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少女Aの数奇なお散歩生活 


 ゴーストガールから藤木遊作プレイメーカー宛てのメールが草薙翔一に届いたのは、二度目のことだった。
 一度目はSOLテクノロジー社のデータバンクへの抜け穴を賭けてのデュエル。その二日後に届いたメールは直接SOLテクノロジー社にこそ関係していなかったが、遊作たちには見過ごせない内容だった。



「『花の亡霊』?」



 移動販売型のホットドッグ屋の車内で復唱した遊作に、キーボードを操作しながら店主の草薙が首肯した。

 今日遊作が草薙の下を訪れたのはデータバンクへの侵入日時を取り決める為だったのだが、その話を振る前に草薙からゴーストガールからまたメールが届いたことを知らされたのである。



「そいつが何か?」

「最近LINK VRAINSに現れた謎多き新星……なんて肩書、おまえは興味ないよな」草薙は意識的に苦笑し。「――『花の亡霊』がハノイの騎士を倒してる場面を、多くのデュエリストが目撃している。それも何度も」

「なに?」



 ハノイの騎士――遊作にとって、目的を果たす為の障害であり手掛かりでもある連中だ。

 LINK VRAINSを利用するほとんどのユーザーにとって、彼らは災害やテロリストと等しい認識を受けている。LINK VRAINSを管理するSOLテクノロジー社もハノイの騎士に対策を取り始めて久しい。そんな彼らにわざわざ勝負を挑む腕利きなど、カリスマデュエリストでもそう多くない。

 『花の亡霊』が何者であれ、何度もハノイの騎士を撃破しているということは――――



「もしかして……事件の関係者なのか?」

「ゴーストガールからのメールにも、その可能性が示唆されていた。『花の亡霊』が何を目的にハノイの騎士を打倒しているのかは分からないが、接触しておくのも一つの手だと思う。LINK VRAINSを荒らしているわけでもなし、一般ユーザーに危害を加えたりもしていないようだから、放っておいても問題ないだろうが……どうする?」



 草薙からの問いを受け、遊作は逡巡した。



「……接触しよう。もしハノイの敵対者や事件の関係者なら、何らかの情報を持っているかもしれない」

「了解。じゃ、さっそく頼んだぜ。遊作」

「ああ。草薙さんもサポートを頼む。それで、目標対象ターゲットの特徴は?」



 その質問に、草薙の笑みに浮かぶ苦味が色濃くなった。



「それが―――『どこにでもいるような女の子』だそうだ」














 断言しよう。この世界は異常だ。

 どれだけ歩いても疲れないし、お腹も空かないし、眠くもならない。エリア制限のような壁こそないけれど、空模様も景色も変わらない。たぶん景色が変わらないのは、トロン一家のようなトンデモ技術かゲームでいうループシステムみたいなものが採用されているのだろうけれど……。



「参ったなあ……」



 どれだけ歩くことができても、目的地がなければいつまでたってもゴールには辿り着けない。

 うむむ、と私は細道で途方に暮れていた。

 異常に気付いた当初こそ「じゃあどこまでも行けるじゃん!」といけいけどんどんしていたが、現状打破の手掛かりを探してうろつけばうろつくほど、あの仮面の男の仲間みたいな連中にかち合うことが増えたので、いまは小休止として一ヶ所に落ち着いていた。この世界も相応に物騒だったのである。

 副作用的にすっかりこの街にも詳しくなってしまったけれど、詳しくなったところでハートランドへの帰り道が分からないのであれば意味がない。義手や義眼の機能を用いてカイトさんと連絡を取ることも試みたけれど、メールも通話も相手アドレスが存在していないの一点張り。何せ現在地が異世界だ。デュエル機能が生きていただけラッキーだと思うべきなのだろう。



「ほんと、何処なんだ……ここ……」



 不審者連中をデュエルで捻じ伏せることができたので、遊戯王系列の世界であることは間違いないとみていい。アニメ世界ならゼアルまでは知っている私が見当もつけられないということは、ここはそれ以降のシリーズか、あるいはまったく別の独自発達した異世界ということになる。どちらにしても頭を抱えてしまう事案だ。

 まったく知らない、けれど言葉とデュエルは通じる世界に飛ばされることは以前にも経験がある。あのときは彼らに手を差し伸べてもらえたけど、今回は……。

 何度目かの嘆息を漏らしながら顔を上げる。腰も上げる。

 休憩は終わり。
 じっとしていたって、事態は好転しない。

 何事も進展させたいなら、常に何らかのアクションを起こしておくべきだ。立ち止まっている理由が無いなら尚更である。



「よし!」



 自分を奮い立たせるためにぐっと両手を握り、大通りに出る。



「さて、と。行く、か……な…………?」



 この街はそれなりに大きい。ちょっとした地方都市並みの発展を誇っていると私は目している。

 なので、大きな十字路に差し掛かると、大画面の液晶が設置されていたりする。

 その液晶が正常に作動していることは私も知っていた。あちこち散策している間に、何度も前を通りがかったからだ。いつもそこには派手な外見のデュエリストが誰かしら映っていて、この世界ではこういうのが流行なのかな、でも見かける人達のほとんどはわりと普通だよな、なんて思っていたりもしたのだ。



『さあ! 今日のLINK VRAINS特集は! 最近話題の謎解きデュエリスト、「花の亡霊」についてです!』




 その、液晶に。いま映っているのは紛れもなく≪妖精騎士イングナル≫で。
 この世界では数少ないエクシーズモンスターで。
 私の、カードで。



『突如颯爽と現れた彼女は、いまやハノイの騎士を何人も倒しているカリスマデュエリスト! アカウント名を含めたプロフィールを一切公開していないのは、カリスマデュエリストとしては異例ですね。あのプレイメーカーですら、アカウント名は公表しているわけですから。ともあれ、現在LINK VRAINS内外では『花の亡霊』を応援するファンが続出しています! 彼女に影響され、エクシーズモンスターに興味を持つデュエリストも多いとか!』




 ≪イングナル≫の傍らに映っているのは、後ろ姿だから顔こそ映ってないけれど、間違いなく私だった。



『LINK VRAINSで幾度もデュエルしている姿が目撃されている彼女ですが、残念ながらその勇姿をカメラに収めた者はまだおりません! 監視カメラをも上手くかいくぐるそのスルースキルは、いったいどこで身に着けたのでしょうか? 現在の画面は、彼女のデュエルを収めた数少ないものです』




 いやそれはたまたまなんですけど。監視カメラとかあったのか、ここ。



『この謎めいた美少女に惹かれ、「花の亡霊」目当てにLINK VRAINSにアクセスするユーザーも増えました。ぜひとも自分とデュエルを、と望む者も多いそうです。私も機会があったらお願いしたいですね! では今日はこの辺で!』




 ……美少女? 誰が? 自他共に認める凡庸な私のことを言っているわけじゃあるまいな?

 マスメディアは話を盛るものだけど、盛られる側の気持ちも考慮してほしい。もし私のことを美少女と信じて疑わない純朴な美少年がいたらどうするんだ。いざ実物を見たときに純朴な美少年がどれだけガッカリすると思ってるんだ。いやまずそんな純朴な美少年がいるかどうかも謎なのだけど。

 ――いや待て。落ち着け。落ち着け、私。いま提議すべきはそこじゃない。

 LINK VRAINS―――画面のアナウンサーはそう言っていた。内外、とも。

 つまりこの世界はLINK VRAINSと呼ばれていて、外がある。外に別の世界がある。

 思わぬ形ではあったけれど、これは大きな前進だ。世界の名前を把握し、外があることを理解した。

 一度大きく深呼吸しようと瞼を閉じて、



「こっちでさっき『花の亡霊』のモンスターを見たってよ! まだいるかも!」



 ――大勢が慌ただしく駆け寄ってくる足音を耳にした。

 カッと目を開けて、知らずピンと背筋が伸びた。泡を食って、元の細道に舞い戻る。

 ――が、そこにもすぐに足音が近付いてきたので、また逃げる。目的地こそないけれど、あちこちうろついていたおかげでこの街の地理には随分と詳しくなった。人気のない、ヒトなんて全然いない道を選んで逃げる。それでも人海戦術とは――ヒトの無根拠な噂とは恐ろしいもので、どこに逃げてもすぐに誰かが追いかけてくる足音を耳にした。

 ……冷静に考えれば、マスメディアに『美少女』呼ばわりされている私を探しているのであれば、モンスターを召喚している姿を見られない限り、彼らが探している私と実際の私は同定されない。いっそ堂々と街中を歩いていた方が見つからないだろうに、そんな簡単なことに思い至らない程度には、私も動揺していたようだった。



「いまこっちに誰か走ってったぞ! もしかしたら『花の亡霊』かも!」



 そういう無根拠な言葉はよくないと思うな! なまじ当たってるだけにさ!

 気付けば廃墟地帯みたいなエリアに踏み込んでいた。薄暗くて、どことなく不気味な場所だ。根暗な私としては何となく落ち着く場所なのだが、およそヒトが住める場所ではないとも思う。そのせいで散策が比較的疎かになっていたのだが、それが仇になった。



「やば、行き止まり!?」



 後ろからは誰かが追いかけてくる足音が刻一刻と近付いてくる。

 前方には分厚く、高い壁。左右はいかにも固そうな灰色の壁。一本道の行き止まりだ。

 ついに命運も尽きたかと思われたそのとき、誰かが空から降ってきた。



「え――――!?」

「声を出すな。見つかるぞ」



 まだ若い少年の声だった。へたしたらカイトさんと同じか、それ以下ぐらい。

 降ってきた少年は私を抱えるように壁に手をつくと、険しい目付きで背後を窺った。壁と相手にサンドイッチされて、私は何ともいえない圧迫感を覚える。

 入り口から見えないように隠してくれたのだと気付くまで、幾ばくかの時間を必要とした。

 追いかけてきた足音の誰かが、一本道の入り口で立ち止まった気配がした。



「おい、そこの! こっちで『花の亡霊』らしい美少女を見なかったか!?」



 私が身動ぎするよりも、少年が答える方が早かった。



「いや。誰も見なかったな」

「んじゃ、いいや」去りかけた足音がすぐに止まる。「……いや待て。おまえの体勢、なんか変じゃないか? 誰か隠してないか?」



 本当に良い勘してるな、こいつ!

 思わず息が詰まりかける。

 目に見えて動揺した私とは違い、少年は平然とした様子でこちらを一瞥したと思えば、



「ああ、俺の恋人がいる。だが、壁みたいな胸をした女だぞ。見るなら見て、さっさとどこかに行ってくれ。これ以上、他人に水を差されたくない」



 ………………………落ち着け落ち着け落ち着け。彼は私を隠してくれている。いま殴ったらバレる。色々とバレる。



「あー、はいはい。こんなところで何してるんだと思ったら、そういうことか。邪魔して悪かったな。お詫びにこの辺の人払いしとくから、しっぽりやっとけよ」

「なんだ、見ないのか」

「他人の女見るほど暇じゃねーよ。じゃ、『花の亡霊』見つけたら教えろよなー」



 ああ、と少年は依然穏やかな調子で了承を返した。

 まもなく誰かが走り去っていく気配がした。周囲で聞こえていた人のざわめきが徐々に消えていく。



「……行ったか」



 少年は誰に言うでもなく一人ごちて、ようやく私から身を離した。

 そうして、やっと私も彼をまともに正視した。

 独特過ぎる髪型と毛色。それに相反するかのような、万人受け間違いなしの整った顔立ち。ピッチリとしたライダースーツのような衣装のせいで、細すぎる腰や男の子らしい肩幅がよく分かる。

 ……なんていうか、そう。全体的に、とても、目のやり場に困ります。
 こんな衣装で堂々とできるそのメンタルは見習いたいような、見習いたくないような。

 ところで――ちょっと。そう、ちょっっっっっとの恨みが、ついさっき出来てしまったので。



「誰の胸が壁だ――――――ッ!」

「ぐうっ!?」



 我ながら見事な昇竜拳をうっかり決めてしまった。

 うっかりだからセーフです。うっかりだから。悪意はないから。敵意はあったけど。














「でんのうたい……?」



 ああ、と透明な壁を隔てた向こう側で草薙と名乗った男性が頷いた。



「いまのおまえはどう考えても電脳体アバターだよ」

「……ええと。ちょ、ちょっと待ってくださいね」



 猶予を求めるように右の掌を向けると、彼は「こっちはいくらでも待つぞ」と笑ってくれた。

 その優しさがいまはとてもありがたい。しかし与えられた真実は、些か以上にありがたくない。

 ――曰く、いまの私は電脳体であるらしい。

 あの世界――LINK VRAINSで活動できる生命体は電脳体のみ。自然と私もその定義に当て嵌められる。そして何より、助けてくれたあの少年と違って、私は単独で脱出ログアウトが出来なかった。電脳体アバターに紐付けされたデュエルディスクや、生体認証された生身の体が現実世界に存在していないとこうなるらしい。いまはあの少年のデュエルディスクに仮設定で紐付けしてもらい、一時的にログアウトを果たしている。

 いまはデュエルディスクに設置されたAI用の液晶越しに、現実世界の草薙さんと向かい合っている。



「右半身を失ったときから危うかったけど、ついに名実共に人間でなくなってしまった……」



 半サイボーグ状態になってから危機感を抱いていたのに。いよいよ人間という定義から逸してしまった。

 私のせいではないけど、私のせいではないと思いたいけど、突き付けられた事実は少しばかり重たかった。

 ……しかし、彼らとの接触によって得られた情報も多い。凹んでばかりでは話が先に進まないのだ。得られた事実を整理していこう。

 まず、私はLINK VRAINSから単独でログアウト出来ない。それはこの現実世界に、私の生体情報が存在していないということだ。これで私がハートランドから何かの手違いで拉致されたという可能性が消えた。
 同時に、ここが異世界であることもほぼ確定。目の前が暗くなるような情報ばかりだが、何も分からないよりはずっといい。



「草薙さん、どうだ?」



 草薙さんの奥から、初めて見る少年が顔を覗かせた。

 彼とは初対面――の筈だが、拭い難い既視感を覚えた。もしや、と思い、尋ねてみる。



「あの……つかぬ事をお聞きしますが、顎とか痛かったりしません、よね……?」



 どこかの制服姿の彼は、おもむろに顎に片手を当てた。



「……いまもわりと痛い。ある程度軽減されるとはいえ、LINK VRAINSは痛みも本体にフィードバックするからな」

「あぁぁあぁ……やっぱりあのときの人ですかぁ……っ!」



 その節は大変申し訳なく、とぺこぺこ平謝りする。

 あのときは頭に血が上っていたとはいえ、初対面の、それも助けてくれた相手にする行為ではなかった。

 さっきと今で姿が違うのも、あちらがアバターだったなら納得できる。ネトゲのアバターに現実世界と同じ姿を設定する者は少ないだろう。通りで、あの世界は奇天烈な格好をしている人が多い筈だ。



「いや、俺もデリカシーに欠けた発言だった。あの場をやり過ごす必要があったとはいえ、すまなかった」

「うおおぉお……余計にいたたまれない……! いっそ思う存分罵って……!」

「……おまえら、いったいどんな出会い方したんだ?」



 草薙さんの怪訝な目付きを、少年は「話すと長い」と曖昧な返事で流してみせる。

 少年は草薙さんの隣に腰を下ろすと「それで」と話の方向を修正した。



「おまえはアイと同じ人工知能か? それともまた別の事件に関係しているのか?」

AIアイ?」

「そのデュエルディスクに、おちゃらけたAIが搭載されているだろう」



 おちゃらけたAI……?

 ………………まさか。



「……もしかして、ちょっととぼけた感じの、でも良い声のコナンの犯人みたいな……?」

「……概ねそんな感じだ」



 少年の肯定で、私の中の気まずさがますます大きくなった。
 知らず彼らから顔を反らしてしまう。



「えーと……デュエルディスクここに入ったときに会いましたね、ハイ」

「何故目を逸らす」

「……非常に言いづらいんですけど、っていうか重ね重ね申し訳ないんですけど、邂逅直後に、その……『絶壁』……と揶揄されたので、つい勢い余ってキャメル・クラッチをしたら、なんか伸びちゃって……」



 いま足元で転がってます、と指差す。
 ごめんなさい、と本日二度目の謝罪もしておく。

 少年と草薙さんは顔を見合わせて、どちらからともなく吹き出した。

 普通、自分のAIを物理的に黙らせられたりすれば怒るものじゃないのか? 今回ばかりはこっぴどく怒られるだろうと思っていた私にとっては予想外の反応で、思わず瞠目してしまう。



「え。え。え」

「ふ……。……そいつのことは気にするな。それより話を戻そう。おまえは人工知能なのか?」



 少年は言い終わってから自分でも違和感を覚えたのか、眉を少し寄せた。「人工知能にしては、アイ同様らしくない、、、、、反応ばかりだが……」そりゃそうだ。私は人工知能ではなく、普通の人間だった筈なのだから。

 さて、いったいどこから説明するべきか。まさか正直に「何故かは分からないが、異世界から来た」と言っても信じてもらえる道理もなし。かといって、LINK VRAINSから出してもらえた恩義もあるし、なるべく嘘はつきたくない。

 逡巡の後に、私は少年たちに向き直った。



「……長くなるので結論から言います。まず、私は人工知能ではありません。貴方たちと同じ人間です」














 ふと気付けばLINK VRAINSに電脳体として存在していた。理由は不明。そうなる前後の記憶も不明瞭。

 だが、自分が人間として生きていた記憶は鮮明に残っている。これが偽物とは考えづらい。

 ハノイの騎士と呼ばれる連中を倒していたのは、深い意図があってのことではない。LINK VRAINSで状況を把握しようと散策していると、彼らの破壊行為がひどく目についたので、自分の邪魔をされたこともあり、ほとんど感情任せに喧嘩を売っていたようなものだ。結果として、人々に崇められるようになったのは完全に予想外だった。

 『花の亡霊』なんて洒落た呼び方をされていたのも、ついさっき知った。自分からそう名乗った覚えはないし、監視カメラに映らなかったのもただの偶然である。

 ―――と、少年たちに向けた説明はそんな感じ。当然「前は異世界にいた」なんて怪しい部分は省いている。



「うーん……となると、十年前の事件の関係者じゃないのか……」



 草薙さんが困惑したように、軽く頭を掻いた。



「その十年前の事件、というのが何かは分かりませんが……私の記憶にある限り、十年前は―――。……普通に暮らしていたことしか覚えていないので……」

「ああ、いや、きみが縮こまる必要はない。俺たちが勘違いしていただけだ」



 気にするな、とでも言うように草薙さんが軽く手を振る。



「それじゃ、きみ―――そういえば、まだ名前も聞いてなかったな。名前は何て言うんだ? 元が人間だったなら、名前があった筈だろう?」

「少女Aです。私はずっとこの名前で生きてきました。その記憶があります」

「そうか、少女Aだな。改めて自己紹介しよう」草薙さんは軽く頷いて。「俺は草薙翔一。で、こっちが」

「藤木遊作だ。おまえが叩きのめしたAIがアイ」



 草薙さんの言葉に続く形で、少年も名乗ってくれた。

 藤木遊作と、草薙翔一と、アイ。うん、覚えた。



「はい。草薙さん、藤木くん。私は少女Aです。よろしくお願いします」

「よし。じゃあ話を戻すけど、これから少女Aはどうするつもりなんだ? 別にLINK VRAINSに居たいわけじゃないんだろう? 本来は人間だったっていうのなら、元の場所や姿に戻りたいだろうし」

「……それなんですよね」



 結局のところ、私の不安はそこに帰結する。

 あの世界――LINK VRAINSは生存には問題ない環境だ。ただ、ヒトが直接的間接的に存在する世界である以上、色々と面倒であるのも確かだ。『花の亡霊』なんて崇められるのは正直新鮮ではあったけど、だからといってずっとそれを続けたいとは思わない。元来小市民の私が偶像崇拝をされる側なんて、肌に合わないどころの話ではないのだから。

 生身の姿と瓜二つとはいえ、電脳体と生身の差は歴然だ。いつどんな不具合が起こるかも分からない。……というか、せっかくのアバターなんだから夢の美少女化とか巨乳化とか果たしてくれたってよかったんじゃないかな! 何が悲しくて、リアルそのままの姿なんだ!

 ……いやいや、違うそうじゃない。

 ハートランドがいまどうなっているのかも気になる。万が一、カイトさんに心配をかけていたりしたら大変だ。もし明日戻れるにしたって、電脳体のままだったら大事になってしまうし。

 つまるところ、LINK VRAINSでは生きたくないし、生身の体を取り戻したい。そして、元の場所ハートランドに帰る手立てを探したい。私の要望は、概ねその三点に凝縮されるだろう。それをたどたどしく伝えた。

 私の言葉を受け、遊作が俳優みたいな所作で腕を組んだ。



「LINK VRAINSに戻らないのには、俺も賛成だ。他二点には、現時点では何も言えないが」

「え」

「どうしてだ? 遊作」



 草薙さんの方に顔を向け、遊作が指を三つ立てる。



「理由は三つ。一つ、生身の人間が肉体ごと電脳体に換装されるなど聞いたこともない。一つ、少女Aの言葉が正しければ、尋常に生きていた彼女がこんな事態に自分から巻き込まれる筈がない。一つ、十年前の事件と似たような事件が起こり、少女Aがそれに参加させられた可能性がある」くわえて、と遊作が続ける。「彼女は既にハノイの騎士を何人も倒している。奴らから恨みを買っていることは十分に考えられる以上、少女Aを一人でLINK VRAINSに戻すのは危険だろう」



 遊作の思惑は分からないが、彼の言葉は私にとって渡りに船だ。私単独でログアウトできないと分かった以上、LINK VRAINSはもはや監獄にも等しい。またあそこに一人で放り出されるなんて勘弁願いたい。便乗しておくため、しかつめらしい顔を作っておくことにした。

 草薙さんは口をへの字に曲げ、しばらく黙考した。



「……こっちから関わったのは事実だし、保護ってことなら文句はないが……。……いや、言葉より直接見てもらう方が早いか。遊作、これを見ろ」



 キーボードを操作し、草薙さんは画面に何かのデータを展開した。遊作がそれに視線を移すのに従い、私も身を動かしてどうにか背後の画面に目を遣る。

 ……さっぱり分からない数字の羅列だった。



「これは……いまの少女Aを構築しているプログラムか?」



 え!? 見ただけで分かるの!? 貴方たちニュータイプか何か!?

 驚く当人を蚊帳の外にして、彼らの話は淡々と続けられていく。



「いまは遊作のデュエルディスクに仮設定として紐付けされている状態だ。それにあたってプログラムを少し見てみたんだが、所々データとして成立していない部位がある。たぶん、少女Aという一人の人間を電脳体に変換するときに、どうしても無理な部分があったんだろう。だから彼女が元は人間だったっていうのは真実だろうし……と、ここからが問題なんだが」草薙さんは数字の大群を指差した。「この辺りだ。分かるか? 少女Aというプログラムの所属がLINK VRAINSになってるんだ。しかも変更不可能」

「……SOLテクノロジー社が少女Aを電脳体に変換した、ということか?」

「そこまでは、まだ分からない。関係している可能性は高そうだけどな。――いま大事なのは、少女AというプログラムをLINK VRAINSから完全に引き剥がすのは不可能だってことだ」

「え!?」



 理系人間たちの会話に疎外感をひしひしと味あわされていたが、最後の部分だけは理解できた。

 プログラムがLINK VRAINSから引き剥がせない――それってつまり、私は否応なくあそこに戻らなくちゃいけないってこと!?



「……少女A。住処をなくしたカピバラのような顔をするな」



 どんな顔だ。



「大丈夫だ、抜け道はある」遊作は事も無げに言い放つと、また草薙さんに向き直った。「――草薙さん。完全に移行させることは無理でも、少女Aの主な人格部分だけなら……」

「なるほど! それなら何とかなるかもしれない」



 よしやろう、と遊作たちはすぐにキーボードを叩き始めた。まるでピアノの連弾だ。

 当人である筈の私にはさっぱり理解できない会話を彼らが度々交わしている間に、住所変更は成されたようだった。

 ポカンとして三角座りをしていた私に、キーボードを叩く手を止めた遊作が目を遣る。



「終わったぞ」

「え、もう?」

「これで俺がLINK VRAINSにアクセスしていなくても、おまえはそのデュエルディスクに留まれる。……外部端末がいまはそれしかないんだ。おまえの居場所メモリはその内別に用意するから、それまで少し我慢してくれ」

「我慢だなんて! あそこに戻らなくていいだけで十分過ぎます!」



 ありがとうございます、と立ち上がって頭を下げる。
 二人は揃って「気にするな」と微笑した。



「アイにデュエルディスクのメモリを都合してもらえば、簡易的なプライベート空間ぐらいなら確保できるんじゃないか?」

「確かに。あいつが起き次第、やらせてみるか」



 草薙さんの提案に、遊作が神妙に頷いていた。

 やっぱり私には意味がよく分からなかったけど、いまはただ、LINK VRAINSに一人取り残されることがなくなった、というだけで胸を撫で下ろせた。

 たとえ生存環境としては申し分なくても――独りぼっちは、やっぱり嫌だから。