Episode01




 「―――総司君なんて大ッ嫌い!!」

 ――乾いた音が響き、叫んだ女は走って去っていく。その顔は赤く、羞恥心が丸見えになっていた。
 頬を思い切り叩かれた沖田は、その女にさも興味がないらしく、赤く腫れた頬を手で押さえながら水道を探す。
 女の方には見向きもしない。…それは、沖田にとってはいつものことだった。
 来るもの拒まず去る者は追わず―――。その噂はいつの間にか学校ではとても有名になっていたけれど、沖田にとってそれはどうでもいいこと。
 実際にその噂は本当で、今日のような修羅場になることも多い。

 まあ、実際に今日のように平手をかまされたことも少なくはないのだが。

 それでも、沖田にとってはそれは自分を不快にさせるだけのことであって、罪悪感など感じることはない。
 今日のあの女性も、きっと明日からは自分に付き纏わなくなるだろう。そう思うととても気分が晴れた。

 その気分とは正反対に自分の頬が真っ赤に腫れてきているのに気が付いて、早く水道を探さなければと足を動かそうとした。

 「…あの」

 ふと、鈴を転がしたような綺麗な声が聞こえて沖田は足を止める。
 今の修羅場はほとんどの人が目撃していた。なんせここは街の大通りなのだから。そして恐らく沖田に声をかけた人物もその修羅場を目撃している。
 それを見ていて、なおかつ沖田に声をかけたとなればその人はどれだけ勇気があるんだろう。普通ならそこで関わらないようにしようとするのが懸命な判断だと思うのに。
 目の前に差し出されたハンカチを見ながら、沖田はそう思った。

「…なに」
「腫れてますね。…これ、当ててください」
「いらないよ。…どうしてそんなことするわけ?」
「別に。…ただそのままにしておくことはできないですから。とにかくこれ当てといてください。腫れが引かないんだったら病院にも行ったほうがいいかもしれません」
「ちょっと、僕はいらないって言ったはずだけど」
「さっきみたいな修羅場をこんな公衆の面前で見せられてこっちは気分が悪いんです。そのまま歩かれてもとても寝覚めが悪いですし、大人しく当てておいたほうが賢明ですよ」
「……………」

 優しいのかと思いきや、笑顔でそんなことをサラっと言われて沖田は押し黙る。
 自分の気を引きたいわけでなく、それでもって心配してくれてるのかといえば逆の言葉が返ってくる。
 …そんな厳しい言葉が沖田の興味を引いた。

「ねえ」
「…?」

 ただ、興味が湧いた。ただそれだけ。
 この子のはっきり言うところが気に入ったのかもしれない。…自分から離れようとした彼女の手首を思わず掴む。
 彼女がハッとしたようにこちらを振り返った。そして自分の口元がだんだんと弧を描く。

「…さっきみたいなこと、真正面から目を見てはっきり言われたのは初めてだよ。しかも笑顔付きで」
「はあ…」
「君に興味が湧いちゃった。もう少し話さない?」

 それを言った瞬間、彼女が驚いたように目を見開く。
 大きな瞳がこぼれ落ちるんじゃないかと思うくらいに。…というより元から目が大きいのだろうけど。
 そして、数拍置いて彼女はにっこり笑顔を作る。

 彼女の手首を掴んだ沖田の手を思い切り振り払うと同時に、彼女は言い放った。





「―――ごめんなさい。生憎ですけど、あなたと関わるとろくな目に遭いそうにないので、誘うなら別の誰かにしてもらえますか?」





 ―――1拍置いて、沖田の笑い声がその場に響いた。









 結局、口の上手い沖田でも彼女を言いくるめるのは難易度が高かったようで、そのまま逃げられてしまった。
 …あんな面白い素材はとても久々。街に行ったらまた会えるかな、なんて思いながら沖田はゆったりと通学路を歩く。
 そして、そんな沖田が時間通りに学校につくはずもなく、着いた頃にはHRが終わっていた。
 そこで、不思議な光景を目撃して沖田は足を止める。
 何故か自分の席の方に人だかりができているのだ。男女共に、かなりの人数の人だかりが。

「…ねえ、どいてくれる? そこ、僕の席なんだけど」

 そう言えば、人だかりの一人だった男子が振り返る。人と関わりをあまり持たない沖田によく話しかけてくる男子の一人だ。
 そして、沖田の姿を認めると、笑顔でこちらへやってくる。

「あ、沖田じゃん。良かったなーお前、可愛い子が隣だぞ」
「はあ?席替えでもしたわけ」
「違う違う、転校生だよ。まあお前遅刻だから知らないだろうけどな。お前の隣の席が空いてたからとかなんとかでここに決まったらしくてよ。羨ましいな、交換しろ!」
「別にいいけど…。っていうか転校生って誰?」
「ああ、紹介してねぇよな。おーい雪村ー!隣の席の奴が来たから紹介してもいいかー?」

 後ろを振り向きながらそう彼が呼べば、一瞬その人だかりが沈黙する。
 そして、周りを囲んでいた女子たちの行ってきなよと言う声が聞こえて、小さな影が動いた。
 小さめの身長に艶やかな黒髪。服装は制服だけど、その顔を沖田は知っていた。
 そして、その彼女も隣の席の人物が誰なのか悟ったらしく、あからさまに距離を取られる。

「あれ、転校生って君だったの」
「はい。…あなた、高校生だったんですか。…あ、そうだ、ほっぺたの腫れ、ちゃんと引いて良かったですね」
「うん。君のおかげかな」
「運悪く隣になってしまったのは嫌ですけど、まあしばらくの間よろしくお願いします」

 "運悪く"って。
 笑顔でこういうことをさらりと言ってしまうのだから恐ろしい。
 うっかりこういうことを言って誤解されたりしたことはないのだろうかというのがふとした疑問。

 沖田もその彼女の言葉に笑顔で『うん、よろしくね』と答えてから、軽い自己紹介をする。
 普段ならここでサボるために教室を抜け出すことが多いけれど、今日はそんな気分じゃなかった。
 席について、彼女の方を見る。沖田の視線に気づいたのか、千鶴はこちらをむいて首を傾げた。

(――…可愛いかも)

 かもではなくて実際可愛いのだが。
 とても優しそうで、ふんわりした雰囲気なのに、言うこと自体はとても厳しく刺がある。
 そんなところが面白い。だけど、ふとした時に"面白い"が"可愛い"に変わる。
 これほどまでに誰かを面白いと思ったのも、興味を持ったのも、彼女が初めてだった。

「…どうしました?」
「いや?…それよりさ、君って勉強できるの?」
「まあ一応は」
「ならさ、ちょっと昼休みにお昼ついでに教えてくれない?」

 話す内容が思いつかなくて、それでも無意識に口から出た言葉に、自分へ初めて感謝した。












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