伝えたい





目に映る光景を、信じたくなかった。夢だったらいいのにって思った。
でも現実だった。

裕次郎の打ったボールが、相手チームの監督の目に当たった。

不幸な偶然だって、事故だって思いたかった。
でもこの場にいる誰にも解っていた。わざと当てたこと。
永四郎が合図を出したのも解った。
…ラフプレーは、初めてじゃない。うちの戦術のひとつでも、ある。私は好きじゃないけれど、みんなだって本当は嫌だって思ってるはずだけど、沖縄から勝ち上がって全国まで来るためには仕方なかった。どんなことだってしてきた。
悪役になるのなんて慣れてた。何と言われても構わなかった。沖縄の力を示すために。

だけどこんなの。

「オジイ!」

赤いユニフォームの相手の選手たちが必死に駆け寄って、倒れた監督を抱き起してる。
監督のこと、オジイって呼んでるんだ。
すごく仲の良さそうな学校だった。…羨ましいくらい。
監督は、細くて、小さくて、おじいさんで、あんな勢いの硬球を顔に当てられたことを考えると怖くて震えた。

ねえ永四郎。なんで今、あの監督さんをあんな目に合わせる必要があったの?

全国大会大第1回戦。比嘉中の勝利は決まってた。
相手チームは地区大会とは比べ物にならない強さだったけど、縮地法にはついてこれずにうちの圧勝だった。
勝敗が決まった後の最後のシングルス1になって、それもまた大幅にリードしていて。今、縮地法の原理を言い当てられたところで、今更相手チームの不利は変わらなかったはず。

なのにどうして?

監督さんが担架に載せられて行く姿は、すごくすごく怖かった。

ねえみんなは、怖くないの?
おかしいと思わないの?

それとも……今更、なの?

「ごめんちゃい」

へらりと謝った裕次郎。ほんとに何も感じてないの?
そんなはずない。あなたそんな子じゃないよね。

「桜? どうした!?」

凛に掴まれ覗きこまれて、初めて私は自分が泣いているのに気付いた。

「……っ」

「何泣いてんだ!? 気分でも悪いのか?」

気分なんて悪いに決まってるじゃないかこの馬鹿!

他のメンバーも心配そうに私を見てくれてるのがわかって、なんだかますます気持ちが悪くなってきた。
みんな、私のことは心配してくれるのに。
今、うちのレギュラーが怪我をさせたおじいちゃんのことは、気にしないの?
ほんとに平気なの? うそでしょ!?

だけどうまく説明することなんかできなくて、私は何も言わずに凛の腕を振り払って目を擦った。

「んだよー、ほんとどうしたんだばぁ桜?」

「…私、六角に謝りに行ってくる」

「はあぁ!?」

…私は、比嘉中のマネージャーだから。
許してもらえるなんて思わないけど、うちがしたことをちゃんと謝らないといけない。
こんな気持ちの悪い勝利喜べない。こんなんで先に進むなんてできない。

「…ちょっと待ちなさいよ小森クン」

「うっさい永四郎! どいてよ!」

「…あなたねぇ。勝手に暴走する癖やめなさいよ」

「永四郎なんか知らない。…勝つために何だってやって来たのは、私だって解ってるよ。でも今のは納得できない。私一人でも謝りに行く。晴美は問題外だし」

永四郎はにくったらしく腕を組んで私を見下ろして、「はああ」と溜め息をついた。
溜め息つくのはこっちだよ!
今は試合会場だから我慢するけど。
宿舎に帰ったらとことん話し合ってやる。これからの、戦い方について。

「…あのねぇ小森クン……おや?」

「お?」

ふいに、永四郎の眼鏡の奥の目がついとコートに向けられて、きつく細められて。
凛もそっちを見てちいさく目を瞠った。
…え、なに?

私も釣られて、試合が中断したままのコートに目をやって……そして、固まった。




「ひとつ、やり残したことがあってね」

…今さっき、六角の選手は応援の子供たちも含め、みんなで監督さんについてばたばたと走って行ってしまった。本当に仲がいい集団なんだと思って胸が苦しくなった。
当然、途中だったシングルス1も棄権で終わってしまったと思っていた。

でも違った。

ひとりだけ。
比嘉の紫のユニフォームに囲まれたコートにひとりだけ、しっかりと立つ赤いユニフォーム。
六角の、シングルス1の。たしか、佐伯くん。

…監督さんに、ついて行かなかったんだ。
きっと、すごく、行きたかったに違いないのに。
彼はひとりの味方もいないコートに立って、真っ直ぐな目で裕次郎を見返していた。
その、目のつよさに。びっくりした。

ただ怒ってるだけじゃない、気がする。
自分の監督をあんな目にあわされて、激昂してむきになってもおかしくない状況で。
なんだろう、怒りだけじゃなくて、すごく静かな何かもあって。
ひたむきな。
引き込まれる目の色。

…やりのこしたこと。



「ほう。これは…」

永四郎が興味深いものを見る目でちょっと笑うのが目の端に見えた。珍しい。

お前まだいたのか、じいさんについてくふりして逃げればよかったのに、なんてことを裕次郎が言って、私はまたむかむかした。情けなく涙があふれてくる。
裕次郎ほんと、もうやめてよ調子乗りすぎ!
後で絶対後悔するからねあんた。ほんとはやさしい子なんだから。

「負け犬」

……は?

「負―け犬! 負―け犬!」

…ちょっ…と。

誰かがぽつんと漏らしたのを切っ掛けに、コートを囲むうちの部員たちが一斉に声を揃えてものすごいコールをしだした。
負け犬って。ちょっと待ってよ!

「ちょ…みんなやめてよ! だめだよ何言ってんの! ほんと何言ってんの! やだよもう!」

みんな面白がって同調しちゃって、私が必死で声を振り絞って止めようとしても全然伝わらない。
ねえほんと、こんなのやだよ。

「永四郎! 止めてよ、これ酷過ぎるよ。かっこ悪いよ!」

泣きながら永四郎に縋りついても、この馬鹿は静かにコートを見続けるばかりで何も言わない。

「桜、お前今日おかしーぞ?」

「おかしいのはみんなだよ! ほんとにこんなんでいいの? テニス楽しいの!?」

テニスを。どんなことでもして勝ち上がるって決めたくらい好きなテニスを。
ちゃんと好きなままで、いられるの?

怒鳴りつけたら、凛はびっくりした目で私を見た。
…みんながテニス好きなことくらい知ってるんだよ。ずっと見てきたんだから。



「…おい、あれ」

戸惑いとざわめきが聞こえてきて目をやると、誰もいなくなった六角のベンチ側に、鮮やかな青いジャージの集団が入ってくるのが見えた。
あのジャージってたしか…。

「青学?」

あ、そうだ青学。関東大会優勝校。次に当たる相手。

青学の選手たちは、ひとり残った佐伯くんの応援に来たようだ。口々に彼に声をかけている。
その様子から、もともと仲がいい学校同士のようだと推測だけど感じた。

あ、佐伯くんがちょっと笑った。

…よかった。
なんだか物凄くほっとして泣きそうになった。

ごめんなさい、佐伯くん。私にはあなたを応援する資格はないけど。
こんな馬鹿でもやっぱり心の底では裕次郎を応援してしまうけど。
あなたがひとりじゃなくて、すごくすごくよかった。



酷い野次の中再開された試合は、今までのような一方的な流れとはいかなかった。
裕次郎が戸惑う場面があった。これだけのリードから追い上げられるのは、彼にとっては初めての経験に違いなかった。
佐伯くんの冷静な、ひたむきなプレー。
こんなプレーをする選手と今まで当たったことはなかった。
私は瞬きも忘れて試合に見入っていた。

かなり巻き返されたけれど最後は裕次郎の打った球がコートに刺さって、比嘉中は全勝で1回戦を終えた。

「よっしゃ!」

無邪気に笑う裕次郎は、途中からすごく楽しそうだった。
裕次郎の考えなしで単純なところ、好きだけど、今は複雑な気持ちでまた泣きそうになる。

こんなに喜べない勝利は初めて。

憧れだった全国大会の緒戦突破の喜びで、悪乗りした部員たちがまた「負け犬」と囃したてる中、佐伯くんはこちらを一瞥もせずに走って行く。…監督さんの所に、行くんだろう。

ここにいられなかった六角中の選手を代弁するような態度でこちらを見据える青学の選手たち。
こんなやり方で、彼らとも戦っていくつもりなの?
そんなの絶対駄目だよ。

「桜!? どこ行く!?」

私は、自分でも気付かないうちにその場から駆け出していた。





沖縄の力を全国に示す。沖縄の時代をつくる。
どんな理不尽なしごきにだって耐えてきたみんな。
ラフプレーも時にはしてきた。
…だから麻痺しちゃった?

なんでテニスしてるの。
武術の世界でトップを狙える実力者だったくせに、なんでわざわざテニスを選んだの。

好きだったからでしょ。楽しかったからでしょ。

誰か、みんなに思い出させて。
…友人の窮地に駆け付けた、青学の選手たちの目を思い出す。
気付かせて、あげて。私じゃ駄目だから。お願い。





「うわ! 大丈夫かい!?」

どん!とやわらかい衝撃があって、頭のすぐ上で人の声がして、誰かにぶつかったんだと解った。
夢中で走っていたから、人にぶつかっちゃたんだ。私って迷惑だな…。

「…ごめんなさ、い…」

謝りながら目を上げて、絶句する。よりにもよって。

「怪我はない? …あれ、君…」

「……っ!」

思い切りぶつかられたのに受け止めてくれて、こちらの心配までして覗きこんでくれていたのは、佐伯くん、だった。

「ごめんなさいっ!」

私は慌てて彼から離れる。
佐伯くんは「いや…」と言ったきり複雑に黙り込んだ。私の紫のジャージを認識したんだろう。
きっと嫌な感情しかない、最悪の学校の、マネージャー。

ぐっと唇を噛みしめて、もう一度「ごめんなさい!」と深く頭を下げる。
佐伯くんの「え?」と戸惑う声が上から聞こえた。

「うちの学校が! 監督さんに怪我をさせてすみませんでした! …ひ、…ひどいこと、言っ…、て…、しつれ…しつれいなたいど……ほんとにごめ……っ」

途中から嗚咽がこみ上げてきて声にならなくなった。
私の馬鹿! 今泣くなんて最低。
涙で許してもらおうとしてるみたいなものだ。最低最低最低!

涙止まれ止まれって、むきになってごしごしと目を擦っていると、ぽつんと静かな声が降ってきた。

「…それは、君の意志で?」

「え……」

きみのいしで。
比嘉中総意での謝罪なのか、私の勝手な一存なのか、訊かれてる?

「あっ…」

忽ち恥ずかしくなって情けなくなって、また涙がぶわっと溢れてきた。
…私ひとりが、勝手に突っ走ってる、だけだった。
裕次郎も永四郎も、悪かったと思ってなんか、きっといない。…なさけない。苦しい。

今ここで泣くのはほんとに卑怯だ。わかってるから止めなくちゃって思うのに、溢れてくる涙は全然止まらなくて。目を擦りながら、しゃくりあげてまできちゃって。嗚咽が声になる。
…もうほんと私最低。あいつらのこと言う資格ない。

頭を下げたまま答えられずにいたら、「うんわかった」と言う声と同時に頭を撫でられた。えっ…。

「俺が泣かせてるみたいだから、もう顔上げてくれるかな」

「! ちがっ…!」

そんな誤解を受けたら佐伯くんに申し訳なさすぎる。私は慌てて顔を上げた。
…佐伯くんは、穏やかな目で私を見ていた。

「君、さっき試合中、野次を止めようとしてくれてたよね。ありがとう」

「ふえぇ!?」

変な声出た! まさか見られてたなんて思わなくて。
だって、あの状況で、あの試合の中で。なんでそんなとこまで目が届いてるのこの人。
少し遅れて、この人副部長だったって思いだした。
部長があの元気な1年生の子で。試合前にデータを見て部長が1年生って珍しいなって思ったの覚えてる。試合のあいだ、元気な部長と自由な部員をなんとなくまとめていたのがこの佐伯くんで、お兄さんみたいな印象だった。……うちの副部長とは大違いだ…。

「…そちらの事情は分からないし、オジイ…監督のことは彼らが変わらない限り許す気にはなれない。でも君の言葉は嬉しかった。ありがとう」

「……」

…そんな、誠実な目で。
お礼言ってもらえるようなこと何もない。
そんなきちんと、話してもらえるような資格ない。

冷静な言葉。でも心の中は絶対、傷ついてるはず。
大事な監督をあんなふうに傷つけられて。チームメイトを馬鹿にされて。あんな野次の中でひとりで戦った。本気も出してない、ふざけた態度の相手と。

私のことなんか、無視してくれたって、怒鳴りつけてくれたっていいのに。

…やだますます泣けてきた……。

「ひっ…、う、うわあああああああんっ!」

「ええっ、ちょっ…」

「うわあああああああんごめんなさああああい!!」

佐伯くん思いっきり困ってる。周りの注目集めまくってる。そりゃそうだ。
私ほんとに…謝罪どころか余計迷惑かけてる。もうなにやってるんだろう。
自己満足の為に謝って。優しい言葉かけてもらって泣くなんて。
迷惑。超、自己中。最低だ。

でも佐伯くんは、困った顔はしたけど嫌そうな顔はちっともしないで、苦笑いしながら小さい子にするみたいに私の頭を撫でてくれて…それから苦笑じゃなく、ほんとに面白いみたいに、ぷっと吹き出した。

「なんか、そんなに素直に泣かれちゃうと、こっちまでちょっとスッキリした気分になるね」

…気遣いできすぎだよ。もう。

そしてたった今気付いたけ私も私だけど、このひとすっごいかっこいい。美人。
で、笑顔がめちゃくちゃ甘い。うわ、なにこれ。

なんで今ドキドキとかしてんの!
ほんと馬鹿じゃないの私。不謹慎。最低。

なんとか嗚咽を引っ込めた私を見て、佐伯くんはほっとしたように笑って(それがまた無駄に眩しすぎる笑顔で)、「あんまりきれいじゃないかもしれないけど」と小さいタオルハンカチを差し出してくれた。

「ごめんなさい…」

そこまで優しくしてもらう資格ないって思いながらも、実際このぐちゃぐちゃの顔をなんとかしなきゃいけないのは事実だったから、私はおずおずとそれを受け取った。

「俺、病院に行かなきゃいけないから、送れないけど。ちゃんと戻れる?」

「あ! それは大丈夫です! そんな気使わせちゃってごめんなさい! はやく行って下さい!」

そうだった。
佐伯くんは私の相手してる暇なんてないんだった。
すぐにでも監督さんとチームメイトのところに行きたかったのに違いないのに、私なんかとちゃんと話してくれて、ほんとうにできたひとだ。

…無理、してるんじゃないかな。なんか。

「うん。それじゃ」

佐伯くんは走り出そうとして(やっぱり急いでたんだ)、思い出したようにまた立ち止まって私を振り返った。何?

「さっき仲間と電話繋がったんだけど、うちの監督、大丈夫みたいだから。あれでかなり強い人だから。あんまり気に病み過ぎないでね」

「……っ」

ちょっ…。もう、ほんとに。
どこまでできたひとなんですか佐伯くん。

じゃあね、って今度こそ走り出した背中を見送りながら、私は茫然と佇んでいた。

「…どうしよう」

どうしようもない。

出会いも何もかも最悪すぎる。
今このタイミングで…好きになってしまったって、どうしようもない。
佐伯くんに迷惑だ。伝える事なんて絶対できないし、叶う望みなんて万が一にも有り得ない。
比嘉中にだって迷惑だ。全国大会の最中に。これから、戦い方を見つめなおしてほしいって話をしようとしてるときに、そんな不純な。不謹慎すぎる。

それなのに。

「…どうしよう」



もう、ほんと、どうしようもない。


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