予定変更






『しんしんと降る雪』

そんなフレーズを、昔何かで読んだ気がする。絵本か、童話か。何かきれいなお話だったと思う。
ガラス戸越しに外を眺めながら、そんなことをふと思った。
重い灰色の空から落ちてくる雪。まさに、「しんしんと」という形容詞がぴったり。

「…止まないね」

私の隣で不二くんが、同じように外を眺めながらぽつりと呟いた。私は頷く。うん、やまないね。

「まいったね。こんなに本格的に降るとは」
「ね。天気予報、大外れ」

顔を見合わせてくすりと笑い合う。
まいったね、と言う割には不二くんはちっとも困っているようには見えなくて、むしろこの状況を面白がってるように見えた。



ここは、山あいの小さな木造の駅。
東京から約3時間。途中でJRから一両編成の単線の電車に乗り換えてコトコト。日帰りの、ちっちゃな旅。旅の目的は凍結した滝の写真を撮ること。私は不二くんの撮影の遠出にちゃっかりくっついて来ただけだ。まあデートと言えなくもない。
駅でお弁当を買って電車の中で食べたり、運転手さん一人だけのワンマン電車に初めて乗ったり、お土産物屋さんの店先を一緒に覗き込んだり、つるつる滑る足元に気を付けながら寒いトンネルをくぐって滝に着いて、きらきらに凍ったその迫力に息を飲んだり。
すごく、楽しい一日だった。
何より、不二くんが撮影している間の時間が一番好きだった。ファインダーを覗き込む不二くんの真剣な顔を間近で堪能できるんだから。ねえ不二くん、今自分がどんなにかっこいいか知らないよね。私は荘厳な滝よりも不二くんの横顔に見惚れていた。

そんなふうに穏やかに順調に進んだ一日。さてそろそろ帰ろうか、という頃になって、文字通り雲行きが怪しくなってきた。
もくもくと湧いた灰色の雲。ぴゅうぴゅう吹きつける北風。山の天気は変わりやすいからねえなんて言ってるうちに、真っ白い雪が。
ひらひら、どころじゃない。まさにずんずん、といった勢いで降って来た。
わあ雪!なんて喜んでる私たちを尻目に、他の観光客の人たちは慌てて足早に去って行ってしまった。今にして思えば交通機関が止まらないうちにと急いでいたんだろう。
のんびり屋の私たちが駅に着いたときには、駅にたった一人の駅員さんが「悪いねえ、今のところ再開の見込みがつかないんだわ」と言って、がらんと人のいない駅舎のストーブに火を入れてくれた。今、そのストーブの上でやかんがしゅんしゅんと白い煙を吐き出している。

「…うーん。ここもだけど、東京の方も凄いみたい。大雪だって」

スマートフォンから顔をあげて不二くんが言う。私はびっくりした。

「ええっ! じゃあ、東京では初雪だ!」
「そうだね。電車も軒並みストップしてるみたいだ」
「うわあ」

それじゃあ、たとえこのローカル線が再開したとしても、家に帰りつくのはいつになる事やらだ。

「うううーん…」

唸ってまたガラスの向こうの雪景色に目を映す。きれい。真っ白な世界。
私と不二くんを閉じ込めるみたいに降る雪。

「桜、困ってる?」

くすり。笑いを含んだ声が耳を撫でる。ばれたか。

「実は全然困ってない。不二くんは?」
「──僕も。不謹慎かもしれないけど、ちょっとはしゃいでる。桜と二人で非日常に取り残されたみたいで」

ねえ、こういうのって少しゾクゾクしない?
かわいく首を傾げて笑ったその目にある光。私はそれにゾクゾクするんだよ、不二くん。

しゅんしゅんしゅん。
ガラスが少し曇り始めてる。ストーブの熱と、やかんの蒸気と、それから私たちの体温で。
ここはなんて静か。

「こんなちっちゃな駅舎なのに、ガラス戸でちゃんと断熱出来るんだね」
「そうだね。おかげで外はあんなに寒そうなのに、ここはすごくあったかい。ね」

ね、って私の手を握りこみながら不二くんが言う。あったかいてのひら。

「不二くん」
「ああそれでも、やっぱり手は少し冷えてるね。桜、そっちの手も貸して。あっためてあげる」
「ええと…」
「爪先もきっと冷たいよね。どこかで靴下脱いであったまらなきゃ」
「あったまらなきゃってあのねえ…」

私が不二くんの言わんとしてることを理解して口を開くのと、改札の向こうの事務室から駅員さんが顔を出したのがほぼ同時だった。
振り返った私と不二くんに対して、年配の駅員さんは「お兄ちゃんたち悪いなあ」と眉を下げた。

「今日はもう動かんわ。もう終電の時間終わっちまった」
「ええっ!?」

終電って。まだ6時前ですよお!?
驚く私とは裏腹に、不二くんは平然としていた。「そうですね。仕方ないですよね」って、おい。

「この辺りの旅館って今からでも入れますかね」

おい!
目を丸くする私を尻目に、不二くんは冷静に駅員さんと話を進めている。駅員さんによれば、滝の方に戻ればいくつかいい温泉宿があるとのこと。

「じゃあ電話入れて迎えに来さすわ。兄ちゃんたち今日は災難だったが、ここは温泉もいいよ。こんな事情だから安くしてもらうから」

駅員さんがからからと笑いながら事務室に戻って行く。
不二くんはそこでようやく私を振り返って、「ごめんね?」とちょっと情けなく笑った。

…ずるい、それは。
そんな顔されたら何も言えなくなるじゃない。
それにこの雪は不二くんのせいじゃない。天気予報でも予測できなかった。さすがの不二くんも天候までを操ることは……できない、よね、うん。

「家に電話、するでしょ。途中で僕に替わって。ちゃんと説明したいから」
「…うん」

こういうところがすごく好きだ。

携帯を取り出す前に、もう一度手を伸ばして不二くんの手に触れてみた。
びっくりした。さっきはあんなにあったかかった手が、冷たくなってて。

「え。不二くんもしかして……緊張してる?」
「…そりゃしてるよ」

悪かったね、頼りにならなくて。
ぷいと顔を逸らす不二くんの耳がちょっぴり赤くて、私はなんだか堪らない気持ちになった。

「不二くん」

私の体温を移すみたいに不二くんの手を握りしめる。

「あのね、部屋、いっしょでいいからね」

ぎょっとして私を見返す表情が新鮮で、ますますかわいいなあって思ってしまった。

「なんだかワクワクするね!」
「……桜。君ねえ…」

不二くんは何とも言えない顔で前髪をくしゃりとかき上げて、それから私の一番好きな笑い方をした。

「…まったく、敵わないね」


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