太陽が落ちて来た






バレンタインデーに紙袋いっぱいのチョコレートを持ち帰る男(それも、大きな紙袋3つ分!)、それがサエちゃん。
私の好きな人。



『六角中のバレンタインはいろいろと凄い。特にサエさん、あれは特別』

一足先に入学したダビちゃんに聞いていたし、サエちゃんが女の子にもてるのは分かり切っていたから、覚悟はちゃんとできてるつもりだった。でも初めて手作りしたチョコレートを抱えて3年生の教室に行った時、私の覚悟なんて全然全く足りてなかったんだと思い知らされた。
休み時間、廊下ぎっしりの女の子。3年生も2年生も、私と同じ1年生もいっぱい。みんな気合入れておしゃれして超可愛い。その子たちみんながサエちゃんにチョコを渡す目的でここにいる。
がああああん。
綺麗な包装紙でラッピングされてリボンをかけられたチョコの山。この中に紛れたら私の不器用な手作りチョコなんてはっきり言ってゴミだ。
ちらりと覗いた教室の中で、サエちゃんは笑顔でチョコを受け取っていた。どの女の子にも同じ、整った優しい笑顔を向けて、「ありがとう」って一人一人に丁寧に。ああこれはもてるわけだよな。
サエちゃんにチョコを受け取ってもらえた大人っぽい綺麗な先輩がぱあっとほっぺたを赤くして泣きそうな顔で笑って、ぱたぱたと駆け足で教室を出てきた。細くて長い綺麗な脚。私の横を通った時とてもいい匂いがふわんとした。…ああ、サエちゃんは普段こんな素敵な女の子たちに囲まれてるんだと思ったら、どきどきしてた気持ちがしょわしょわと小さくなっていくのがわかった。冷めたスフレがしぼんでいくみたいに。
気が付いたら私は誰にも気付かれないように、バレンタンの熱気あふれる廊下をくるりとユーターンして、こそこそと1年生の教室に逃げ帰っていた。渡せなかった初めての手作りチョコは机の中に押し込んだ。後で自分で食べよう、こっそり。
ほろ苦く切ない、初めてのバレンタインデーの思い出。

──そう思っていた、のに。



「やあおはよう桜ちゃん。時間ぴったりだね」

今、私の目の前には私服のサエちゃん。黒いジャケットも細身のダメージジーンズも超かっこいい。

「お、おはよ……」

答える私も私服。手持ちの少ない服の中から精一杯可愛く見える服を頑張って選んだ。滅多に履かないスカートの裾が気になってしょうがない。滅多に履かないタイツの感触がむずむずする。滅多に履かないブーツもちょっと歩きにくい。
サエちゃんは楽しそうに笑って「じゃあ行こうか、デートだね」と言った。

デート。
これ、夢じゃないのかな。



二つ年上のサエちゃんは、小学生のとき引っ越してきたときから他のどんな男の子とも違って、きらきら光り輝く存在だった。オジイの遊び場で初めて会ったときから、私にはサエちゃんがぴかーって光って見える。そこだけお日様がさしてるみたいにぽかぽかとあったかく見えるのだ。他の誰のこともそんなふうには思えない。人を恋しく思う気持ちを、私はサエちゃんから教わった。
だけど残念ながら、サエちゃんがきらきらして見える女の子は私だけじゃなかった。優しくてかっこよくて誰にでも穏やかに接するサエちゃんは、六角の女の子たち(と、一部の男の子たち)の初恋泥棒さんだった。そりゃもう、鮮やかにハートを掻っ攫って行くアイドルさんだった。サエちゃんは一人しかいないのにサエちゃんを欲しい女の子はたくさんたくさんいて、私のちっぽけな気持ちなんて、一人で食べちゃった下手くそな手作りチョコと一緒に誰にも知られずに消えていくんだと思っていた。
それなのにそれなのに。
誰から聞いたのか(多分ダビちゃんあたりだとは思うけど)サエちゃんはバレンタインデーの翌日に私のところに来て、「桜ちゃん、昨日チョコくれなかったね。待ってたんだけどなあ」なんてにこにこして言うから。私はぽかあんとした後、「うそだあ」と呟いた。

「嘘じゃないよ。去年約束したじゃない。来年は手作りのチョコをくれるって」
「それは……言った……ていうかサエちゃん覚えてたんだ」

去年、中学2年生のサエちゃんと小学6年生の私。翌年同じ中学の制服を着たら少しは近づけるような気がして、そのとき頑張って思いを伝えるつもりで、「期待しててね」なんて言った。サエちゃんは他の子にするように頭を撫でてくれながら「ありがとう」って言ってくれたけど、そんなの、サエちゃんにとってはよくある日常の出来事のひとつに違いないと思ってた。すぐ忘れちゃうだろうって。

「ひどいなあ。ちゃんと覚えてたよ」
「ごめん…」

覚えててくれたことがうれしくて、わざわざ1年生の教室に来てくれたことがうれしくて、ちょっと泣きそうになった。そうしたらサエちゃんは自分が責めたせいで私が泣きそうになってるって勘違いしたみたいで、慌てて頭を撫でてくれた。

「ごめんごめん、気にしないでいいんだよ。俺が勝手にしつこく覚えてただけだからさ」

頭を撫でてもらえるのは、うれしい。けどちょっと寂しい。子供扱いされてるみたいで。
私が本当に欲しいのはそれじゃなくて……それじゃなくて、なんだろう?

「あのね、ほんとは作ったの。それで持って行ったの。サエちゃんの教室まで」
「えっ…」
「でもなんか渡せなくて、結局自分で食べちゃった」
「ええっ!?」
「あんまり美味しくなかったから、あげなくてよかったと思った。ごめんね、サエちゃん」
「えええー…」

なんだか複雑な表情で黙りこんだサエちゃんは、少し考えるそぶりをしてから真っ直ぐに私を見た。
わあ。
やっぱり、真っ直ぐ見られると好きだなあって思う。綺麗な目だ。優しくて一生懸命な。

「じゃあ桜ちゃん、俺とデートして」
「…………はい?」

返事が遅れた。だって、何が「じゃあ」なのかさっぱり分からなかったから。

「俺の為のチョコ食べちゃったお詫びとして、俺に一日付き合って」
「…………」

ぽかあん。
私は多分ものすごーく間抜けな顔でサエちゃんを見上げていたに違いない。サエちゃんはぷっと吹き出すと笑いながら、「だめ? 無理にとは言わないけど」と言った。

「……だめじゃ、ないけど」
「よかった。じゃあ今度の日曜日、大丈夫?」
「……だいじょうぶ、だけど」
「うん。それじゃ10時にね、迎えに行くから。じゃあね」
「…………」



それが数日前の出来事。
そして今、サエちゃんと並んで歩いてる。慣れないスカートなんて履いちゃって。

やっぱり夢じゃないのかな。



「桜ちゃん、行きたいところとかある?」

歩きながらサエちゃんに訊かれても、私はサエちゃんと二人きりって今の状況にぽやぽや舞い上がっちゃってそれどころじゃないのだった。

「行きたいところ…?」
「うん。映画でも買い物でもなんでも付き合うけど。俺が無理に誘い出したようなものだし」
「えっと…」

映画。今何かやってたっけ。ああでも、サエちゃんが隣にいるのに映画に集中なんてできないに決まってる。買い物だって、私の好きなお店はサエちゃんにはきっと子どもっぽ過ぎてつまらない。きっと飽き飽きさせてしまう。

「そうだ、桜ちゃん動物好きだよね。動物園行く? 水族館でもいいよ」

動物園も水族館も大好き。サエちゃんと一緒に行けたらすごく素敵だと思う。でもでも、今はそういうところじゃなくて、そうじゃなくて。

「サエちゃん」
「うん? なに?」

名前を呼んだらちゃんと振り返って目を覗き込んでくれる。そういう、人に対する丁寧な仕草や真面目なところが大好きだ。

「サエちゃん、私、海に行きたい」
「海…?」
「うん、海。駄目かな?」

今日という日は、きっと神様がくれたチャンスだって思った。
バレンタインチョコひとつ渡せないまま臆病に一人よがりで終わってしまう初恋を、可哀想に思ってくれた神様がくれたチャンスの日って。
私が、幼い初恋に区切りをつけてちゃんと次に進めるように──ちゃんと告白して、ちゃんと失恋する。今日はそのためのデート。きっと。だから。

季節外れの海へのお誘いを、サエちゃんは少しだけ考えてるふうだった。そうだよね、まだ風がとても冷たいもの。こんな季節に海に行くのはサーファーさんくらい。

「──うん。いいね、海」
「…えっ?」
「俺もね、海が一番好きなんだ」

……断られるかと思ったのに。
そうしたら、ごめんねって謝ってサエちゃんの好きな映画でも動物園でもどこにでも行って、ただ今日を楽しく終わらせてしまおうって思ってたのに。
すごく、今まで見た中でも一番に優しい顔でサエちゃんが笑って頷いてくれたから、なんだか泣きたくなった。





風はやっぱり冷たいけれど、思ったほどじゃなくて、海は穏やかに凪いでいた。
空気が澄んでいるから水平線まで綺麗に見える。冬の白っぽい空を鏡のように映す水面はつややかで、ところどころに小さな波がきらきら光っていた。

「桜ちゃん、足元気を付けて」

サエちゃんが気にしてくれるけど、砂浜には慣れてる。ブーツでだって平気。

「サエちゃんサエちゃん、ほら、綺麗な貝殻見つけた!」

割れてない綺麗な形の、つるんとピンクや白の貝殻を見つけるのはちっちゃな頃からの私の特技。
「はい、あげる。チョコレートの代わり」ってサエちゃんに渡してあげたら、サエちゃんは笑いながら「ありがとう、大事にするよ」と言ってくれた。

波の音はいつでも私を勇気づける。大好きな海が後押ししてる。

「サエちゃん」
「うん」
「私、サエちゃんが好きなの」

……あんなに怖かったのに、するんと言えた。ちゃんと声になった。
やっぱり今日はチャンスの日だったんだ。ありがとう優しい神様、って思った。

「ずっと、小学校の頃、サエちゃんが東京から転校してきたときから、ずっと好きだったの。あのね、サエちゃんはね、お日様みたいにぴかぴか光ってるの。私には」
「…桜ちゃん」
「ほんとはね、バレンタインにちゃんと言いたかったの。チョコも頑張って手作りしたんだ。でもね、なんか、サエちゃんが女の子に囲まれてるの見たら、言えなくなっちゃったの。ごめん」
「……」
「今日言えて良かった。誘ってくれてありがとう。サエちゃんとデートできたこと、私絶対忘れない」
「……桜ちゃん、あの、ちょっと待って」

ぎゅ、と手首を掴まれた。びっくりした。

「……サエちゃん?」

見上げたサエちゃんはちょっと赤い顔をしていた。またまたびっくりした。

「桜ちゃん、君もしかして、一人で終わらせようとしてるよね」
「え」
「それは少し待ってくれないかな。せめて俺の話も聞いてからにして」

俺の話、って。
まじまじと見つめた私の目を、真っ直ぐに見返してくるサエちゃんの視線の強さに心臓が音を立てた。あれ、なにこれ。
…駄目だよ。あんなにたくさんの綺麗な可愛い女の子に囲まれて笑ってるサエちゃんが、私みたいな子どもを相手にしてくれる筈ないんだから。今日は、ちいさな友達との約束を覚えててくれた優しいサエちゃんが付き合ってくれただけなんだから。期待、とか。したら駄目。

「…桜ちゃん、俺、本当はあの日教室で桜ちゃんを見たんだ」
「え」

あの日、って。

「バレンタインの日。廊下にいた桜ちゃんが目に入って、声をかけようとしたら君はすぐに行ってしまって」
「あ……」

あー…それは…、はい。サエちゃんのあまりのモテッぷりに怖気づいてユーターンした、あの場面を見られてたってことだ。
サエちゃんさすがだなあ。動体視力が自慢なだけある。普通あの距離で気付けないよね…。
やだな恥ずかしいなってあわあわしてる私に構わずに、サエちゃんは真面目な声で続けた。

「凄く気になったんだ。自分でも驚くほど。あの時まで君は、可愛い妹みたいな存在の後輩だったのに」

ざああって、静かな波が打ち寄せる音がやけに響いた。心の中まで届いたみたいに。
波の音と一緒にサエちゃんの言葉がすとんと胸に落ちてくる。サエちゃんの綺麗な目の中に、目を真ん丸に見開いた私がくっきり映ってた。

「泣きそうな顔してた。ただ泣きそうなだけじゃなくて、それを堪えてる顔。でも傍目からは普通にしか見えない、一生懸命に平静を作った顔。そんなふうに見えた。俺の勝手な思い込みかもしれないけど」

今もそう見える、と言いながらサエちゃんの手が伸ばされて、私のほっぺたに触れた。

「桜ちゃん……泣いてる?」

なんで。そんなふうに見えるのかな。

「…泣いてないよ」
「そうだよね。でももう小さい妹みたいな女の子の顔じゃないね。女の顔してる」

どきりとした。心臓が跳ねて飛び出るかと思った。
実際体がびくんと震えた。
…サエちゃんの口から「女」って単語が出た事にどきどきして、それが私を指してる事に更にどきどきして。

「ごめん、驚かせたね」

ふわりと遠ざかろうとするサエちゃんの手が寂しくて、気付いたらサエちゃんの大事な左手、私の両手でぎゅうっと掴んで抱きしめてた。

「…桜ちゃん?」

私を見るサエちゃんの目が揺れてる。困らせてる。でも子どものわがままに困ってるんじゃない。私を女の子として見てくれて、そして動揺してる。…そう解った瞬間にもう我慢できなくなった。

優しい神様ごめんなさい。終わらせるなんて無理です。失恋したくない。この恋を手放したくないです。

「……好き。サエちゃんが大好き」

優しいありがとうもごめんねも聞きたくない。体の奥から突き上げる初めての気持ち。とても身勝手な想い。

「サエちゃん、サエちゃんお願い。私の事好きになって。私のものになって」

…嫌われるって思った。でも言わずにいられなかった。祈るみたいに目を瞑って一気に言った後は、静かな波の音だけがその場に響いていた。

「桜ちゃん」

サエちゃんの声にびくりと肩が震える。次になんて言われるかは分かってる、「ありがとう、でもごめんね」ってそう言われるんだ。優しい優しいお兄さんの顔で。そして頭を撫でてくれる。いつもみたいにほら

「俺も君が好きだよ」

…………。
たっぷり10秒はフリーズしてたと思う。だってそんなの、そんな筈なくて。

「心の中で泣いてるのが分かる。なりふり構わず追いかけたくなる。そんなふうに思った女の子は君が初めてだ。……俺は、もてるってよく言われるし告白されることもあるけれど、本当は全然慣れてないんだ、そういうの。自分からデートに誘った女の子は桜ちゃんが初めてなんだよ」
「…………」
「君に、他の女の子からチョコレート貰ってる場面を見られたのが酷く後ろめたくて。それなのに君が傷ついた顔をしてくれた事に内心酷く喜んだりしてて。最低だろ? 君からのチョコが欲しくてわざわざ教室まで押しかけて、自分で食べちゃったって聞いて本気でショックを受けたりしてさ…」
「…………」
「無理矢理デートの約束させたりして。デートなんてさ。その響きにどきどきしたりして。そういうの全部、桜ちゃんが初めてなんだ。君が好きだ。君が俺を想ってくれてた時間には及ばなくても、気持ちではきっと負けてない。だって今こんなにどきどきしてるから」
「…………」
「…………桜ちゃん、何か言ってよ」

私は馬鹿みたいにぽかあんと立ち尽くしたままサエちゃんを見上げて、その綺麗な唇から零れ落ちる夢みたいな言葉の数々を全身で聞いていた。ひとつも漏らさないように。
サエちゃんをずっとずっと好きで、いつも見てきた。だから分かる。お世辞とか嘘じゃない。サエちゃんが本気でそう思ってくれてること。本気で私を。

「…………サエちゃぁん」

情けない泣き声しか出なかったけど、サエちゃんは「うん」ってほっとしたように笑ってくれた。

「サエちゃん、私うれしい」
「うん。俺も。……はは、なんか照れるねこういうの」

それから、抱きしめてくれた。全然慣れてる風じゃなくて意外だったけどそれが却ってうれしかった。ぎこちない腕が愛しくて。

「…ほんとに、俺、皆に思われてるほど器用じゃなくて。いろいろ拙いけど、大事にするから」

頭のすぐ上から聞こえてくる声。さっきから震えてるのは自分なのかサエちゃんなのか両方なのか、もう分からなくなるくらいの距離で。

「……お日様に包まれてるみたい」

呟いたら、サエちゃんがくすくすと笑った。

「俺は海を抱いてるような気がするよ」

──海。サエちゃんが一番に好きなもの。

じわりと涙が出てきて、夢じゃありませんようにって必死で願った。
神様。ありがとう。
この先何があっても、ずっとずっと、この人を大事にできますように。


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