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8.臆病



 百鬼の怪舌ちからは、万能じゃない。

 怪舌を知った者は初め、まず誤解をする。
 怪舌の力に制限はなく、どんなことでも具現化できるのだと。

 ──そんなことは断じてない。

 まず時間制限がある。それから使用者の身体より大きなものを具現化させることも──死者を蘇らせることも、できない。

 そしてこれはヒトに干渉する場合に限るが──相手に少しでも恐怖心を抱いた場合、怪舌の効果は世界に反映されない。

 その恐怖心の幅は、どんなものまで適応されるのか、私にも解らない。実家の倉に眠る、古ぼけた書物にも記されていなかった。

 確かなことは、私が相手に怯えてはいけないということだけ。相手が傷付こうが、化け物になろうが、死のうが、私は心を平坦に保たねばならない。

 それは簡単なことだった。世界で意識しなくてはならないものは、兄姉の死体と弟妹の平和、あと少しばかりの己の安全。私の心を揺らすのはそれぐらいのもので、それ以外は万事敵であると認識していれば何も問題はなかった。

 そう、なかった筈だった。










「小兎ちゃんは日本ジャパンの出身? なら本場のサクラを見たことが?」

「えぇ、何度か」

「それは羨ましい! 一度でいいから本場のソメイヨシノを見てみたいのよ」

「期待に応えられるものだったらいいんですが」



 微苦笑を浮かべる私に、隣の老女は力強く頷いてみせた。「絶対綺麗に決まってるわ」きっぱりと言い切られて、私は返す言葉に窮する。

 もう片方の私の隣には、クラウスさんがちょこんと座っていた。彼は老人と、もう一人の老女と歓談を楽しんでいた。

 隣の老女から放たれる怒濤の言葉に精神をがりがり削られながら、私は朝の会話を思い出していた。



『……あれ、クラウスさん、どこかに行かれるんですか?』

『あぁ。……よければ、一緒に来るかね?』

『いいんですか!? 喜んで!』



 ほいほいついていった自らの迂闊ぶりには絶望するしかない。せめて行き先を聞いてから決めるべきだった。クラウスさんと出掛けられるというから、浮かれていたのが失態だった。

 ──クラウスさんに園芸趣味があるのは知っていたが、まさか老人たちの交わりに参加するほどだったとは。

 数多の植物たちが息をする、大きな植物園。
 その中で、私たちは丸いテーブルを囲むように、それぞれの椅子に座っていた。お年を召した方が多いから直接地面に座るのは辛く思えて、自然こうなったのだという。



「HLのどこかにはサクラがあるのかもしれないけど、私は知らないじゃない。だから息子たちにネットで写真を見せてもらうのが楽しみなんだけど、でもそれだと匂いとか、その場の空気は解らないのよね。やっぱり花はこの目で見なくちゃダメだってよく解ったわ」

「……そ、そうですね」



 ──恐るべし、おばあちゃんの元気ぶり。
 話し始めたときから口を休める気配すらない。

 無闇に打ち切るのも失礼だろうと相槌を打つに留まっているのだが、そのせいで桜の話はずるずる続くばかり。老女の話に微妙な笑顔で相槌を打っている内に、私が生き抜いた山にも桜があったことを思い出した。

 詳しい種類までは解らないけど、ソメイヨシノでなかったことは確かだ。とても綺麗で、怖くて──惹かれた、桜だった。

 ──私が怪舌を得る、前。

 食料を探しているときに、その桜を見つけた。山中にこんな桜の樹があったなんて知らなかったから、瞠目したものだ。
 曇天の深夜だというのに、その桜はやたらと明るく見えた。甘い香りがした。微風で儚く揺れる花弁に、ぞくりと背筋が粟立ったことを今でも覚えている。

 その桜の周囲には、他に植物がなかった。雑草すらもなかった。異常とも思える場で、私は何を思ったのか、その桜に近寄った。食料となる虫を探そうと思ったのか、桜の美しさに血迷ったのか、記憶に残っていない。確かなのは、その桜に手を伸ばしたことだけだ。

 幹に手のひらを当てた直後、近くにヒトの気配を感じてバッと振り返った。姿は見えなかったけど、無害な存在だと判明したわけじゃない。兄弟を疑いたくはなかったが、桜の傍なんて目立つ場所にはいられなかった。桜から離れ、また山中の闇に戻った。

 ──桜を見つけたのは、その一度きり。それから思い出す度にあの桜を探してみたけど、二度と目にすることは叶わなかった。

 今になって、ふと思う。
 あんなにも綺麗だった桜の下には──兄姉たちの死体が埋まっていたのではないか、と。

 それぐらい、綺麗な桜だった。

 奥底に眠るくせに、鮮明に思い出せてしまう、根深い記憶。頭の中にあの桜が根を張っているんじゃないかと、疑ってしまうぐらいだ。



「あら、いらしたわ。先生ー」



 老女の視線と興味が、私から反れた。

 それで現実に戻ってくる。ハッと顔を上げた。



「止してくださいな。僕は先生なんぞじゃありません。ただの庭師、管理人です」



 彼女が手を振っていたのは、中年の男性だった。その後ろをついてきていたのは、鉢植えを抱えた小さな少女。

 ──ふいに、妹たちの顔が少女に重なった。

 全然、似ていないのに。沢山いた妹たちの一人たりとて、彼女と顔が被ることはないのに。だというのに、何故か私は似ていると思ってしまったのだ。

 老人たちが口々に男性と少女に挨拶をしていく中、私はじっと彼女を見つめていた。ふと視線が合う。……少女がさっと男性の後ろに隠れてから、ようやく自らの失礼に気付いた。



「あ、ご、ごめんなさい。妹を思い出してしまって、あの、怖がらせる気はなかったの」

「大丈夫ですよ。あまりヒトに慣れていないだけですから」

「私たちもまだ慣れてもらえないのよ。諦めないけどね!」



 老女の言葉に、男性は笑いながら少女の頭を撫でた。それから私へと視線を移して、かっと目を見開いた。何か信じがたいものでも見たように。

 血相の変わった顔で、震える唇で、彼は何かを言おうとした。だがそれよりも早く、クラウスさんが私へと手を向けた。



「ミスター・キリシマ。こちらは小兎。私の仲間です」

「あ、ご挨拶が遅れました。はじめまして、小兎といいます。突然押し掛けてしまい、申し訳ありません」



 クラウスさんからの紹介を受けてから、私は男性に頭を下げた。老女が楽しげに笑う。



「信じられないぐらい良い子でしょう? 小兎ちゃん、先生と同じで日本の出なんですって。納得よねぇ」

「……ぁ、あぁ。そうなんですか。どうも、キリシマといいます」



 彼は──キリシマさんは、私に向かってわずかに頭を下げた。また目を合わせたときには、顔に血の気が戻っていたから、さっきの表情は見知らぬ他人に向ける警戒からくるものだったのだろう。

 それから、クラウスさんや老人たちが話の花を咲かせ始めた。その間、私は少女──メイヴィというらしい──とコミュニケーションを取ろうと頑張ってみたが、結果は一言も引き出せないという惨敗に終わった。子どもには警戒されない方だと思っていたけど、この認識は改めた方がいいかもしれない。

 キリシマさんがメイヴィを連れて、園芸サークルの人たちに植物園の詳細を説明し始める。私はがっくりと肩を落としながら、彼の説明に耳を傾けていた──ら。



「……小兎ちゃん、あんた、どうしてメイヴィちゃんを構うのかね?」



 控えめに、ポンチョの袖を引っ張られた。振り返れば、先程クラウスさんと言葉を交わしていた老人がいる。

 キリシマさんの説明を邪魔しないよう、私たちは皆から五歩ほど離れた。



「妹に似ているもので……つい、構い過ぎてしまいました。怖がらせる気はないんですけど……あれでは信じてもらえませんね」

「いや、あんたに敵意がないのは分かっとるだろう。メイヴィちゃんは賢い子だから」ただな、と老人は言う。「不思議に思ったんじゃ。小兎ちゃんは日本人だろう。なら、あんたの妹も日本人だ。メイヴィちゃんとは似ていないんじゃないかね?」



 鋭い指摘。私は老人と目を合わせ、その真意を悟った。

 老いを感じさせない、ぎらぎら光る目だった。その目の前で嘘をついても、すぐに看破されてしまうだろう。だから、正直に話すことにした。



「……そうですね。顔は、似ていません」



 ──だけど。



「どうにも、彼女の雰囲気は──妹たちを思い出させるんです」



 最後に見た弟妹たちと、年の頃が似ているからか。あるいは、また違う理由からか。何故だか、私にも解らない。ただメイヴィを見ていると、彼らを思い出して仕方なかった。

 彼らを思い出して──どうしようもなく泣きたくなった。だからメイヴィに笑ってほしかった。

 そうかい、と老人は目元を緩ませた。双眸からは、ぎらぎら光るものが消えて、穏やかな気質が現れていた。



「変なことを聞いて、すまなかったね。いや、小兎ちゃんはクラウスさんの知り合いだ。悪い人じゃないのは分かっとる」

「……いえ、当然だと思います。メイヴィちゃんは、お孫さんのような存在なんでしょう」

「ははは。この歳になると、あれぐらいの子はみな孫みたいに見えてな」



 要らぬ世話だと分かってはいるんだが、と老人は笑いながら仲間の輪に戻っていった。

 ……まったく。流石はクラウスさんの園芸サークルだ。老人だとて油断ならない。

 あのぎらぎらした光には、見覚えがある。よく知っている。血塗れの記憶にこびりついている光だ。

 私たちを──弟妹たちを守ろうと、その為に命を懸けようと決めた、兄姉たちの目に宿っていた光だ。





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