桜、間違ってるよ」
「……なにが」
「小学校の卒業式の日、桜は『ずっと一緒にいて』って言ったんじゃない。『ずっと親友でいてね』って言ったんだよ」
「…同じ意味で、言ったんだけど…」
「……全然違うよ」
サエは深く溜め息をついた。それから「桜が天然だってこと忘れてた俺が馬鹿だった」とか失礼極まりない事を言う。ちょっと!
「俺は、桜と親友でなんかいたくないから嫌だっていたんだ」
「……っ」
やっぱり嫌いなんじゃない!
あの一度だけでざっくりと傷ついたっていうのに、何故今になって追い打ちをかけられなくちゃいけないんだろう。もう我慢も限界だ。私は肩の力を抜いた。途端にぶわりと涙が溢れて止まらなくなる。三年分の涙だ、これ全部流して私自身も消えてしまいたい。
「……ほら、また泣くし」
サエが綺麗な眉を寄せて、ひどく辛そうな顔をした。
辛いのは私の方だよ、誰のせいで泣いてると思ってるの。
「俺の言葉ひとつでそんなに泣くほど俺が好きなくせに、なんで気付かないのかなあ」
……はい?
なんか今凄い台詞を聞いた気がする。
サエは長い指で私の涙を拭ってくれた。そしてそのまま、私の頬にくちびるをつけてぺろりと舐める。……私は驚きのあまり声を出すことも忘れて固まった。
「桜。俺は、桜と親友なんかじゃなくて、桜の彼氏のつもりだったんだよ。だから嫌だって言ったんだ」
「え…」
「それなのに桜は思いっきりショックを受けた顔して、それっきり俺を避けるし。俺はてっきり振られたと思ったね」
「……」
「でもそうじゃなかった。今日、俺が告白されてるところに居合わせた桜の顔を見たらはっきり分かった」
「…やっぱり見てたんだ」
目が合ったと思ったのは気のせいじゃなかったんだ。
「俺、視力には自信あるから」
「そうだったね」
そう。そのよく見える目で、たくさんの星座を教えてくれたよね。
「桜、泣きそうな顔してた。凄く辛そうな顔だった。それで全部わかったんだ」
「わかったって何を」
「桜は俺を好きでいてくれるんだって」
ふわり。少し照れたみたいに、でも心底嬉しそうに頬を緩めて笑う、あの頃と同じサエの笑顔。久しぶりに見られたその顔に私の胸は馬鹿みたいにどきどき鳴った。
好きだよ。大好きだよ。ずっと一緒にいたかったんだよ。
言えなかった、辛かった三年の気持ちが一気に溢れ出す。でも同時に、サエも辛かったんだってわかって苦しくなった。私だけじゃなかった。私が勝手に勘違いして、勝手に傷ついて離れてしまったから、サエもずっと辛かったんだ。
三年前、私が少しだけ幼な過ぎて。サエが少しだけ大人過ぎて。すれ違ってしまった心。
「桜、好きだよ。大好きだよ」
「サエ、大好き。ずっと大好き」
やっと届いた。
「……親友じゃなくてもいいの?」
私を抱きしめてくれながら、耳元でサエが意地悪くくすくす笑って訊いてくる。分かってるくせにわざわざ言うあたり、サエも私の親友発言が相当ショックだったことが窺えて、申し訳ない気持ちやら可愛いなあという気持ちやら、いろんな感情が湧き出してとにかく愛しかった。
「いいよ。名前はなんでもいいの。親友でも、恋人でも。この気持ちはサエだけにあげられるものだから」
抱きしめる腕がぎゅっと強くなって「うん、全部もらうから」って低く掠れた声がした。
「うん。全部あげる」
サエのことを優しい大好きなお兄ちゃんだと慕ってたちいさな自分とは、今日でお別れをする。
戻りたいって思いこんでただけで、本当は戻りたかったわけじゃなくて、もっと深い、綺麗じゃない関係に飛び込んでいくのが怖かった。サエの方はずっと前からそれに気付いてて。私は今ようやくそれに気付いて。
綺麗じゃなくてもいい、一緒にいられたら。
つめたい風が吹いて、すぐ近くで波が岩にぶつかる音がして、少し肩を揺らした私に、サエは「大丈夫」と笑ってくれた。子どもの頃と同じように。
「一緒だから怖くないよ」
でもそれは、子どもの頃のように夜の暗さのことだけじゃなくて。この先の、いろんな不安に対しても言ってくれてる言葉で。
私は泣きそうになりながら笑って、「うん」と頷いた。大丈夫、一緒だから怖くないねって。
それから、ずっと言えなかった言葉を言う。心から。
「サエ、お誕生日おめでとう」
Happy BirthDay Sae 2012 !!
佐伯虎次郎オンリー創作企画『キミがいたから』に提出させて頂きました。