×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

7.予約



 ツェッド・オブライエンがライブラのメンバーとなってから、私たちは幾ばくかの日数を要する交流を経てから、それなりに親しくなった。

 ツェッドは外見こそ変わっていたが、HLではそう珍しいものではなかったし、何よりとても常識ある性格だった。仲良くならない方が難しいのではないかと考える程度には、良いヒトなのである。

 ──だからって、ここまでパーソナルスペースを侵されて緊張しないわけじゃない。



「……ごめん、ツェッド。その足をもうちょいこっちに……そうそう、ありがと。少し楽になった。ツェッドは大丈夫?」

「……あ、はい。僕はまあ……」

「ちょっと待ってね。いまレオたちにメール打つから」



 早く助けてもらわないと、と言いながら指を動かす。暗闇の中で携帯電話の明かりだけが奇妙に輝いていた。

 ──この空間の長さは、一メートルないだろう。
 お互いが身体を折り曲げることで、比較的楽な体勢を取ることに成功している。あくまで“比較的”なので、長時間は辛いだろうと容易く予想がつくのが悲しい。

 私がツェッドの太股に跨がるようにして、彼の頭を抱え込みながら後ろに倒れ込むみたいな体勢を。
 ツェッドは足を伸ばしながら、上半身を私に任せるような体勢だ。

 どうして互いに背を伸ばせないのかといえば、天井がやたらと低いせいだ。目を覚ました直後に、頭頂部を強打した名残はまだある。

 触覚で把握した範囲では、この空間の形状は箱によく似ている。それもあまり大きくないやつ。どうしてツェッドと私を一緒に放り込んだのか、甚だ謎である。おかげで大層窮屈だし、ツェッドに申し訳ないことになっている。

 SOSメールを送信。携帯電話をポケットに戻したかったが、難しそうなので断念。手放して、底に落とした。

 彼らの対応が早いことを祈りつつ、ツェッドに声をかけた。



「どう、ツェッド。血法で壊せそう?」

「……難しいですね。さっきから試してはいるんですが……」

「これだけ近くに私がいたら邪魔だよね……。ホントにごめん。たぶんツェッドは私のとばっちりだし……」



 ……参った。

 溜め息が漏れる。



「気にしないでください。僕の鍛練が足りないせいですし……小兎さん一人で浚われるよりは良い状況ですから」

「いや、誘拐に良いも悪いもあるのかな……?」



 ──始まりは、数時間前に遡る。










「……げ」



 急な任務が入ったのでランチ行けない、というチェインからのメールに声が漏れた。

 不可視の人狼の中でも、チェインの能力は飛び抜けている。風の噂で私もそう知っていたから、彼女に任務が入ること自体は仕方ないと思えた。普段ならあっさりと割り切れただろうに、今日に限ってはそうもいかない。

 チェインと二人で行く予定だった本日のランチは、HLでも指折りの料理店レストランの予約だったのだ──二人組限定の。

 たかだかランチと侮るなかれ。本来なら予約は数ヵ月先まで満杯で、私とチェインがあの手この手を使ってようやくもぎ取った予約なのだ。……任務で行けなくなったチェインの歯軋りが目に浮かぶ。

 今日は学校が昼までだから息子たちに昼食を作らなくちゃ、とK・Kさんは既に帰宅。レオとザップはこの時期金欠だから無理。クラウスさんは──無理無理、まだ二人きりとか無理! ギルベルトさんは誘っても雅な言葉で丁重にお断りされるのが目に見えている。スティーブンには朝から会っていないから、ランチの為だけにわざわざ連絡を取るのも……。

 ──もうちょっと友人とか作っておくべきだった、かもしれない。仕事関係しか交友がないというのは、こういうときに困るといま解った。



「……あれ、小兎さん。そんなに何を落ち込んでるんですか?」



 扉を開ける音と一緒に聞こえてきた声に、私はハッとして顔を向けた。

 そうだ、最近新入りが入ったじゃないか!



「ツェッド、私とランチ行く気ない!?」

「……はい?」










 類い稀なる瞬間の連続が私たちに降りかかったのは、それからだった。

 ──外へ出たら猫と子供がトラックに轢かれかける瞬間に出会して、慌ててツェッドと二人でどちらも救出。バランスを崩していたところに路地裏からイカめいた足が生えてきて、私を狙ってきた。そこをツェッドが助けてくれたはいいものの、直後に上からヌメヌメした液体が降ってきて、二人してそれを頭から被った。ヌメヌメした液体は催眠効果でもあるのか、私たちは多大なる眠気に見舞われながら料理店に向かっていたのだが、突然ぶつりと意識が途切れて──

 ──気付いたら、この箱に詰められていた。



「……なんか、動いてない?」

「……動いて、ますね」



 車か何かに載せられて運ばれているような震動に、眉をひそめた。元から位置を把握していたわけではないが、移動されているとなればレオたちが私たちの居場所を突き止めるのには更なる時間を要するだろう。

 気持ちだけが逸り、じっとしていられなくなった。壁を見つめながら、何度目かの挑戦を行う。



「──【破壊】」



 怪舌の効果は確かに反映された筈なのに、私たちを取り巻く状況に変化はない。となれば、やはりこの箱には怪舌を凌げる何らかの効果がある。



「……やっぱダメか」



 わざわざ怪舌を凌げる効果を付ける理由なんて──たまたまでないのなら、そう多くないだろう。



「小兎さんを狙ったものだと考えるのが自然ですよね。心当たりとかは?」

「ありすぎ」努めて軽く言う。「レオの義眼と一緒。幾らでも悪用できる力だもの。欲しい奴らは幾らでもいるんじゃない?」



 くわえていまは、ライブラに保護されている身だ。ライブラに関する情報もオマケでついてくるとなれば、価値はつり上がるに違いない。知らぬ間に脳抜きとかされていなかっただけ幸運に思うべきか。



「どこまで運ばれるのかな……“永遠の虚”とかじゃないといいけど」

「……小兎さん、何か余裕ありますね」

「……そう?」



 言われて、私はふむと思案する。慌てて然るべき事態なのに、確かにそれほど慌ててはいない。何故だろうと考えて、すぐに答えは出た。



「……クラウスさん達を信頼してるから、かな」



 ツェッドは少しだけ黙ってから、言った。



「……小兎さんの生い立ちは、僕も聞きました。ライブラに保護されるまでの過程も」

「うん。私が話したね。覚えてる限りだけど」

「──あなたは、一人だ」ツェッドは続ける。「……それを、どう思っていますか」



 突然何を言い出すのかと思った。少しだけ瞠目してから、私は彼への返答を舌に乗せる。



「──何も」

「……何も?」そんな馬鹿な、と言いたげな声音だった。「他人の都合で生み出されて、同類なかまがいない世界で生きているのに、何も思わないんですか?」

「だって、それ以上に考えることが沢山あるんだもの」



 ツェッドの頭を抱え込むような体勢でなければ、私はきっと指折り数えていた。

「弟妹たちのこと。明日の生活。クラウスさん達への恩返し。知らない世界に対しての正しい知識。怪舌のこと──考えなくちゃいけないことは、もっともっとある。だから、過去むかしを振り返っている暇はないの」



 あえて口にしなかったことが、一つだけあった。この街に来たときからずっと考えていること。それはヒトに聞かせるモノじゃない──私だけが知る所で、絶えず燃やしておくべきモノだ。



「過去を思い出さないわけじゃないよ。だけど今は、過去より見ていたいものがあるから」

「…………」



 小兎さんは、とツェッドが小さな声で言う。



「強いですね、とても」

「もし本当に強かったら、いまツェッドに迷惑をかけずに済んだんだけどね……」

「いや、そういう強さじゃなくて……何というか、うまくいえませんけど」



 今度は、はっきりと告げられる。



「貴女は、刀みたいな強さを持っているように思います」



 ──直下地震めいた衝撃が襲ってきたのは、そのときだった。

 混乱しながらも、私たちは互いの頭を抱え込んだ。身体の節々を箱のあちこちにぶつけながらも、何とか意識を手離すことだけは避ける。ようやく衝撃の余波も過ぎ去って、運ばれていた際の震動も収まったことに気付いた。

 それからすぐ、光が飛び込んできた。ずっと暗闇にいたから目が慣れなくて、箱を開けてくれた人物が後光を背負っているように見える。



「……助けに来たんだけど、邪魔だった?」

「その声……チェイン?」

「うん」

「っチェイン!」



 チェインと解るや否や、私は箱から飛び出して彼女に抱き着いた。が、その際ツェッドを投げ出してしまったせいで彼は箱の角に頭を打った。

 ツェッドの呻き声でハッとして、私はチェインに抱き着いたまま振り返った。



「ごめん、ツェッド!」

「……大丈夫です。お気になさらず……」



 私の携帯電話を回収しながら、ツェッドが箱から出てきた。改めて見ると、この中によく二人も入っていたものである。

 私たちが居るのは、大型輸送車の荷台めいた場所だった。私たちが収まっていた箱の他にも、何だかよく解らないモノがあちこちに置かれている。



「しかしまさか小兎だけじゃなくツェッドまで捕まってるとはね。ちょっと驚いた」



 やっぱりこの箱すごいんだ、とチェインは私たちが収まっていた箱を足で小突く。それから箱を持ち上げ、ツェッドに渡した。



「それを回収してこい、って任務だったんだよね。その最中に小兎が浚われたって連絡が来てさ」

「……で、これはどちらまで運べば?」

「あの銀猿の弟弟子とは思えないぐらい気が効くね」

「思わないで頂きたいので」



 チェインとツェッドが会話をしながら、私たちは外に出た。

 外から眺めてみると、輸送車は凄惨な事故り方をしているのがよく解った。建物の壁に頭から突っ込んだせいで、運転席付近は磨り潰されたようになっている。

 腕時計に視線を移した。予想はしていたが、やはり肩が落ちる。
 足を止めた私に、ツェッドがくるりと振り向いた。



「小兎さん?」

「……いや、やっぱり予約した時間に間に合わないなって……」

「まあ、また今度行こうよ」



 チェインの慰めに、私は「そうだね」と笑いながら同意した。先を行っていた二人に追い付こうと、少しだけ駆けた。そのときは何とか三人分にできないかな、なんて考えながら。

 ──そんな日が来ることを、疑いもしなかった。



  |



戻る