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6.危機



 ザップが紙に描いたHLの図に、私とレオは二人揃って絶句した。何せ、巨大な蛸の上にHLが乗っている絵なのだ。ちなみに画力は高くなかったが、とりあえず状況は解るといった具合だった。

 ……何だろう、この……胡散臭い宗教が嬉々として食らいついてきそうな……超古代文明みたいな……。言葉にならないモヤモヤした感慨が胸中を満たす。



「いや、いやいやいやいや。古代インドか!」



 いち速く復活したレオがツッコミをいれる。私は彼の隣で何度も頷いて同意を示した。

 対し、ザップはフライドチキンを食べながら言う。



「いやでもよー、HLこの街の周りって滝みたいになってんじゃん。船とか行けねえじゃん。つか底無しって話じゃん。そこからタコ足だぞ?」もぐもぐ、ぺらぺら。ザップは口を二重の意味で動かす。「あながち有り得なくもねくねえか? マジで」

「……この時代にいきなり紀元五世紀の世界観に揺さぶられるとは……」

「……有り得ないと言い切れないのがまた……」



 悲しいかな、この街では何でも起こる。それこそ想像外の出来事だって。

 私たちは目を細めて、紙からザップの方へと視線を移す。

 フライドチキンを分けてくれる気配もない(別に要らないのだけど)ザップの腹を、二人で見つめた。

 ……ぷよぷよしている。



「てゆーか、ヤバくねえっすか。その腹」

「中に誰か居そうな腹だよね」

「何がだ。陰毛アタマ、まな板胸」

「いや何がだじゃなくて」

「ま、まな板じゃないし! 何なら触るか!?」

「小兎さん!?」



 レオがギョッとした顔を振り向いて、私はハッとした。いかん、勢いで物を言ってしまった。ライブラに入ってからというもの、脊髄反射で言葉を口にすることが増えてる気が……!

 でもまな板なんて言われて悔しいのも事実で。
 そりゃチェイン程じゃないけど、人並みぐらいにはあるもの!

 お、とザップが指をペロリと嘗めた。意地汚い仕草だが、黙っていたら顔は良い彼がすれば様になる。実に腹が立つ。



「まな板なんか触ってもしょうがねえけど、おまえがそこまで言うなら──」



 ザップが私の胸へと手を伸ばしてくる。そこまで・・・・言ってないだろうが! ホント性根までクズだなこいつ! 

 まな板じゃないことを証明する為に、私が退かない姿勢を見せていたら──たまたま、その変化に気付いたのが一番早かった。ザップの出っ張った腹が一部、何かに踏まれているように凹んでいるのだ。あれ、下っ腹だけやたら──と私が思ったとき、その存在の色は濃くなった。



「……チェイン!」

「ダメだよ、小兎。こんな奴に触らせたら」

「あだだだだだだだだだだ!」



 ──ザップの腹の上に、チェインが直立不動の体勢で棒立ちしていたのだ。

 ザップのぷよぷよした腹をトランポリンの要領で蹴飛ばしたチェインは、体操選手みたいにくるくると回ってから綺麗に着地した。それからメモを取り出し、優美に振り返る。



「素敵メモその一」



 チェインはつらつらと上げ連ねる。



「ケンダッジーフライドチキンパークアベニュー店店員、アンジェリカ・ライアン」



 ザップがあわあわと手足をタコみたいに動かし始めた。もはや私の胸の件など頭から抜け落ちている様子である。

 ……もしかしてチェイン、助けてくれたのかな。



「一九九五年七月二二日、旧ニューヨークマンハッタン島生まれ。血液型O。スリーサイズ九九・五八・九二」



 わあスタイル良い。
 ……なんて感想は置いておいて、私とレオは得心した顔をする。



「……そうすか。そういう事すか、その腹」

「テメエふざけんな! ストーカーか!」

「いや、どっちかっていうとストーカーはアンタでしょ」



 私とレオの言葉など届いていないらしいザップが慌てた風に、チェインに声を荒げた。が、対する彼女は平然としている。



「失敬な。あたしは友達から変なエロチンピラに絡まれてるって相談受けただけだよ」

「何!? いっ、いいいいいいい犬女、おまえアンジェリカたんと知り合いなのか!?」



 たん、て。
 そりゃ、こんな腹にもなるわ。私は肩を竦めたくなった。



「めっ、めめめめめ」ザップが握っていたフライドチキンを振り上げる。「メアド!」

「教えるかバ───カ!」



 食い気味だったチェインの怒声は至極ごもっとも。

 それから口喧嘩を始めた二人を眺めつつ、私はレオに話を振った。



「……レオもさ、胸は大きい方がいい?」

「あー、このタイミングでは答えづらいっすねー」

「正直に白状してよ」

「余計言いづらくなりました」



 視界の端で、スティーブンが電話に応じるのが見えた。……あいつもそうなのだろうか。そう思ったと同時に先日の失態が脳裏を掠め、頭を抱えたくなった。二度と風邪なんてひくか、と決意したのは記憶に新しい。

 ──と、唐突にザップが動きを止めた。



「──ん!?」

「何すか」

「オ、オウ……。さっきから寒気がな」

「風邪すか」

「ちょっと、うつさないでよ。私、二度と風邪ひかないって決めたんだから」



 チェインがザップに背を向けた。口喧嘩も一段落ついたらしい。

 入れ替わりで、スティーブンが此方を振り返った。その顔色はよくない。それをレオとザップも察知したのか、私たちの間に流れる空気が変化し始める。



「……?」

「……いや。動物的勘てやつか。お前、やっぱり凄いなと思って」



 そう言うスティーブンの目は、ザップに向けられていた。

 ──電話は、牙刈り本部からの連絡だった。

 インドで血脈門の解放を確認した──それは血界の眷族ブラッドブリード御用達の空間連結術式だった。
 つまり──奴らがこの街へやって来るということだ。










 目標を半身欠損状態まで追い込むも、今なお交戦中。この街へは戦いながらやって来たということだ。やはり血界の眷族は桁違いの存在だとしみじみ思う。

 相手がかなりの上位存在だということが判明したため、滅殺を諦めてクラウスさんによる封印を敢行する事になったらしい。

 ──そういった旨のことが、スティーブンによって全員に通達された。

 対象の存在がどこに現れるか解らないため、私たちは三手に分かれていた。
 ザップは単独、ギルベルトさんが運転する車にはクラウスさんとレオ、……スティーブンの車には私。戦力を配分するという意味では最善の人選だろうが、もう少し配慮を──するわけないか。スティーブンだし。

 肩を張っているのがバカらしくなって、私は椅子に凭れた。そもそもどうして私がこんなに緊迫しなくちゃいけないんだ。



「スティーブン」

「何だい」



 これからの事態に備えてか、運転席のスティーブンの声は硬かった。

 窓の外を眺めながら、私は何気なく口を開く。



「私、以前より貴方があのヒトに似ていると思わなくなりました」

「…………ぇ」

「勝手に同一視してて、すみませんでした」



 それだけです、と私は会話を打ち切る。言いたいことはそれだけだった。

 スティーブンは恩人の一人で、あいつは憎むべき仇敵。共通点なんて、それこそ雰囲気しかなかったのだ。

 信号が赤に変わった。スティーブンが目だけで此方を窺う。



「……ちょっと、それどうい──」



 そのとき、無線が入った。



『K・K』見つけたわ、と無線は続ける。『フラットアイアンディストリクト南、パーキッソスビルのカフェ“空中楼閣”よ!』



 言うだけ言って、無線は切れた。

 スティーブンが何かを言いかけていたような気がして、私は彼の方を向いた。



「スティーブン。何か?」

「……いや、もういい。いまは目の前の案件に集中しよう」



 スティーブンはハンドルを切った。










 K・Kが車内に残された母子を救出しようとするが、戦闘の余波で吹き飛ばされた物体が雨霰の如く飛来する。あと少しなのに間に合わない──といったとき、彼女の周囲が一瞬で氷結した。──吹き飛ばされてきた物体ごと。

 後を追うように、少女の声が路上に響く。



「【破砕】!」



 パリン──微かな音を立てて、氷塊が砕けた。
 K・Kが庇う母子を傷付けないように、粉々に。

 K・Kの前には、一足先に飛び出したスティーブン。
 後ろには息を切らして駆けてきた小兎がいた。

 K・Kから母子を受け取りつつ、小兎は言う。



「……K・Kさん、彼女らは私が避難させます」

「ごめん、任せた」

「いえ。……お気をつけて。なるべく早く戻ります」



 K・Kに目礼してから、小兎は母子を先導するように歩いていった。彼女の足取りから母子を気遣っていること、周囲を警戒していることが窺えて、K・Kの頬は知らず緩む。

 ──それに比べて、と彼女は鋭い目付きで前方の男を睨んだ。



「ドンピシャ過ぎるよ、何かムカツク。きっと陰でタイミング測ってたんだわそーなんだわ」

「あれ。おっかしいな、誉められこそすれ罵倒される流れじゃないと思うんだけど」



 ──こっちだってドンピシャのタイミングで邪魔されたんだ、という言葉をスティーブンは寸でのところで飲み込んだ。

 そして、二人は前を見据える。










 私があの親子を安全な所まで避難させて戻ってきたとき、嵐は一時収束していた。

 そして目を疑った。
 あのザップがされるがままに宙吊りにされていたからだ。

 そこでザップの頭を歪な血の手で鷲掴みし、宙吊りにしていたのは、斗流血法創始者──裸獣汁外衛賤厳らじゅうじゅうげえしずよし殿らしかった。ザップの師匠に当たる方だという。

 らしかった──と付くのは、その方がどうにも人間とは信じがたい風体をしているからだ。しかも声はシャアアアシャアアアという異界生物みたいなもの。

 ザップがされるがままになっているから、師匠というのは真実なのだろうけど。

 汁外衛氏は余程の大物らしく、あのスティーブンが敬語で接していた。ライブラのメンバーも勢揃いしているし、汁外衛氏は本当にすごいヒトなのかもしれない。

 汁外衛氏がクラウスさんへと顔(らしき部分)を向けた。



「貴様が滅獄の術式を付与されし血か」

「はい」



 汁外衛氏はシャシャキアアという人間にはおよそ理解不能な言語で喋っているので、宙吊り状態のザップが通訳していた。どうしてあの言語が理解できるのだろう。もしかしたらザップも人間ではないのかも……いやさすがにない。



「これを見よ」



 ザップの腹をぽいんぽいんぽいんと杖でつつきながら、汁外衛氏は語る。



「儂を師匠と呼ぶこの糞袋が鍛練のタの字も掠らぬ生ゴミとなり果てとる。まるで浅黒く腐った猛毒の餅じゃ。忌々しさを固めて人型にして蛇蝎を埋め込んでも、ここまで不快なものにはなるまい」



 ……汁外衛氏、なかなか語彙が豊富なお方である。

 しかも何がシュールかって、以上の罵倒は通訳の必要上ザップが口にしているのだ。自分への面罵を、自分で言わされているのである。

 それからも汁外衛氏によるザップに対するザップの口から漏れる罵倒はしばらく続いた。



「──ということで、こいつは連れて帰る」



 ……え?

 突然の言葉にキョトンとするしかない私たちより、当人のザップの方が反応は早かった。腹をつつき続けていた汁外衛氏の杖を掴み止め、彼はじたばたと抗議する。



「……って、ちょ……! ちょ、待てよ! ジジイ……! じゃなくて師匠……!」



 途端、口答えは許さぬとばかりに汁外衛氏はザップの頭を締め付けた。血でできた手の爪を立てているようにも見える。

 悲鳴を上げるザップに同情したわけではないが、それでも口を挟まずにはいられなかった。



「──ま、待ってください!」



 声を上げた私に、居合わせた全員の視線が集中した。

 汁外衛氏がぐるりと振り返る。改めて向き合うと、独特の威圧感を持ち合わせた御仁だということが身をもって理解できた。



「確かにちょっと……いやかなり……きっと恐らくとてもだらけた腹ですし性根はそれ以上にだらけきってますけど、ザップにそんな価値は期待していません。あの、どうか再考頂けないでしょうか」

「おいまな板、本音ダダ漏れだぞ」



 ちらりとスティーブンに視線を配る。彼はすぐに意図を理解して、取り成すように一歩踏み出してくれた。



「ザップは確かに度しがたい人間のクズですが、我々にとって欠くことの出来ない大事なメンバーです」

「サラリと出るよね、本心は。言葉に気付かず混じるよね」



 ザップが複雑そうな顔になったとき、クラウスさんが深く頭を下げた。



「──どうか、お考え直しを」



 汁外衛氏は考え込むような沈黙を作った。それから、じっと私を見つめてくる。

 ……やはり口を挟んだのが不味かっただろうか。機嫌を損ねたのかもしれない。人知れず私が冷や汗をだらだら流していたら、汁外衛氏はまたキシャアアアと言い出した。



「……え?」

「通訳しろ、ザップ」



 スティーブンに促されて、ザップは言う。



真胎蛋ツェンタイダンの攻性解除を求めてます。試験というか……」ザップは少し口ごもった。「……交換条件に」



 あと、とザップは私へ視線を向ける。その目に浮かぶ色は間違いなく同情のそれだった。

 嫌な予感が、した。



「……失敗したら、小兎も一緒に連れて行くって」

「「「はァ!?」」」

「………………え?」



 騒然とするライブラ一同を尻目に、汁外衛氏はキシャアキシャアと言い続けていた。





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