雷鳴とこども






ちっちゃな頃、目の前で雷が落ちる瞬間を見たことがある。

公園で遊んでいたら急に降って来た大雨に、慌てて大きな木の下に隠れた。そうしたら一緒にいたサエが「そこじゃだめだよ、こっち」って滑り台の下の狭いスペースに私を引っぱって行った。そこは本当に小さな空間で、横殴りの強い雨を防ぐことなんてほとんどできなくて、私は文句を言った。「ここじゃぬれちゃうよ、やっぱり木の下がいい」
サエは、当時からきれいに整っていた顔を引き締めて「だめだよ」と言った。普段優しくて穏やかなサエがそんなにつよい言い方をしたのにびっくりしていると、突然信じられないくらい大きな音がして、世界が真っ二つに裂けたみたいな衝撃と一緒に光が落ちてきたのだ。ついさっきまで、私がその下にいた大きな木の上に。
ばりばりと木の命が砕ける音が響いた。火花が散って、すぐに吹き付ける雨に消されてじゅっと黒い煙になった。一瞬前まで緑の葉っぱが生い茂っていた大木は、途中から折れて真っ黒焦げの炭になっていた。
言葉もでない。息もできない。目を見開くしかできない私の頭の上に、ふわりとあったかい布が被せられた。それで、こわいものが見えなくなった。
「だいじょうぶ」
震える私の体をぎゅうっと抱きしめるちっちゃな腕。それで、サエが自分の上着を私にかけてくれて、その上から抱きしめてくれてるんだって分かった。
「だいじょうぶだよ、桜ちゃん」
おまじないみたいに繰り返される言葉は、少し震えてた。私たちはまだ本当にちっちゃな子どもだったのだ。だけど抱き合って体温を分け合っていると、こわい気持ちは不思議と治まっていった。
「わたしはだいじょうぶだよ、サエちゃんがいるもん」
「……おれがいるとだいじょうぶになる?」
「うん。サエちゃんがいたらだいじょうぶ。こわくない」
ざあざあ降る雨の中で、大人が駆けつけてくれるまでの短いけれどとても長く感じた時間、私たちはずっと抱き合ってちいさく震えてた。そうしないといられなかったから。



当然のことながら、その出来事は幼い私の心にふかーい傷を残した。トラウマというやつだ。
中学生にもなってはずかしいとは思うけれども、今でも雷は大の苦手。真夏の空の下にいても遠くに微かな雷鳴を聞くと体がひやりと冷たくなる。
一方サエはどうかというと、この男は私と違いトラウマのトの字も抱えていないらしい。雷だろうが台風だろうが平然としている。あんなに怖い思いをしたのに信じられない。繊細そうな顔をして実は物凄く図太い奴なのだ。
だけどサエもあの出来事を忘れてはいない事は分かる。

雨が降ると、いつもさりげなく、私の隣に来てくれるから。



「桜」

昇降口で靴を履き替えていたらサエに呼び止められた。バネや樹っちゃんたちも一緒にいる。

「サエ。これから部活? がんばってね」
「ありがとう。あのさ、今日一緒に帰れない?」

サエの真剣な表情から、そういえば、と空を見上げる。
どんよりと曇った暗い空。今にも雨粒が落ちてきそうな、たっぷりと水分を含んで垂れこんだ低い雲。
ああ、また心配されている…。私は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

「大丈夫だよ。傘持ってるし、雷じゃなければ平気」

「でも…」と何か言いたそうなサエを遮って努めて明るく笑って見せた。

「いつもありがとう。でもただの雨ならほんとに大丈夫。私だってもう子供じゃないし、いつまでもサエに甘えてはいられないよ」

サエはちょっとだけ変な顔をした。痛い、みたいな。寂しそうな。でもきっと私の勘違いだったと思おう。いつまでも幼馴染みの優しさに甘えていたら駄目なのは本当だから。私のせいでサエの大事な時間を削るのはいい加減やめないといけないって、ずっと思っていた。

「ほんとありがとね。心配しないで。また明日。バネも樹っちゃんも部活がんばってね」
「おー、サンキュ」
「桜も気を付けて帰るのね」
「はぁい」

笑って手を振る。サエだけがなんだか釈然としない顔をしていたけど、私はえいっと心に気合を入れてその顔を見ない振りをした。



……ええと、実はね、こうなる予感はありました。お約束だよね。
学校を出てすぐ降り始めた雨はあっという間に前も見えない程の豪雨になって、呆気なく傘がぽきりと折れた。ひええええと思っているうちにも雨は強さを増して、私は仕方なく手近にあった無人精米所の屋根の下に飛び込んだ。無人精米所ってご存知ですか。田舎ならではの建物ですが…建物っていうより小屋と言った方が正しい。それでも雨を凌ぐことはできてほっと一息。

ああ、まいったなあ。
人気のない田んぼの中の道。雨はざばざば、まさにバケツをひっくり返したような土砂降り。

サエが心配してるだろうなって思った。この雨じゃどうせ部活は中止だろうし、やっぱり一緒に帰ってもらえばよかったかな。別れ際に見ない振りをした表情を思い出す。世話の焼ける幼馴染みからやっと解放されるって喜んでくれたらいいのに。なんであんなに寂しそうな顔をするの。
私はもうちっちゃな子どもじゃないのに。手を引いて守ってもらわなくても大丈夫なのに。

溜め息をついたとき、空の端がぎらりと光って体が一瞬で硬直した。え、何、嘘。
数秒遅れてガシャアアアアアアアアンと甲高い音が響く。やだやだやだなんで。雷の季節じゃないでしょう。どうしてこんなときに
──ガリガリガリドガシャアアアアアン!

「ぎゃーっ!」

ちょっと待って待ってまって。今度は稲光と同時だった。音同時だった。近い。近いんだけどなにどういうこと。やだやだやだやめてちょっと待って。

情けなくも頭を抱えて蹲る私を嘲笑うみたいに、ドシャアンガシャアンとひび割れるような凄まじい音とぎらぎらした光が空に爆ぜる。やだもうほんとなんでなんでやめて。

音が鳴り響くたび、ちゃちなプレハブの小屋はびりびりと揺れる。ガラスの扉に叩きつける雨。もう泣く。
…大丈夫だって言ったのに。
大丈夫にならないといけないのに。
怖いのと情けないので二重に泣けてくる。もうやだ。

「──桜!」

こわいこわいこわい雷の音じゃなくて、懐かしくてあったかい大好きなその声が耳に飛び込んできたとき、私は何の迷いもなくその腕に飛び込んだ。そこだけ。怖くないのは、私が大丈夫になれるのはそこだけだって本当はずっと分かっていたから。

「っ……、この、バカ!」

しっかりと私を抱きしめてくれながらサエが怒鳴った。いつも穏やかに落ち着いてて誰にでも優しいサエが、こんなふうに声を荒げることは滅多にない。怒鳴られるのなんて初めてだ。
…でもなんでだろう。全然怖くない。むしろもう大丈夫って本当に安心して、私はぎゅううううっとサエにしがみつく腕に力を込めた。

「何がもう大丈夫だよ! 全然大丈夫なんかじゃないくせに、見え見えの強がり言うな、バカ!」

怒鳴ってるくせに、本気の怒ってる声を出してるくせに、ちゃんと受け止めて抱きしめてくれる。

「俺がいなきゃお前は駄目な事くらい昔から知ってる。その事に自惚れてもいる。自惚れさせとけよバカ!」
「……バカバカってひどい、サエ」
「桜がバカなんだから仕方ないだろ!」

あ。またバカって言った。ひどい。取り乱してるとは言え口が悪すぎませんか副会長さま…。
でも、サエがこんなふうに取り乱してるのは私の為だって思ったらなんだかへらりと嬉しくなってしまった。ばれたらまた「バカ」って言われるから言わないけど。

「サエぇ」

ものすっごい、力の抜けた情けない声で名前を呼ぶと、サエはようやく私を怒鳴りつけるのをやめて「…大丈夫?」と顔を覗き込んでくれた。

「大丈夫。言ったでしょ、『サエちゃんがいたらだいじょうぶ』って」
「──うん。あのときから桜を一生守るって決めてるんだから、少しはいい恰好させてよ」

そう言ったサエの声も情けなく力が抜けていたから、なんだかすごいことを言われているのに感動する余裕もなく笑ってしまった。

「来てくれてありがとう」
「うん。遅くなってごめん」

そんなことない。本当は絶対来てくれるってどこかで確信してた。もう甘えないなんて言いながら、私も大概ずるくて弱い。

「それでいいよ。俺の前でだけは強がらないでいて」

涙でべたべたの私の顔をあったかい指で拭ってくれて、サエはまた私を抱きしめた。私もぎゅうっと抱きしめ返す。

寄る辺ない子どもみたいに。


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