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少女Aの数奇なお散歩生活 


「……ん……?」



 目を覚ますと、見慣れない景色が視界いっぱいに広がっていた。

 どこか機械的な印象を受ける、子供部屋みたいな青色の天井。

 靄がかった思考のまま、のっそりと身体を起こす。
 ずきりと頭が痛んで、思わず顔をしかめた。



「……ここは……?」



 頭痛はすぐに引いた。

 私は目を細めながら、室内を見回す。どうやら、部屋の中央付近にあるベッドに寝かされていたようだ。

 やたら広く、けれど必要最低限の調度品しかない殺風景な部屋。私以外の人影はない。
 子供部屋みたいに無邪気で、だけど底知れないヒヤリとする空気に包まれている。

 部屋の一辺は、壁がそっくりそのまま硝子窓になっていた。そこから見える眼下の景色に、私は知らず息を飲んだ。
 ベッドから降り、ぺたぺたと窓に近付く。そうして硝子に手を当てると、無機物特有の冷たさが肌を通して伝わってきた。

 それが夢ではないと冷酷に告げてきて、私の顔からは血の気が引く。



「……嘘……!」



 広がっていた景色は、私の知る、けれど絶対に巡り会うことのなかった光景だった。

 ハートランドシティ。
 この街の名。
 近代的で未来的な街。

 デュエルを介せば、モンスターが実体化する世界。



「──目が覚めたか」



 唐突に声がした。

 振り向くと、一人の少年──青年と呼ぶべきかもしれない──が入ってきたところだった。

 私もよく知る風貌そのままの彼は、無言の私を戸惑っていると取ったのか、背後に目を遣りながら告げた。



「おまえを見つけたハルトに感謝することだ。不慮の事態で、デッキを失わずに済んでよかったな」



 彼の背後には、少年がぺたりとくっついていた。光のない、黒翡翠みたいな目で少年は私を見つめてくる。



「デッキ……?」

「デュエリストだろう? おまえも」



 デッキ。
 デュエリスト。

 知っているけど、知らない単語。少なくとも、私の常識ではこんなにぽんぽん出てくる名詞ではない。デッキじゃなくて、携帯とか財布とかなら解るんだけど。

 困惑していると、青年は怪しむように目を眇た。そっと指を伸ばし、私の腰の辺りを示してくる。



「違うのか?」



 反射的に、私は腰の辺りに手を伸ばしていた。間を空けず、堅い感触。恐る恐る下を向くと、デッキケースと思しきものがしっかりと装着されていた。



「……あの、見ても?」

「お前のデッキだろう」



 何を言っているんだと言いたげな呆れた表情をされた。

 私は慎重にデッキケースを腰のベルトから外すと、手近な椅子に座り込んだ。ケースに指を突っ込むと、四〇枚のカードが出迎えてくれた。それを取り出し、ざっと検分する。



「───────」



 絶句。

 ゲームで組んだデッキそのままのカードが、そこにはあった。
 私のデッキであり、私のデッキではないカードたち。

 見慣れた切り札のカードが、やけに嘘臭く見えた。しかし確かにその感触は、紛れもなく本物で。

 もう、何がなんだか解らなくて。



「……っおい、どうした」



 少し焦ったような声がして、ようやく気付いた。

 私の頬を伝う水滴。

 それを拭ってくれたのは、青年ではない、小さな手だった。



「……どうしたの?」



 少年はつぶらな瞳で私を見上げてくる。

 言わなきゃいけない言葉も説明も沢山あるのに、どれも喉元でつっかえてしまって、何一つ外に出てきてくれない。年下の少年に慰められるという無力さが情けなくて、水滴がまた目尻から落ちていく。

 端的に言えば、私は恥も外聞もなく泣きじゃくった。

 その間、少年はずっと私の涙を拭い続けてくれたこと。青年はしばらくおろおろした末、持ってきてくれたふかふかのタオルを投げつけてくれたこと。この二つのことを、私はずっと忘れないだろう。










「記憶喪失……?」



 見苦しいところをお見せしました、と謝罪してから、私は青年──天城カイトに説明した。

 覚えているのは、自分の名前とこのデッキが自分のものだということだけ。

 自分が何者なのか、どういう目的でここに来たのか、何故倒れていたのか、一切覚えていないのだと。

 ……八割、嘘だ。
 だけど違う世界から来ました、なんて信じてもらえる道理がないので、まあ妥当な説明ではないかと思う。何でこの世界に来てしまったのか、その理由は本当に解らないわけだし。



「……そうなのか」



 カイトは痛ましげに私の顔を見てから、ちらりと私の膝に座る少年──天城ハルトに目を向けた。

 ……その、理由は解らないのだが……何故かハルトが私から離れてくれないのだ。じっと見つめられると、嘘が看過されたのではないかと不安になるのでやめてほしい。



「どこか、アテはあるのか?」

「……あったら、よかったのですが」

「覚えていない、か」



 記憶喪失。テキトーに嘯いただけだけど、この設定、思っているより便利かもしれない。大体のことは、これで押し通せそうだ。

 思案するように目を伏せていたカイトが、ふいに顔を上げた。



「……なら、何か思い出すまで此処にいるといい」

「え!?」



 え、ちょっと待って。展開早すぎやしませんか。



「え、や、でも、そんな……初対面の、こんな胡散臭さ全開の奴ですよ?」

「怪しいのは事実だが、記憶喪失の女を放り出すわけにもいくまい」



 それに、とカイトはハルトを見遣った。



「……ハルトが気に入ったようだから、危険ではないだろう」

「い……いいんですか? 本当に?」

「どこかアテがあるのなら、断ってもらって構わない」

「……すみません。お願いします……」



 カイトに向かって、深々と頭を下げる。
 すると何を思ったのか、ハルトがその頭を撫でてくれた。……うん、ありがとう。



「そういえば、おまえ、名は?」

「あ、少女Aと申します」



 そうか、とカイトが頷く。



「俺は天城カイト。そっちは弟のハルトだ」



 知ってます、とは言えず、私はよろしくお願いします、とまた頭を下げた。

 これが、彼ら──カイトとハルトとの出会い。

 そして、私の数奇な一年の始まりだった。



少女Aの泣き喚く一日目。