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少女Aの数奇なお散歩生活 


「テンペストアタック!」



 ――長かったデュエルの終わり。

 何かの終わりは、別の終わりの始まりを連れてくる。

 そんなこと、とっくに分かってた筈だった。



「――おまえ達は、光差す場所を歩いてくれ」












 データを回収したプレイメーカーは毅然とした足取りで戻ってきた。

 彼がデュエルしていた最中にデータバンクに辿り着いた私は、その全てを見届けたわけじゃない。だけど、藤木遊作の人生に影を差した事件の一部始終については耳にできた。聞くだけで総毛立つような、おぞましい事件。彼は未だその鎖に囚われている――囚われているからこそ、足掻いている。



「……プレイメーカー。もう、いいんですか?」

「あぁ」



 プレイメーカーと戦っていた青年――財前と、彼に寄り添うブルーエンジェル。そして見知らぬ美女。
 三人を背に、プレイメーカーは立ち去ろうとする。

 ――ふいに、その足取りがふらついた。私は慌てて支えに走る。



「ちょ!? ふ、フラフラじゃないですか! そんな状態でD・ボードで帰るつもりだったんですか!?」

「……問題ない」

「いや大ありでしょ!?」



 無理に自立しようとするプレイメーカーに肩を貸す。現実だったら非力な私がヒトなど背負えなかったろう。今だけは電脳空間さまさまだ。

 自分のD・ボードを呼び寄せ、ちょっとだけプログラムを弄ってサイズ変更。ちょっとした小舟ボート並に規格変更されたそれに、プレイメーカーを座らせた。しかし彼は、ふらつく足でなおも立ち上がろうとする。



「……だい、じょうぶだ。俺は、一人で、」

「黙らっしゃい! そんなフラフラの体で、何強がり言ってんの!」



 プレイメーカーを上から押さえつけ、そのままD・ボードを発進させた。
 データバンクのエリアから離岸し、前もって把握しておいた帰り道の流れに乗る。



「あとはもう帰るだけなんだから無理しない! 疲れてるんなら尚更黙って味方わたしを頼りなさいっての!」

『わあ。プレイメーカー様を怒鳴りつける女なんて初めて見た』

「アイも眺めてないで、プレイメーカーを押さえるの手伝え!」



 こいつ無言で抵抗してきやがる! D・ボードのバランスが崩れたらどうするつもりだ! 私はこんなところで心中なんて絶対に嫌だぞ!

 アイは『どいつもこいつもAI使いが荒いぜ』とぼやきながらも、デュエルディスクから蛇の形になってにゅるりと這い出て、ボートの縁に絡みついた。デュエルディスクに付属しているアイが引っ付いたということは、自然プレイメーカーの腕も同じことになる。そうして固定されてようやくプレイメーカーは大人しくなった。

 D・ボードの姿勢が安定して、操縦士の私にも周囲を眺める余力が生まれた。

 往路と違って、帰り道はあの竜の瞳にそっくりだった。各地のデータが潮流となって流れていく。どこかで潮流同士がぶつかれば、その潮目で偶発的にデータが衝突、融合を繰り返し、新たな光源を生み出している。まるで星の大海だ。

 一仕事終えた安心感からか、それを綺麗だと思う心も生まれて。

 ……同時に、どうしようもなく彼が恋しくなった。会いたくなった。
 ハートランドに帰りたいと、強く思った。



「……少女A」



 プレイメーカーの声で我に返る。

 反射的に彼を顧みる。プレイメーカーは縁に肘を置いていた。デュエルディスクが固定化されてしまった以上、それが楽な体勢なんだろう。



「何ですか、プレイメーカー。お叱りなら帰ってからにしてくださいね。家に帰るまでが遠足ですから」

「これは遠足じゃないぞ」



 ムッとした彼に、「冗談ですよ」と笑って返す。プレイメーカーは片眉を下げた。

 そんなあどけない表情をされると、なんだか普通の少年みたいだ。

 ……いや、本来の藤木遊作は普通の少年なのだ。ロスト事件と呼ばれる十年前の分水嶺に巻き込まれなかったなら、彼は復讐とは程遠い人生を歩めた筈だったのに。



「今日はお疲れ様でした。SOLテクノロジーの管理下を抜けたら声を掛けますから、それまで休んでいていいですよ。帰ったら帰ったで、回収したデータの解析で忙しくなるでしょうし」

「……ありがたい申し出だが、いまは起きていたいんだ」

「それならそれで構いませんけど……何でまた?」



 プレイメーカーはほんの少しだけ口の端を上げて、猫でも呼ぶみたいに私を手招きした。

 D・ボードの操縦を自動運転に切り替えてから、彼の傍に寄っていく。何か見せたいものでもあるのかと思ったその瞬間、プレイメーカーに思いきり腕を引かれた。



「え、ちょ……っ!?」



 不意打ちの引力に耐え切れず、そのままプレイメーカー諸共倒れ込んだ。



「な、何するんですか!?」



 慌てて彼の上から退こうとしたら、固定されていない方のプレイメーカーの腕が腰に回された。電脳空間のくせに現実的な触感が服のポリゴン越しに伝わって、思わず変な声が出そうになる。

 ――何故、こんなことになっているのか。

 しかもこの体勢の何が悪いって、ともすれば私がプレイメーカーを押し倒しているように見えなくもない、という点である。さっさと出発してよかった。万が一ヒトに見られていたら羞恥心だけで死ねる。



『わぁー! プレイメーカー様、情熱的ぃ』

「おまえは黙っていろ」「おまえは黙ってろ!」

『……二人して言わなくてもいいじゃん……』



 ちぇー、とアイが些か拗ねた様子でデュエルディスクに引っ込んでいく。アイが引っ込んだということは、縁に括り付けられていた腕が解放されるということで。そこまで思考が行き着いた瞬間、もう一方の腕も同じように腰に回された。



「ちょ、あの、ふ、藤木くん!?」

「……少女A」

「うわぁー! 耳元で喋るのやめてぇー!」



 良い声をしている自覚があるのかないのか知らないけど、とにかくヒトの耳元で囁かないでほしい! 否応なく背筋がぞわぞわしてしまうだろうが!

 二人の顔を交差させている現状、相手が私の耳元に囁けるということは、必然私は彼の耳元で騒いでいるわけなのだが、どうやらプレイメーカーは人並み以上に鼓膜が強靭らしかった。表情は見えないけれど、五月蠅いという感情は身動ぎに漏れるものだ。それが全くないということは、彼は私の大声を歯牙にもかけていない。

 ―――っていうか、何だこれ! 何だこれ!?

 どうして敵地へ侵入した帰り道に、プレイメーカーに抱きしめられる羽目になっている!?



「おまえが俺から離れ、AI決闘者デュエリストと戦うことになったとき。―――俺は、どうしようもなく焦った」

「……心配、してくれたんですね。勝手なことをして、ごめんなさい」

「心配……。……そうだな。それもあったかもしれない」

「―――それ、?」



 ああ、と遊作の低い声があとを続ける。



「少女Aが好きだ」

「…………え?」

「好きだから、傍にいてほしい」



 腰に回された腕が、私を抱きしめる力を増した。



「俺の傍にいてくれ、少女A。そうすれば、俺がずっと守ってやれる」



 少女A、と。
 彼は縋るように、また名を呼んだ。まるで母親に泣きつく子どもだった。

 この場ですぐ拒絶することは易かった。だけど、いましてしまうと、この張り詰めた糸のような少年が切れてしまうような気がして、私は何も言えなかった。

 ―――遠くにデータベースの出口を示す光が見えていた。












 草薙さんの下へ――現実に戻った遊作は、先程とは打って変わって頼もしい顔付きになっていた。二人してアイのデータ解析に励む横顔を見ていると、もしかしてあの告白は私の白昼夢だったのではないか、と期待しそうになる。

 しかし、ふいに。チラリ、と遊作がこちらを一瞥した。
 その目に灯った色が、あれが夢などではないことを如実に私に伝えていた。

 思わずデュエルディスク内の私室に飛び込んで、外界から隔離させた。扉を背に、ズルズルと座り込んでしまう。

 告白を受けたことに対し、本来あるべき喜悦や照れ、優越感は微塵もない。
 いまの私の胸には、恐怖に類似した感情が一滴ずつ落とされていた。



「……それは、おかしいよ……」



 私を好きになるのは、まだいい。私なんかのどこを好きになったのかは分からないけれど。

 一緒にいてくれと乞うのも、まだ分かる。アイや草薙さんがいないと、遊作はいつも一人だから人恋しくなることもあるかもしれない。

 だけど、それは私が人間だった場合の話。

 いまの私は電脳体だ。人間ではないのだ。人間の遊作とは、違う生き物なのだ。
 そんな生き物を、人間は本気で「好き」になってはいけない。遊びならいい。だけど、本気は駄目だ。

 ましてや―――「傍にいてくれ」なんて。



「……ダメだよ、遊作。それはダメだ。それは、ダメなんだ……」



 電脳体相手に本気で恋をした人間なんて、どう考えたって普通じゃない。
 それじゃあ、藤木遊作はますます普通から遠のいてしまうじゃないか。

 ただでさえ彼はいま、復讐という茨の道を進んでいる。これ以上普通から遠ざかれば、いざ復讐が終わっても日常に戻れなくなってしまうかもしれない。

 それに、私は―――藤木遊作をそういう意味で好きになることは出来ない。
 だって、あの人を裏切ることになってしまう。



「何で―――好きなんて言ったの」



 知らなければ、お互い今まで通りでいられたのに。












 初めて入った遊作の寝室。こんな状況でなければ、物珍しく見回していたかもしれない。

 遊作のベッドの上で私たちは向かい合っていた。私はデュエルディスクに内蔵されている身なので、傍目には遊作が一人でデュエルディスクを見つめているように見えるだろう。もしそうだったらどれだけよかったか、といまだけは思わずにはいられなかった。

 こういうときこそ積極的に茶々入れしてほしいのに、帰り道に怒鳴ったことを根に持っているらしいアイは『お邪魔虫は引っ込んでますんでねー』とそそくさと奥に行ってしまった。使えない奴! 無能! バカ! 助けて! と心の中で罵りまくってしまったのも仕方ないことだろう。

 とはいえ――遊作と向き合うべきなのは、告白された私であることも事実だった。

 今後の彼との関係がどうなるかは分からない。どう転ぶことになろうとも、いま遊作と向き合うことだけが、数少ない私に出来ることだった。部屋に逃げ込むわけにはいかないのだ。



「――俺はロスト事件の際、食事と睡眠時以外はほとんどVR空間に閉じ込められていた」



 遊作が、訥々と話し出した。



「……はい、聞きました。……過酷ですね。本当に」

「その強烈な体験がまだ俺に染み付いているせいだと思う。――ないんだ、この現実で生きている実感ってものが」



 遊作が、くしゃりと前髪を押さえた。



「普通の奴は、この現実で生きている。LINK VRAINSも、他のバーチャルワールドも、あくまで疑似的な世界――電脳空間だと割り切れているんだろう。俺は違う。俺の現実は電脳空間だ。電脳空間でしか、俺は生の実感を得られない」

「……藤木くん」

「現実だと、食事の味が分からない。人間の顔が区別できない。世界の色彩いろさえ判然としない。眠れば、あの事件の記憶が鮮明に蘇ってくる。――だけど、電脳空間なら、俺は相手を見分けられる。空の色だって分かる。食事や睡眠も必要ない。いまの俺はあそこでしか生きられないんだ」



 ――すとん、と。
 何かが胸に落ちた。

 遊作が車に轢かれかけても平然としていたのは、本当に現実味を抱いていなかったから。
 可愛い現実の女の子に見向きもしなかったのは、そもそも顔の美醜が判別できないから。
 私のゲームアバターに関心を持ったのは、彼にとっての電脳空間げんじつでしか生きられない存在だったから。

 いうなれば、電脳性愛癖とでも名付けようか。
 それは紛れもない異常だ。彼を普通から遠ざける、深い傷だ。

 だから彼はその傷を癒そうとして、私なんかに「好き」だと言う。
 異常を普通で覆い隠そうとしているのだ。

 可哀想だと思った。その延長で、彼に応えてやるフリをするのは簡単だった。私がたった一言、「私も貴方が好きだよ」と告げてやれば、遊作の胸に溜まった重荷を少しは下ろしてやれるのかもしれない。

 だけど、それでは―――誰も幸せになれないだろう。



「……藤木くん。こんな私を好きになってくれたのは、嬉しい。だけど、私は……貴方と同じ意味で藤木くんを好きになることは、できない」

「――どうして」

「私には、帰りたい場所があるから。そこで大切なヒトが、私を待ってると思う。もしかしたら、心配とかもしてくれているのかもしれない。私がいなくなったせいで迷惑とか掛けてるかもしれない。……だから、私は帰らなくちゃいけないの」その先を口にするのは、ひどく心苦しかった。「――最悪、藤木くん達を裏切ってでも、私は帰るよ。帰ったら、二度と藤木くん達に謝れないとしても」



 遊作が唖然と息を呑んだ。



「―――待ってない、かもしれない。無理に戻るより、此処にいた方がずっと安全だ。何があっても、誰が敵になっても俺が守ってやれる。だから、」



 ヒトの言葉を遮るのに、こんなに泣きたくなったのなんて、いつ以来だろう。



「それでも、帰るよ」



 遊作が口を開いたまま、黙り込んだ。



「待ってるヒトがいるから帰るんじゃない。私が彼に会いたいんだ、、、、、、、、、、。だから私は必ず帰る」



 ごめんね、と付け足したのは無意識だった。口にしてから自分の言葉の酷さに気付いて、知らず視線が下に落ちる。

 酷い言葉だ――酷い女だ。この期に及んで許してもらおうとしている。



「……あの事件から、ずっと――」遊作の声は掠れていた。「――現実と現実と認識できない。ヒトも、色彩いろも、生死も、……自分のことですら、いまの俺にとっては虚無なんだ。電脳世界だけが俺にとっての本物なんだ。そこにあるものだけが現実なんだ。俺は、そんな自分しか知らないんだ」



 悲痛に満ちた彼の声に、私は何も言えなくなった。



「だから―――だから、普通げんじつの人間を好きになれない。ならないんじゃない、なれない、、、、んだ。虚構の存在と本当に通じ合えると思ってる奴はいない。それと同じなんだ、少女A。俺にとっての虚構は皆にとっての現実で、皆にとっての虚構が俺の現実なんだ」



 うん、と曖昧な相槌を打つ。

 遊作の目がこちらを向いた。
 そこに映った自分が思いの外苦しそうで、自己嫌悪で吐きそうになった。



「でも、少女Aなら。少女Aなら、きっと俺は好きになれる、好きになれた。もっと愛することだって出来ると思う。人間の心を持つ、電脳体の少女Aなら、俺はきっと――――」



 私は藤木遊作に助けてもらった。彼のおかげで、この世界で生きられた。

 見ず知らずの女なんかを助けてくれた優しい彼には幸福しあわせになってほしいと、心の底から思っている。



「―――遊作。自分を好きになる理由に、私を使わないで」



 だからこそ、私は藤木遊作を突き放す。



「きみが好きになりたいのは――好きになったのは、私じゃない。普通になりたい自分だ。いまの遊作は、私を通して、皆と同じになった気でいたいだけだよ」

「……違う」



 震え声の否定は、聞こえなかったことにした。

 ただそれだけの身勝手な行為に、胸が張り裂けるかと思った。自分で拒絶しておきながら、彼の悲しい顔は見たくないと感じている。



「遊作がおかしいわけじゃないよ。色んなことが重なって、その間がことごとく悪かっただけ。きみはいま私への同情と共感を別の感情と取り違えているだけ。……そもそも、自分のことを認めるタイミングはヒトそれぞれだから、無理に急ぐことはないんだよ。いまはそうじゃないかもしれないけど、近い内にきっと、遊作は遊作自身のことを認められる。私なんかを理由にこじつける必要はないんだよ」

「……違う、少女A。俺は、本当に貴女を、」



 ―――それ以上、顔を合わせていられなかった。遊作の言葉から逃げるようにデュエルディスクへと戻る。

 最後まで向き合ってもいられない。私はとことん最低だった。



「今日は色々あったから疲れたよね。おやすみ、遊作。良い夢を」



 ―――そして。
 私のことなど忘れて、どうか幸せに。












 翌日、未明。

 LINK VRAINS、藤木遊作のデュエルディスク。
 その両方から、ある少女を構築していたプログラムが忽然と消失した。









fin