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2. 一時終幕



「【】」



 私を覆う傘のように、無数の矢がどこからともなく顕現する。その内の一つが銃弾に当たり、消し飛んだ。

 角度を逆算して感覚で位置を計算。狙撃は遠距離からの攻撃手段だが──狙撃手の位置が解れば、対処するのは造作もない!



「【あっち】!」



 私が指し示した方向へと、矢の雨は一直線に向かっていった。命中したかどうかは確認しようがないが、下手な鉄砲数打ちゃ当たる。致命傷とまではいかずとも、怪我ぐらいは負ったろう。

 しかし──まあ。



「──どんだけ雇いやがったんだ、奴ら……!」



 大道路を塞ぐかのように人間と異形が入り乱れて、私の進路を阻んでいた。

 たった一人に見つかってしまえば、後は芋蔓式だった。どれだけ迎撃して蹴散らしても、すぐに誰かに見つかってしまう。そうしている間にみるみる数は膨らんで、いまに至る。

 とっくに無関係の人達は散っていることだけが幸いだった。いまの私に、周囲を庇う余裕はない。

 ……逃げるか──?
 この数相手では、勝てないのは目に見えている。オーバーヒートして自失するよりは、逃げて体勢を立て直し、各個撃破する方がまだ勝ち目は────



『小兎。今からでも遅くない。帰ってきなさい』



 ──私の思考を止める、声。

 障害物の誰かが持つ拡声器から発せられているようだった。

 嫌になるぐらい聞いた声。生まれたときから知っている、この世で一番憎い声。

 ──父親の声。

 怒りで頭が沸騰しそうな感覚に襲われた。いまの私は、頭の天辺から爪先まで真っ赤に染まっているのではないか。



『母さんも悲しんでいる。おまえがいなければ寂しいよ。すぐに帰ってきておくれ』

「……母さんの名前、言ってみなさい」

『……ミキナだろう。何を突然──』

「──ほらね」



 自分でも驚くぐらい冷たい声音が出た。でも不思議には思わなかった。

 いま、この場にあの男はいない。日本から──安全な場所から悠々と此方を眺めているに違いなかった。そういう男だ。



「結局、あなたはそういう人間なんだ。私のことも、母さんのことも──姉弟たちのことすら、あなたはどうでもいい。あなたが気にしてるのは“鬼”のことだけ」

『小兎、滅多なことを言うものじゃない』

「その台詞、そっくりそのままお返ししてあげる。私がいないことを寂しがってくれる母さんは、私を生んだときに死んだ。ミキナなんて名前でもなかった」

『──────』

「いま、あなたの妻は何人になった? どうせまだ赤ん坊生産工場の長でいるんだろうね。妻だった女の名前すらろくに覚えていないんだから、何にも変わってないんでしょう」



 私が記憶している限りでも、あの男は二六人も娶っていた。その全員に自分の種を配り、赤ん坊を次から次へと生ませては“鬼”を求める為の糧にした。

 最低最悪の人種。
 その血は、私にも流れている。

 あの男が生産した赤ん坊の中で、一番長生きなのはいまの私だ。既に二〇年以上生きた。百を越える赤ん坊が生まれていたのに、その中で初めて成人を迎えた個体が、私なのだ。

 沢山いた兄や姉は、顔や声を知る者も知らぬ者も、みな死んだ。ある姉は虫に食われて、ある兄は気が狂って、ある姉は干からびて、ある兄は反逆して──例外なく死んだ。

 そうして死んだ姉や兄たちの中で──こう言って、笑って死んだ者もいた。




『私が』『俺が』『死んだら』『おまえが』『あなたが』『弟を』『妹を』『守って』『庇って』『あげてね』『やれよ』

『私を』『俺を』『食べて』『食って』『生き延びてね』『生き延びろよ』

『頑張ってね』『もうおまえは』『お姉ちゃんなんだから』




 ──どうして、彼らが死なねばならなかった。

 どうして彼らが死に、こんな男が生きている。



「私が次にあなたに会うときは、妹と弟を取り返しに行くときだけ──あなたの喉を喰い千切るときだけ。
 ──それまでに彼らに危険が及んでみろ。姉と兄が受けた苦痛を数千倍にして味あわせてやる」

『……どうやら、反抗期みたいだね。おまえに酷いことをしたくないけど、お仕置きが必要なようだ』



 立ち並ぶ人間と異形たちがせせら笑いを浮かべる。いつの間にか私を逃がさないよう、ぐるりと円になっていた。……わざわざあの男が私に話しかけてきた理由は、この時間稼ぎか。

 ──ばさり。
 着物を精一杯広げた──小動物が己の姿を大きく見せる為に毛を逆立てるみたいに。

 兄妹たちは、私が鬼の力を使うことを──許してくれるだろうか。彼らの犠牲の上に成り立つこの力に頼る私を、まだ姉妹だと呼んでくれるだろうか。

 ──許してくれなくてもいい。死んでいった姉と兄たちに会わす顔がなくなってもいい。その先に、妹や弟たちが笑う未来があるのなら。

 人間も異形も区別はない。鬼の舌の上では、全てが同じ味だ。この口に入ったことを後悔しろ。












 小兎らしき着物の少女が五六番街で多数を相手取っているという一報が飛び込んできたときには、既にクラウスとスティーブンはそこへ向かっていた。

 その頃には、彼らは事の顛末をおおまかに把握していた。小兎が母国を飛び出してきた理由も、HLに来た理由も。



「クラウス。俺が言うことでもないが、彼女の実家とは──」

「──既に家には連絡した。処遇をどうするかは、私が決めることではない」

「……そうか」



 令嬢だなんてとんでもなかった。小兎は地獄を生き抜いた猟犬だった。

 仲間の死体や蛆虫を食い、泥水を啜り、尊厳や矜持を奪われた日々──それでも絶望せず、死を選ばなかったのは、家族のため。

 姉や兄たちの無念を晴らすため。
 妹や弟たちを少しでも早く救い出すため。

 突き詰めれば、それは自己満足だ。
 数多の兄弟の中で、たまたま小兎だけがそれを果たせる力を得た。そのことを彼女自身は重々理解しているだろう。だがそれでも、彼女はそうせざるをえないのだ。

 そうしなければ、彼女は本当に死んでしまうから。












「【殴りあって死ね】! 【押し潰されて死ね】! 【切り刻まれて死ね】!」



 私が何かを唱える度に、それに呼応した現象が起こる。最初の一言で数十人が突如殴りあい始めて、次の一言で数十人が見えない何かに圧殺されて、最後の一言で不可視の刃に喉元を切り裂かれた。

 現象が一つ起こる度、私の頭には焼け爛れるような痛みが走る。

 一人や二人が対象ではない。これだけの大人数を対象に、しかも立て続けに行使しているのだ。無理もなかった。

 しかし、やめることはできない。一度口を閉じたが最後、私は終わる。

 味方なんていやしない。世界にいるのは、欠片ばかりの仲間と守るべき弱者。それ以外は敵だ。

 だから、この状況は苦しさこそあれ、恐怖はない。恐怖を抱けば、私はその瞬間に死ぬ。これで丁度いいのだ。



「【】」



 私が虚空に手をかざせば、何百丁もの銃がずらりと並んだ。ばっと手を降り下ろす。



「【斉射】!」



 鳴り響く、何重もの発砲音。
 断続して撒き散らされる血飛沫と臓腑。

 私には当たらないよう調整してあるからいいけれど──少し、頭、が──



「この、クソガキッ!」

「っ──!」



 一瞬、されど致命的な隙だった。

 背後に現れた異形が、触手めいた槍を何本も私へと差し向ける。それは苦もなく私の身体を貫通する──

 ──直前で、ぎゅるりと歪な方向へねじ曲がった。それも一本や二本ではなく、全てが。



「……ぁ?」



 間抜けな声を出した異形も、直後にぎゅるりと雑巾みたいに絞られた。蛸が串刺しにされて絞られたら、きっとこんな姿になる。

 ……私は何も発していない。となれば、これは──



 ――暴走状態オーバーヒート



 熱でぼんやりする頭で、私はそう呟いた。

 頭痛。吐き気。脳が焼け爛れるような感覚。

 その直後に、私を中心にして爆発が巻き起こった。爆風で私以外が吹き飛んでいく。

 ――あ……意識が、もう……保て、な……─────





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