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少女Aの数奇なお散歩生活 


 暫定住居が藤木遊作のデュエルディスクとなってから一夜が明けた。

 一応彼も女の私に気を遣ってくれているらしく(単に興味がないのかもしれないけど)、お互いの寝室は別になっている。彼は自分の寝室、私もといデュエルディスクは居間。

 生存に睡眠を必要としない電脳体だからか、LINK VRAINSのみならずデュエルディスク内で過ごしていても一切眠くはならなかった。目を閉じてじっとしていても、ちっとも睡魔はやってこなかった。体が汚れることも腹が空くこともないからそういう観点では便利とはいえ、眠ることができない身というのは、少しばかり物寂しい。

 なし崩し的に同居人となってしまったAI――アイは私と違い、自分の意思でスリープ状態に入ることができるらしい。アイは遊作が寝室に赴くまでは『なんでオレ以外に住人が出来てんだよ』『先住民に許可を取れよ』などやたらと騒がしかったが、彼の姿が見えなくなると、急にシュンとなって『おやすみー』と軽い調子で眠っスリープしてしまった。持ち主が耳を貸してくれないとみるやすぐに切り替えられるところはドライというか、機械的というか。

 遊作がアイに頼んで(というか脅して)私に確保してくれたデュエルディスクの容量メモリは全体の二割ほど。それだけあれば外部から隔離された内部空間を作るのは難しくなく、不承不承ながらアイの助けもあって、私は自分のプライベートを保全できている。

 至れり尽くせりにも程がある恵まれた環境だ。遊作たちへの感謝の念はしばらく尽きそうもない。

 二人と違って眠れない私は、私室で自分の状態を一晩中確認していた。
 いまの己は電脳体と割り切ってしまえば、出来る出来ないの区別はつきやすくなる。

 カイトさんへの連絡、食事、睡眠、排泄は出来ないこと。

 義手と義眼のデュエルに関する行為、ネット回線を通じたこの世界の住人への連絡、LINK VRAINSのプログラムへのアクセスは出来ること。

 これまでのデュエルでは持ち合わせていたデッキを使用していた。しかしLINK VRAINSが有するカードプールプログラムへのアクセスも可能と分かってからは、今までは金銭的余裕から無理だったカテゴリのデッキも電脳世界限定で組めるようになった。決闘者デュエリストの端くれとして、これは非常にありがたいし面白かった。何せ、今まで使えなかったカードを湯水のように使えるのである。

 カードプールプログラムの中には、エクシーズモンスターの他、融合、シンクロ、ペンデュラムも確認できた。しかし付属していた使用率を見た限り、この世界ではリンクモンスター以外は使用率がかなり低い。ハートランドではエクシーズモンスターが主流だったように、この世界ではリンクモンスターが王道らしい。

 ともあれ、今まで机上論でしかなかったデッキを思い付く限り組んでいったら、その内夜が明けていた。



「――――。――少女A。……少女A!」



 げんじつから遊作が呼んでいた。慌てて私室から出る。



「はい、はい! すみません、デッキ組むのに集中してました!」



 昨日と同じ制服姿の遊作が少しだけ息を吐いた。



「……何もないならいい。それより、俺は今から学校に行く」

「あ、はい。行ってらっしゃい。気を付けて」

「……それでだ。おまえはともかく、アイを放置していくわけにいかない。同じデュエルディスクに内蔵されている以上、おまえにも付いてきてもらうことになる」

『遊作ちゃんはオレがいないと寂しくて、一人で学校にも行けないのさ!』

「おまえは黙っていろ」

「……あー、うん、なるほど。通りで説明しながら歩いてると思いました」



 うんうん、と一人で頷いてみたり。
 何故か隣でアイが私の動作を真似ていた。

 何分意識がはっきりしているものだから忘れがちだが、いまの私はあくまで遊作のデュエルディスクに収まっている身だ。私がイエスと言おうがノーと言おうが、現実世界の誰かにデュエルディスクを物理的に持ち上げられてしまえば抵抗などしようもない。

 慣れた足取りで家を出た遊作は、そのまま通学路らしい道を辿っていく。



「そういうわけだ。少女Aには悪いと思うが、一日付き合ってくれ」

「お世話になっている身ですし、付いていくぐらいなら全然構いませんよ。私もなるべく私室に入って、藤木くんのプライベートを見ないようにしておきますね」

「悪いな」

『……遊作さぁ、なーんか少女Aには甘くない? オレにはもっとドライじゃん。何で?』

「おまえが馬鹿な軽口ばかり叩いているからだ」

『バカ、ハ、キンシヨウゴ、デス』



 二人の軽妙な言い合いを見ているのは正直面白かったのだけど、これ以上迂闊に彼のプライベートを覗き見しているのも気が引けて、さっさと私室に戻ることにした。



「じゃあ藤木くん、私はまた部屋に戻りますね。何かあったらお声掛けください」

「分かった」

「それじゃあまた、……って、前! 前! 赤信号!」

「あ」



 私が不様に慌てふためいた声をあげて、ようやく遊作は横断歩道に差し掛かりかけていた足を止めた。

 彼の鼻先を乗用車が掠めるように通過していく。停止があと少し遅ければ、轢かれていた可能性すらあった。

 デュエルディスクの中から傍観していた私が青ざめているというのに、直接危機に晒されていた遊作は悠然としたものだった。まるで今すぐそこに迫っていた危険を理解しきれていないような顔だった。



『遊作、いつもこうなんだよなー。よくこんなんで生活できてるよ』

「いやアンタが注意すればいいだけでは!?」



 っていうか、いつもこんななの!?

 飄然とした態度のアイの首元を思わず掴み、そのままガクガクと揺さぶってしまう。それでも『酔っちゃう酔っちゃう』とアイはあくまでおどけた態度を崩さなかった。遊作に至っては平然と信号待ちの体勢に移っている。知り合って二日目の私がこんなに焦っているのに、どうして当事者共は揃って平然としているんだ!

 アイを揺さぶる手を止め、ついでにポイと放り投げる。電脳空間では膂力は大きな要素じゃない。『あーれー』アイのふざけた悲鳴は聞き流しつつ、改めて遊作に話しかける。

 信号は青色になっていて、遊作は横断歩道を渡り始めたところだった。



「……藤木くん。なるべく貴方のプライベートは見ないようにしますから、部屋に入らなくてもいいですか」

「? 俺は別に構わない。少女Aの好きにすればいい」



 もしかして轢かれかけたことにすら気付いていないんじゃないか、と思ってしまう平然ぶりだった。

 現状遊作を守ることは、ひいては私自身を守ることに繋がる。目の前に迫っていた危機に対して遊作自身もアイもとぼけた反応しか返してくれないから、部外者である筈の私が気を張っておくしかないようだ。

 ……私を助けてくれたときからは想像もできない天然感だ。あのときはいつも策を巡らせているような雰囲気というか――昔のカイトさんを思い出させる尖ったナイフみたいな空気を纏っていたのに。

 何だか、雲行きが怪しくなってきた。












「わ! 藤木くん藤木くん! いまの、すごく可愛くなかった? あんなアイドルみたいなのが普通にいるって、この学校女の子のレベル高くない!?」

「興味ない」

「……あ。そうですか……」

『むしろ何で同性の少女Aがテンション上げてんの?』

「女の子は可愛いものが好きだからね仕方ないね」

『好きのストライクゾーン広すぎない?』



 なんて会話をしたわりには。



「ふーむ……。LINK VRAINSってアバターの自由度、結構高いんだね。男女でキャラメイキングの量にさして差がないってすごい……男女平等精神の激しいスタッフがいるとみた」

「少女A……LINK VRAINSには戻りたくないんじゃなかったか?」

「戻りたくはないですけど、有効利用できそうなものは使わないと。LINK VRAINSからデータだけ拝借することで、新しいデッキも組めますし」

「……そうか」

「この際だから私の外見データもアバター化して書き換えちゃおうかと思っています。せっかくの電脳空間なんだから、思う存分堪能したいし!」

「戻れなくなったときに大変だからやめた方がいい」

「…………確かに。ぐぬぬ、キャラメイクはもう済ませてあったのに……」

「どんなのを作ったん、…………いや、これは……。……おまえには自然体が似合っている」

「センス無いならはっきりそう言ってくれよ! 分かりました分かりました、今のままでいますぅ!」



 とか、ヒトのアバター化計画に口を挟んできたりする。

 私がいまのままだろうとアバター化しようと、遊作には何の関わりもない話だ。万が一の事態を考えて止めてくれたのは優しさだと思うけれど、わざわざ私のキャラメイクを覗き込んできたのは正直意外だった。ネトゲでもきちんと同性のキャラを使いそうな男の遊作にとって、女のアバターに関心を持つなんて有り得ないと思っていたから。一も二もなく却下されるならともかく、きちんとこちらの意図を確認してくるなんて、何となく彼の印象にそぐわないような気がする。

 藤木遊作という人物の印象が、ゆっくりと書き換えられていく。

 クールな雰囲気のわりに、うっかり車に轢かれかけたりする。
 現実の女の子には興味がないらしいくせに、電脳体わたしのアバターには口を挟む。
 周りに人気がないときに限るけど、デュエルディスクの中の私の言葉にもきちんと応答してくれる。でも、クラスメートとはろくに挨拶もしない。

 私にとって、藤木遊作とはそういう少年になっていた。



「――草薙さん。十年前の事件、って何ですか」



 だから、というにはあまりにも言い訳が過ぎるか。

 面倒事に、それも異世界のそれに首を突っ込むつもりはなかったけれど、つい訊いてしまっていた。

 遊作は現在真面目に授業を受けている。周囲に大勢のヒトがいて、しかも彼の身動きが取れないとあっては私から下手に話しかけることもできない。何せこの世界は、デュエルにもAIを活用するような世の中でありながら、未だAIと普通に会話するような次元には至っていないらしいのだ。カイトさんとオービタルを見習え、と退屈のあまり騒ぎ散らしたくなってしまう話だが、ともかく。授業を真面目に受けるのは望ましいことだし、遊作が白い目で見られるような事態になるのは私としても不本意なので、こうしてデュエルディスクに搭載されたネット回線を伝って草薙さんに連絡を取っている次第である。



「……あー。そうだよな。気になるよな、やっぱり。それで自分が巻き込まれたかもしれないわけだし」



 虚数空間に表示された四角形の中で、草薙さんは困ったように頬をかいてみせた。

 ネット通話をデュエルディスク内で再現している――ことになるのだろうか。実行した私も、これがどういう仕組みになっているのかよく分からない。自分の機能を確かめがてら、LINK VRAINSに接続している部分とかも含めて色々弄っていたら出来てしまったのだ。工程を説明しろ、と言われたら難しいだろう。



「別に無理ならそれでいいんです。元々貴方たちの事情に踏み込むつもりもなかったし」

「じゃあ、何故いま訊く?」

「……先程言われた通り、もしかしたら自分がそれに巻き込まれたかも、っていうのもあるんですけど。……ううん、何て言えばいいのかな。藤木くんが――そう、危なっかしい? ように思えて」

「遊作が?」



 草薙さんがキョトンとした。私は軽く頷いてみせる。



「彼、朝方、車に轢かれかけたんです」

「はぁ!?」

「でも藤木くん、それも事も無げっていうか、危機を認識できてないみたいで。それだけなら抜けてるところもあるのか、ぐらいなんですけど。でも、可愛い女の子見ても振り向きもしないし、クラスメートともろくに話さないし。年頃の少年がこれでいいのか、って勝手に不安になっちゃって」



 お節介って言われたらそれまでなんですけど、と自覚はあるので付言しておく。

 草薙さんは少しだけ眉を寄せてから、手元で何かを引っくり返していた。カメラ位置の問題で、私からはその仕草が意味するところが判断しかねる。



「……あれ? 草薙さん、いま何かやられてます?」

「これでも一応ホットドッグ屋なんでな。さっき出前の注文が大量に入ったから、作っているところだよ」

「そ、そういうことは早く言ってください! てっきり暇してると思ってたから長話してたのに……! すみませんお邪魔しました、すぐ切りますね!」

「いい、いい。気にするな。いまは作ってるだけで、他に客もいないしな。俺としても、学校での遊作を教えてもらえるのは助かるよ」



 あいつは何も言わないからな、と草薙さんは肩を竦めた。確かに遊作が学校生活を報告するようなタイプには見えない。それは案の定だったようだ。



「お邪魔じゃないならいいんですけど……。……まあ、それで興味が出た、っていうと俗っぽいですけど。一応お世話になっている身として、彼の地雷ぐらいは把握しておくべきかと思ったんです。もちろん無理にとは言いませんが」



 私はあくまで部外者だ。彼らが拒絶するなら、それを呑み込む他ない。



「……地雷っていうよりは、全ての始まりって感じだな」



 草薙さんはまた手元で何かを引っくり返していた。

 チラリ、と横目でこちらを窺って、彼はあとを続ける。



「長くなる話だ。聞けば、少女Aにも協力してもらわざるを得なくなる。……それでも聞くか?」



 こちらから踏み込んだのに、相手は私に引き返す猶予をくれた。遊作だけでなく、草薙さんも優しいヒトだ。そんな彼らを今もって悩ませる『十年前の事件』とやらには、少しばかり敵意が湧いた。



「――もちろんです。なんたって、助けてもらった身ですから」












「――――。……! ……少女A!」



 草薙さんの話にすっかり聞き入っていた。外から聞こえてきた覚えのある怒鳴り声に、思わず背筋が伸びる。



「すみません、草薙さん! 続きはまた夜に聞かせてください!」

「あ、おい、」



 草薙さんの返答を聞いている余裕はなかった。通話をこちらから一方的に打ち切り、私室から飛び出す。草薙さんには後でしっかりお礼と謝罪をしなければ、と考えながら見上げた視界では、眉間にしわを寄せた遊作がこちらを見下ろしていた。



「――すぐに応答してもらわなければ何かあったかと不安になる、と朝も言った筈だが」

「いや、不安とまでは言ってなかったような……」ギロリ、遊作の眼光がより鋭くなった。「ごめんなさい何でもないです私の落ち度です申し訳ありません!」

『わー。めちゃくちゃ謝り慣れてるぅー』



 そりゃカイトさんにもいつだってこんな感じで怒られてたから――なんて、恥過ぎる話だから口には出さない。

 ごめんなさいごめんなさい、と追加で三回ぐらい頭を下げると、遊作が細く息を吐いた。彼の眉間に浮いていたしわが少し薄れる。



「何をしていたんだ」

「ネット回線を通じて草薙さんとちょっとお話を……。……あ、もう授業終わったんですか?」



 遊作は「草薙さんと?」と片眉を上げてから、教室らしい背景と動き始めた。



「……あぁ。これから草薙さんの下に向かう。実行の手筈を整えないといけないからな」

「SOLテクノロジー社のデータバンクへの侵入の、ですか」



 流れ続けていた画面が止まった。遊作が立ち止まったのだ。

 見開いた双眸でこちらを見下ろす遊作に、私は肩を窄めながら弁明する。



「……ごめんなさい。藤木くんたちの事情、勝手に色々聞きました」












 元々ある程度の準備は整えていたのか、遊作と草薙さんの打ち合わせはさほど時間もかからなかった。

 勝手に事情を知った負い目もあって、私は学校以後遊作に話しかけたりはしなかった。私室にこそ閉じこもらなかったけど、外から呼びかけられない限り大人しくしている、といった感じ。

 ――草薙さん越しに語られた遊作の過去は、壮絶だった。

 幼少期に誘拐され、長期間にわたっての監禁状態。デュエルが全ての毎日を過ごした彼は否応なく決闘者デュエリストとして成長し、代償として自分の生い立ちを忘却した。そのトラウマは未だ根深く、普通に生きようとしても過去の記憶が度々フラッシュバックして、いまなお彼を苦しめている。

 恐らくはそれと同じ体験を、草薙さんの弟も味わったこと。そしてその弟は救出されてからも廃人同然に日々を過ごしている。だから草薙さんは弟の仇を追って、遊作と手を組んでいた。

 想像していた万倍過酷な事情に、私は何も言えなかった。元々何を言う気もなかったけれど、持っていた筈の言葉まで失ったように感じる。

 だから遊作は、その事件の首謀者に復讐するため、いつも手掛かりを探し求めている。私も何度かデュエルしたハノイの騎士を名乗る連中は、事件の関係者である可能性が高いという。とはいえ、十把一絡げの下っ端ではなく、幹部クラスの相手に限った話だそうだが。

 SOLテクノロジー社のデータバンクでは、ありとあらゆる情報が管理されている。LINK VRAINSやそのカード情報にしたってそうだ。IT化が著しく進歩したこの世界では、遊作たちが追う事件の詳細もデータバンクに保管されている可能性が非常に高いらしい。



「……私なんかが関わっていい話じゃないよなぁ……」



 ――復讐に駆られたヒトの顔は、私も知っている。そこに他者の介入する余地がないことも。

 復讐はいけない、何も生み出さない、なんて腐るほどありふれた説教をするつもりはない。復讐でしか遂げられない何かがあるなら、むしろしておくべきだとすら私は思う。

 ……ただ、傍観している身としては、言いようのない苦しさを覚えるだけで。



「―――少女A。まだ起きているか」



 ふいに、外から遊作に呼びかけられた。

 顔を上げて、彼に応じる。すぐに液晶越しに遊作の整った顔が表示された。背景は草薙さんの屋台のそれではなくなっていた。遊作の家の壁だった。



「はい、まだ起きていますよ。……いつの間に帰ってたんですか?」

「それにも気付いていなかったのか。もう数時間前の話だぞ」

『あームリムリ。少女A、学校出てからずっと一人で何か考え込んでたから。おまえと草薙の会話すらろくに聞いちゃいなかったろうよ』



 辛気臭いったらありゃしねえぜ、とアイは傍らでかぶりを振ってから、奥の方へと消えていった。茶々を入れるためだけに顔を見せたのか、あいつは。



「……一つ、言っておくことがある」



 遊作の声色は神妙だった。知らず私は居住まいを正す。



「はい。何でしょう?」

「……SOLテクノロジー社のデータバンクに、明日侵入する。その際接続するデュエルディスクは、当然コレになる」だから、と少しだけ言い淀んで。「このデュエルディスクに紐付けされている少女Aにも、付いてきてもらうことになる」

「あ、そんなことですか。全然構いませんよ」



 すまない、といまにも言い出しそうだった遊作の顔が「は?」という文字を浮かべた。

 私も自分の言葉の間違いに気付き、知らず意味もなく手を振ってしまう。



「あ、全然、ではないか。データバンクなんていかにもセキュリティ厳しそうで、危なそうだし。……でも、SOLテクノロジー社ってLINK VRAINSを管理している会社なんですよね。だったら、そのデータバンクには私が戻る手掛かりもあるかもだし……」

「…………」

「だから私のことは気にしないでください。―――それより、貴方のことです。藤木くん」

「……俺? どうして?」



 心底不思議そうに首を傾げた遊作に、私は思わず呆れそうになった。



「どうして、って……データバンクには、事件の手掛かりを探しに行くんでしょう。まず侵入なんて危険だし、……それには貴方の過去も直結してる可能性が高い。草薙さんみたいな存在ならともかく、上っ面だけ知った私みたいな部外者までなし崩し的に貴方の過去を覗くことになるかもしれないんですよ」



 当然、進んで見に行くような真似はしないつもりだけど、可能性は検討しておくことに意味があるのだ。

 私はただでさえ勝手に彼の事情を把握した身だ。これ以上、遊作の領分にずかずかと踏み込んでいいものかどうか、自分では判断できない。彼に決めてもらわなければならないのだ。



「なるべく見ないようにはします。でも、何が起こるか分からない以上、絶対とは言い切れない。それでも本当にいいんですか?」

「――――――」



 遊作は何かを言いかけて、しかし音にする前に口を閉じた。
 またすぐに口を開けたとき、彼は少しだけ相好を崩していた。



「……草薙さんに聞いた。少女Aは、学校での俺を心配していた、と」

「……要らないことばかり喋ってすみませんでした」

「いや、怒っているわけじゃない。ただ……ヒトに心配されるなんて、久しぶりだったから。少し驚いた」



 他人に心配されるのが久しぶりなんて、そんなわけはない。草薙さんだって、遊作の学校生活を案じていた。そう伝えると、遊作は儚げに口の端を上げた。



「草薙さんのそれは協力者の調子を確かめるだけのものだろう。俺だって、彼の体調には気を配っているつもりだ」

「……藤木くんがそう思うのは勝手だけど、私はそうじゃないと思う」

「そうかな」



 そうかな、と遊作は壊れた機械みたいな声音で繰り返した。

 そのときの彼の表情は、なんだかすごく不安定に見えた。

 いまにもバランスを崩して倒れてしまいそうな気がして、私は話の穂を接ぐ。



「――勝手に藤木くんの事情を聞き出したのは、私です。草薙さんはちゃんと制止してくれました。だから、」

「いいんだ、それは。草薙さんに怒っているわけでもないし、別に事件のことも隠していたわけじゃない。少女Aを無理に関わらせる必要がないと思っていたから、言わなかっただけだ」



 それよりいまは、と遊作は笑った。
 そう―――おぞましいほど美しく笑ったのだ。

 今日ようやく見れた彼の笑顔が、私はどうしてだか末恐ろしくてたまらなかった。



「もし明日、俺の過去を知ることができたなら―――自分から少女Aに話してもいいとさえ思ってる」



 ――藤木くん、と呼びかける声が震えた。



「藤木くん、いま……」



 ――何を言ったのか、分かっているのか。

 私の声に、遊作はハッとしたみたいに笑みを消した。
 己がいま何を言ったのかようやっと把握したような当惑を見せて、彼は慌てた様子で腰を上げた。



「とにかく、俺のことは気にしなくていい。おまえも構わないなら、それでいい。じゃあ、おやすみ」

「……はい、おやすみなさい。藤木くん」



 慌ただしい足取りで寝室に入っていく遊作を見送った。

 彼に向けて無意識に振っていた手に気付き、何となくそれを見下ろしてみる。電脳ポリゴンで出来た肉体。現実には存在しない身体。それに宿る精神わたし真実ほんとうのそれだと、いったい誰が断言できるのだろう。何とも脆いことに、この私を私たらしめているのは、私という要素だけなのだ。

 ―――その程度のものに、遊作は何てふざけたことを言ったのか。

 だって、あれじゃあまるで――私に自分のことを知ってほしい、、、、、、、、、、、、みたいじゃないか。