「……おまえは寝ろと言ったろう」
「……寝ましたよ」
「嘘をつくな。隈が出来ているぞ」
「カイトさんこそ」
「……………………」
「……………………」
二人仲良く隈を作った理由は、ハルトの容態が安定するまでこれまた仲良く雁首揃えて寝ずの番をしていたからである。
二人の睡眠時間を生け贄にした甲斐あってか、ハルトの容態は何とか安定した。彼が穏やかな寝息を立て始めたときには、私もカイトさんも胸を撫で下ろしたものである。
ハートの塔内にある、簡易休憩所。自販機と簡素なベンチだけが設置されているそこで、私とカイトさんは一定の距離を置いて腰を下ろしていた。
「……おまえは」
「はい?」
「最近、何故俺を捕まえようとする?」
……こいつ、やはり解ってなかったか。
口から溜め息が出そうになるのを必死に堪えた。カイトさんの目の前で溜め息なんかつけば、いまの彼の繊細微妙な神経をさらに刺激してしまうに違いない。
「……無理にでも捕まえて大人しくさせないと、カイトさん休んでくれないじゃないですか」
「……俺は狂犬じゃない」
「休まない人は、それと似たようなもんです。嫌なら、もうちょっと休んでください。ハルトくんも心配してますよ」
ふあ、と思わず欠伸が漏れた。眠気がやばい。どうにかしないと、今にもぐーすか寝てしまいそうだ。
立ち上がり、腰ポケットから財布を取り出す。小銭を自販機に突っ込む段になって、ふと思い出した。
やはり眠気には勝てないのか、どことなくボーッとしているカイトさんに声をかける。
「カイトさん、何飲みます? 奢りますよ」
「……余計な世話だ。要らん」
「まあそう言わずに。最近結構稼いでるんですよ、私。ふはは、こんな高い珈琲も買えちゃう」
「……おまえ、やはり寝ろ」
カイトさんは要らないの一点張りだったので、結局私は一人分の缶珈琲だけ購入した。
決して美味くないが、不味くはない。缶珈琲とはまこと不思議な味である。私はちびちびとそれに口をつけつつ、元の位置に腰を戻した。
「……あれ、そういえばオービタルは?」
「あいつはナンバーズの情報処理だ。機械は休む必要がない」
「そうですか」
……のわりに、オービタルは居眠りとかもしていた気がする。アレは自動的に足りなくなった電池を補っているのか、それとも人間でいう居眠りなのか。もし後者なら、カイトさんの技術はノーベル賞ものだと思う。この世界にノーベル賞があるのかは知らないが。
「……何故、あの場に居た。おまえには、ハルトの傍にいるよう言った筈だが」
ポツリと告げられた言葉に、叱責する響きはない。そのおかげで、私はさらりと答えられた──嘘を。
「自分を思い出す手掛かりがないものかと探していました。夕飯までには、帰るつもりだったんですけど」
「……そうか」
無意識だろう、痛ましい顔になったカイトさんは、まだ私の記憶喪失という嘘を信じている。疑ってもいないだろう。
無垢な人だ。一途な人だ。そんな人を騙して、傍らに悠々と座している私はなんて汚いのだろう。
だけど、真実は告げられない。別の世界から来たなんて、信じてもらえるわけがない。それを証明するものもないのだから。
「……じゃあ、ちゃんと休んでくださいね。カイトさん」
私はおもむろに立ち上がり、残っていた缶珈琲を一気に飲み干した。
む、とカイトさんがこちらを向く。
「どこへ行く」
「どこかへ。今ならカイトさんも休んでくれそうですし、私が見張る必要もないでしょう」
振り返り、おどけるように笑ってみせると、カイトさんは言葉に窮したようだった。
通りがかったオボットに空となった缶を渡す。それから、彼に再三警告する。
「どうかご養生を。カイトさん」
降り注ぐ日差しが眩しい。徹夜明けの身体には厳しすぎる。気のせいか、身体の節々は痛いし。
私は一人、幽鬼のようにハートランドシティをさ迷っていた。もはや日課となってしまった散策は、そう簡単に止められない。
だが、今日はあの病院まで行くのは難しいだろう。何せ、いまの私が病人のようなものだ。子供たちのエネルギッシュな遊びには、到底付き合えそうにない。
ふと、見覚えのある人と目が合った。相手も私に気がついたのか、お互い足を止めた。
「……おまえ」
「あ、お久しぶりです。シャークさん」
へらりと笑うと、シャークさんは瞠目した。
話したいことがある、とシャークさんは私を連れて移動した。
一体彼が、たかだか一回会った程度の私に何を話そうというのか。疑問に思わなかったわけではないが、しかしシャークさんのお願いを断る私ではない。喜んで! と、オヤガモを追うコガモの如く神妙に従った。
見るからに怪しい路地裏を通り、およそマトモな青少年なら絶対に使わないだろう裏道を辿って到着したのは、どこから見ても非の打ち所のない非行少年の溜まり場だった。
どことなくニヤニヤしているか、シャークさんが連れている私を見て目を丸くしているか。その二極化を果たす非行少年たちは一人の例外もなく、私たちに視線を注いでいた。
その真っ只中を、シャークさんは臆することもなく進んでいく。もはやここまで来てしまっては意地だ、と私も彼の後に続いた。
「おい、シャーク」
不意に、一人の少年が声をかけてきた。少年というよりも青年に近い外見だが、しかし未成年に見えるので、定義的には少年が正しいだろう。
「それ、おまえのオンナか?」
ニヤニヤしている彼の発言に触発されたのか、周囲の少年たちがヒトの気に触る笑い声を上げる。
眉をひそめたくなったが、反応したら負けだ。私はポーカーフェイスを保つ。
シャークさんは動揺することもなく、淡々と答えた。
「んなわけねェだろ。聞きたいことがあるだけだ」
「らしいぜ? アンタ」
……え、何? 誰に話振ってる? え、私? 何か反応しなくちゃいけないの?
じっとこちらを眇めるシャークさんの視線で、やや遅れながら事態を察した私は言葉を紡いだ。
「……そ、その通りです。私とシャークさんは疚しい関係ではありません。ただのお友達です。お友達」
途端、少年たちは爆笑の嵐に包まれた。オトモダチオトモダチ、と連呼しながら腹を抱えている。
私はそんなに面白いことを言っただろうか。ちらりとシャークさんを窺うと、彼は頭が痛そうにしていた。突発性の頭痛だろうか。
「……行くぞ」
未だ腹を抱えて爆笑している少年たちを置いて、私たちはさらに奥へ向かった。
決して衛生的とはいえない廊下を、私たちは進む。
「おまえと俺がオトモダチだとは初耳だぜ」
「え!? じゃあ私たちはどういう関係なんですか!? 一時の関係だったんですか!? 用が済んだらポイな大人の関係だったんですか!?」
「誤解されそうな言い方すんじゃねェ!」
そうして辿り着いたのは、誰もいない行き止まりだった。昔は物置にでも使われていたのかもしれない。
シャークさんはようやく足を止め、手近な壁に背を預けた。私もそれに倣おうと思ったが、彼ほどサマになるとはどうにも考えられず、もし倣ったとしても第三者には彼と比較されるに違いないため、ちょっとションボリしながら立ち尽くすことに決めた。
「おまえとデュエルしたい」
そのとき、シャークさんは唐突に言った。
「……はい?」
「いいから。構えろ」
そう言う間に、壁から離れたシャークさんはDゲイザーとデュエルディスクをセットし終えていた。
デュエリストはデュエルを挑まれたら、断る方が変だ。私は少し悩んだ末、義眼の上からDゲイザーをセットした。視界をARビジョンに切り替えなければ、不具合は生じない筈だ。
私はフォトンモードを使えるためDゲイザーは不要なのだが、ドロワさんやゴーシュと連絡を取るときに便利なので持ち歩いているのだ。
しかしさすがにデュエルディスクは持ち歩いていないので、義手のそれを利用することにした。
義手のデュエルディスクを起動させた私を見て、シャークさんは目を眇めた。何か言われる前に、私は先手を打つ。
「ちょっと事故に遭いまして。それ以来義手なんですよ」
「……何でもいい。やるぞ」
妙に詮索されなくてよかった。私は人知れず安堵した。
ARビジョンが形成され、私たちの周囲だけデュエルに特化した空間と化した。
「「──デュエル!」」
吹っ飛ばされたときに、頭を打った。痛い。弾みでオービタルとのリンク機能が作動したせいで、痛みが倍増している。
ARビジョンが崩壊していく。デュエル終了の合図だ。
流石シャークさんだ。
完膚なきまでに、負けた。
よろよろと立ち上がると、シャークさんは不機嫌そうにデュエルディスクをしまっていた。
「──おまえ、前のデッキはどうした」
前のデッキ、とは青眼の白龍を軸としているあのデッキのことだろう。
私はDゲイザーを懐にしまってから、デッキをケースに収納した。
「封印しました」
「……封印、だと?」
「えぇ。あの清い龍と乙女を、私の悪事に付き合わせるわけにいきませんから」
他のカードなら付き合わせてもいいというわけではないが、アレは社長の嫁だからな。あまり私が勝手をするわけにもいくまい。
「……悪事?」
「そうは見えないかもしれませんが、これでも私、結構な極悪人なんですよ?」
ヒトの魂ごとカードを奪ったりするような、ね。
いつものように笑ってみせると、シャークさんは冗談だと思ったらしい。鼻で笑われた。
「……シャークさん。お話は、これだけですか?」
「あぁ。外まで送る」
思わぬ紳士発言は、完全な不意打ちだった。目をぱちくりさせてしまう。
「奴等に余計な詮索をされても面倒だ」
「あ、そういうことですか」
なるほど。シャークさん自身に面倒がかからないためか。……ちょっと、ときめいて損した気分だ。
そうして溜まり場の入り口までシャークさんに送ってもらったとき、ふと思い出したように彼は口を開いた。
「おまえ、もう少し警戒心を持て」
……はて、どういう意味だったのだろう。
シャークさんの姿が再び溜まり場へと消えたとき、義手に通信が入った。オービタルから、ということはカイトさんからだ。
歩きながら応答する。
「はい、もしもし。少女Aです。ナンバーズですか?」
『いま何処にいる』
単刀直入に用件からぶっこまれて、私は瞠目した。今日は不意をつかれることが多い日だなぁ。
「いまは帰路です。何かありましたか? ハルトくんに何か買っていきましょうか?」
『それは此方の台詞だ。何かあったのか』
「はい?」
『随分と治安の悪い場所にいるようだが』
……リンク機能で場所が把握できるのは、私だけじゃなかったようだ。オービタルには、今後そういう余計なことをカイトさんに伝えないように言っておこう。
しかし、これは、もしかして。
「ちょっと私的なデュエルをしてました。大丈夫です。ナンバーズに関係はありませんし、私にも異常はありません」
『……そうか』
「……カイトさん」
『何だ』
「もしかして心配とかしてくれちゃった感じですか?」
『…………────』
通信を切られた。
ははあ、図星か。そしてデレ期か。
この路地裏に人気がなくてよかった。いまの私の顔はとてつもなく気色悪いだろうから、他人に見せられるものじゃない。
通信を繋げるのは、あちらからだけじゃない。当然のことながら、私の方からかけることも可能だ。
長い待機時間の末、ようやくカイトさんは出てくれた。
『……何だ』
「ご心配ありがとうございます、カイトさん」
嬉しかったですよ、と付け加える。長い沈黙。そうしてやがて、彼は一言だけ返してくれた。
『…………あぁ』
このロマンチストめ、と私は己を笑った。
不思議と悪くない気分だった。