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2. 一時終幕



 クラウスとスティーブンが現場に到着したとき、ザップ・レンフロは既に一人奮闘していた。二人の姿を目にして、ザップは一時戦線から身を引く。

 彼を追いかけるように、おぞましく蠢く硫酸の触手が伸びる。それを血法で切り落として、ザップは二人の傍に着地した。



「旦那、ありゃ何だ!?」

「……少女だ」クラウスが強い眼差しで続ける。「あまりに強すぎた、一人の少女だ」

「処女ォ!?」

「どうしておまえはそうなるんだ」



 一文字抜けるだけで大変なことになる。意味はさして変わらないが。

 スティーブンは軽くザップの背中を叩いた。そして、街道を深紅の地獄へと変貌させている元凶へと目を向ける。



「K・Kは?」

「姐さんも一応狙ってくれてますよ」ただ、とザップの口振りが苦くなる。「……効くかどうかは、ともかくな」



 ──そこにいるのは、小さな怪物だった。

 外皮は濃硫酸と血で編み上げた衣。それは核を保護する為に繭のように固まっていて、近付くモノには人間だろうと無機物だろうと硫酸の触手が牙を剥く。

 繭の大きさはおよそ二メートル半。触手は伸縮自在のようで、常時何本も生えていた。

 繭の土台は、騎士の氷像が務めていた。繭を守るように氷の剣を構え、騎士は忙しなく周囲を見回している。まるで命が宿っているようなその挙動は、神の御業だった。

 繭の周囲には死傷者が幾人も倒れ、建物も多数倒壊していた。彼らが傷ついた理由など一つしかない──“繭の傍にいたから”だ。



「……アレが噂に聞く暴走状態か」

「あんなの、どう倒せっつーんすか!? さっきから姐さんの弾も俺の血法もてんで効いてねーんすよ!?」



 ザップが繭を指し示した直後、触手が何かを察知したらしくビクリと動く。まさか此方の言葉が通じたのかと思いきや、何処かから殺到してきた弾幕を全触手で防御しただけだった。

 受け止めた全ての弾丸を触手は検分するように撫でてから、嘲笑うようにドロリと溶解した。



『──クラっちー! あんなの、どうすりゃいいっていうのよ──ッ!』



 ザップの受信機を破壊しかねない勢いで、凄まじい音量の声が鳴り響いた。遠方から狙撃しているK・Kの声だった。

 きーん、と三人の耳が悲鳴を上げる。それを堪えつつ、クラウスがザップから受信機を受け取った。



『さっきから弾丸たまバンバン溶かされてばっかなのよ!? 私は弾丸のバーゲンセールをしてるわけじゃないのよ──!?』

「……すまない。もう少し粘ってもらえないだろうか」

『……むー。貴方がそう言うなら粘るけど。っていうか、何なのアレ!? 新手の異界生物!?』

「少女だ」クラウスは先程と同じ言葉を繰り返す。「あまりに強すぎた、一人の少女だ」

『…………』



 受信機からK・Kの溜め息が聞こえてきた。



『……じゃ、殺すわけにはいかないのね。OK、どうしたらいい?』

「ありがとう。K・K」



 そのやり取りを聞いて瞠目したのはザップで、頭が痛そうに手を当てたのはスティーブンだった。



「……薄々そうなるんじゃないかとは思っていたんだ……」

「ちょ、はァ!? マジかよ旦那! アレを助けるつもりか!? どうやって!?」

「レオナルド君を呼んでくれ」



 クラウスは腕の袖を捲り、脈動する繭を見つめる。



「多少荒っぽい方法だが、彼女を此方に引き戻す」












 ──ぶく。ぶくぶく。


 暴走状態に陥るのは、これが初めてではない。

 屋敷で兄弟たちの生首が立ち並ぶ光景を目にしたときに、一度。
 その後父親を本気で殺しにかかったときに、一度。
 計二回の経験がある。

 人類が相応以上の力を行使する代償なのか、暴走状態の後は必ず後遺症があった。能力を使用する度に発生する頭痛も、その一つだ。もしかしたら私が気付いていないだけで、もっと重要な失陥があるかもしれない。

 暴走状態が終わるのは、いつも身体わたしが“鬼”の力に耐えきれなくなったとき。

 最長は二日──父親を殺しにかかったときだった。

 以前よりも私は“鬼”に馴染んでいる。最悪、一週間は続くだろう。
 暴走状態のときは、頭ばかりが明朗だ。その意思は何一つ反映されないというのに。

 ──この暴走状態が終わったとき、私はもしかしたら死ぬかもしれない。だけど、それもいいと思う。

 屋敷の資料によれば“鬼”が顕現するのは、百年に一回だけ。それが確かならば、あと九十年は妹弟たちに危害は及ばない。


 ──ぶくぶく。ぶくぶくぶく。

 水底に沈むような感覚は続いている。












「……あー、はい。いますね、中心に。女の子っぽい影があります」



 ザップの小脇に抱えられた少年──レオナルド・ウォッチが目を見開いて、繭を観察する。『神々の義眼』保持者である彼にとって、観察は特技の一つだ。

 どうして小脇に抱えられているかといえば、状況を目にした途端、回れ右して逃げ出そうとしたからである。平たく言えば、逃亡防止だ。

 レオナルドが到着するまでに警官隊も姿を見せたが、ことごとく触手に撃退された。いまは遠目から様子を窺っているようだ。

 K・Kが適度に触手の注意を引いてくれなければ、クラウスたちももう少し距離を取らざるを得なかっただろう。



「少女の位置は、繭のどの辺りだろうか」

「えーっと……膝を折って座ってる状態なんで……」レオナルドは繭の下腹部付近を指差す。「あの辺に収まってますね。……あの娘、急がないとまずいかもしれません」

「何か異常が?」

「すんげー痛そうな顔してるんです。呼吸も浅いし」



 ただでさえ厳しいクラウスの顔が一層しかめられた。彼の人柄を知らない人間が見れば、腰を抜かす形相である。



「おい陰毛ヘアー。何か弱点とかねえのかよ」

「その呼び方やめろって言ってんでしょ。……弱点っていえるかどうか微妙ですけど、あの繭自体は脆いと思いますよ。あの触手と氷像さえ突破できたら、たぶん何とかなります」

「それができたら苦労しねえんだよおおお!」

「ちょ、僕に八つ当たりするな!」



 ぎゃーぎゃー騒ぎだしたレオナルドとザップを横目に、スティーブンはクラウスに声をかけた。



「さて。どうする、クラウス。ザップの言う通り、あの触手と騎士は難関だ。少女を救出するとなれば、さらに難易度は跳ね上がる」



 暗に『少女を殺す方がよっぽど易い』と告げる。それを察せないクラウスでもない。

 しかし、クラウス・V・ラインヘルツはそれを許諾する男ではなかった。



「──……皆には、私の援護を頼む」



 その場に居合わせた全員の視線がクラウスへ向けられた。



「私が彼女を引き戻す」












 始まりの合図は、何度目かのK・Kの弾幕だった。氷像の騎士は剣を振り回し、触手は蠢いて弾丸を叩き落としていく。

 それをキッカケに、ザップとスティーブンが飛び出した。

 ザップが血法で騎士と鍔迫り合いを、スティーブンがエスメラルダ式血凍道で触手を凍らせる。

 騎士は即座にザップの剣技に対応し、触手もすぐに氷結した一部を切り離して新しいものが生えてきた。反撃をかわしつつ、二人はそれに相対する。

 K・Kが弾丸で、スティーブンが対応しきれない触手を撃ち抜いていく。その隙間を縫うようにして、クラウスの巨体が繭へと接近する。



「──ブレングリード血闘術」



 クラウスの拳が──



旋回式連突ヴイルベルシュトウルム──!」



 ──繭に、届く。












 レオナルドの言葉通り、繭は簡単に砕けた。……とはいえクラウスの拳だったから、という要因は大きいだろう。

 繭が割れた途端、騎士と触手は今まで相対していた敵に背を向けた。急いで繭の元へ戻り、クラウスを襲おうとする。



「「「「──させるか!」」」」



 レオナルドが騎士の視界をジャックし、そのせいでスッ転んだ騎士の首をザップが切り落とした。

 スティーブンが一気に凍結した触手の山を、K・Kの弾幕が粉々に破砕する。

 それでも、騎士と触手は再生する。切り落とした筈の首はパキパキと音を立てて復活し、触手は新しいモノを何本も生やした。繭を守ることが我らの使命であると語るかのように。

 だが今度は背を向けるような真似はしなかった。敵を蹴散らしてから戻る気概を見せるように、騎士は剣を構え直し、触手は今までの倍の数に増殖した。



「クラウス、まだか……ッ!?」












 ──誰かが、呼んでいる。

 そんな気がして、目を開けた。でもやっぱり気のせいだった。私は深海に沈殿していくだけで、周囲には光一つ見当たらない。

 そもそも私を呼んでくれるような存在はいないのだ。母は死んだ。姉も兄も死んだ。弟や妹たちは私の名も覚えていないだろう。

 一人ぼっちで生きていく。それでいい。私の分まで弟や妹たちが幸せになってくれれば、それ以上望むことはないのだ。



「────……は──」



 …………?
 声が──したような。

 また目を開けて、周囲を見回した。やはり何もない。先程といい、一体何なのだろう。暴走の影響で、幻聴まで聞こえるようになったのだろうか。



「──きみは……──」



 まただ。
 誰だ。私に語りかけているのは、誰だ。

 周囲の水が揺らいだ。予期せぬ闖入者に、私を呑み込んだ“鬼”も動揺しているのだ。



「──きみは、強すぎた」



 今度は、はっきりと聞こえた。

 誰なのだ、さっきから。私に声をかけるぐらいなら、さっさとこの首を跳ねてくれたらいいのに。



「百の鬼に呑まれず、どころか兄弟たちの剣になろうとした。この街に、兄弟たちを救う手立てを探しに来るなど、並大抵の人間にはできないことだ」



 前置きもお世辞も要らない。誰だか知らないが、早く逃げてほしい。暴走状態のとき、私は頭しか動かせないのだ。



「きみは強く、また優しい。今だって自分ではなく私の心配ばかりだ。きみは常に他人を最優先にしている」声は言う。「──だが、それではいけない。きみ自身が死んでしまう」



 私──なんて。

 いつ死んでもいい存在だ。虚弱で愚鈍で役立たずな私なんて。
 妹弟たちを救うことすらできない私なんて。



「──本当にそう思っているのか」



 ……?



「自分など死んでしまっていいと、本当にそう思っているのか」声は続ける。「きみには、やらねばならないことがあったのではないのか」



 やらねばならないこと──私にあった筈の使命。

 それは──それは確かにあった。否、今もある。私はその為にこの街に来た。

 ……何だっけ。

 とても大事なことだった筈なのに、思い出せない。その程度のことだったのだろうか。ならば大したことではなかったのかもしれない。



「──百鬼よ! その子を操るな!」



 怒鳴り声で、水は地震にでも遭ったかのようにガクガクと震えた。

 水が勢いよく揺れる。このままでは、水を収めた水槽ごと割れてしまう──。



「私は、きみの本音が聞きたい──!」



 私の、本音──?

 死にたくて、使命なんてなくて──私はただそれだけで──



「──……違う」



 口にした言葉は水泡に変わって、上へと向かった。それを追いかけるように上を向いた。そこには光があった。今まで私は上を向いていなかった。



「……私、私は────」



 必死の思いで、たった一言を口にした。それも水泡に変わった。言葉は上へと向かっていく。

 それを掴むように、逞しい腕が飛び込んできた。





「──その言葉が聞きたかった」





 ──ぱりん。

 水槽が、割れた。





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