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1. 鬼事



「──逃げられたぁ!?」



 ザップからの報告を聞いて、スティーブンの声は知らず大きくなった。近くに居合わせたクラウスとギルベルトの目が丸くなる。

 確かにザップ・レンフロの性格や言動には、有りすぎるほど難がある。しかしそれでも彼はライブラの中でも最前線を張るメンバーの一人で、ただの少女一人に遅れを取るような男ではないのだ。スティーブンはそれをよく知っている。

 電話の向こう側では、バイクを走らせているらしい。車両の走行音が聞こえてくる。



『言っとくけど、あんなのを伝えてなかったそっちが悪いんすよ!? つか、何なんすかあいつ!』

「……それは俺が聞きたいよ……」



 スティーブンの眉間にしわが寄った。心なしか頭痛もしてきた。

 ──好奇心旺盛な令嬢の、ただの家出。それだけだった筈の一件は、違う様相を見せ始めていた。



「……とにかく、ザップはまた彼女を探してくれ。こっちで解ったことがあれば、即時連絡する」

『っちょ、まだ俺の話は終わってねえぞ!? こうして口を開けるのにどれだけの苦労を──』



 ──通話を切った。

 知らぬ内に、スティーブンがクラウスに向ける顔は険しくなった。

 不思議とキョトンとした顔が似合う偉丈夫に、スティーブンは頭痛を堪えながら口を開く。



「……クラウス。あの少女は、何者だ? 血界の眷属ブラッドブリードか? はたまた吸血鬼か?」

「……私は、ただの人間だと聞いているが」クラウスの目に鋭い光が過る。「──何か、あったのか」

「何かあった、程度で済めばよかったんだけどね」



 冷静さを取り戻そうと、スティーブンは平時を心掛けた。芝居がかった仕草で肩を竦めるが、彼の目には隠しようもない冷たい炎がちらついている。



「ザップの話によれば、彼女が一言叫んだだけで──周囲一帯、糊でもされたみたいに口が開けられなかったらしい。小一時間ね」



 クラウスとギルベルトの表情に、細い糸のようなものが通る。それは何かのスイッチが入った証だ。



「──きみにあの娘を連れ戻せと言ってきた、その実家……何かを隠しているんじゃないか?」












 ──嫌な夢を、見た。

 傷から沸く蛆虫と泥水で餓えを凌いだ日々。
 休む間もなく痛め付けられた日々。
 仲間同士で殺し合う日々。

 その合間をくっつけるように、奴らは異口同音にがなりたてる。「また失敗か」「どいつもこいつも凡作ばかり」「何が足らないというのだ」……耳障りなことこの上ない。それらは全て、私たちの台詞だ。断じて貴様らが口にしていい言葉ではない。

 奴らは“鬼”を求めていた。

 遠い昔に、私たちの祖先だったとも、あるいはその祖先と契約したとも言われている“鬼”を。

 真偽の程は定かではないが、最後にその“鬼”が現れたのは一五八年前だという。そんな昔話をアテにしているのだから、最早お笑い草にもなりはしない。

 我が国に力を。
 我が国に勝利を。
 我が国に富と栄光を。
 そんな思想はヘルサレムズ・ロッドが顕現してから、さらに勢いを増した。

 私たちの先にも、同じ境遇のヒトはいた。全員死んだ。私より先に生まれた彼らは、私より幼くしてこの世を去った。

 私たちの後にも、同じ境遇のヒトはいた。まだ生きている。私より後に生まれた彼らは、私より幼くして生き地獄を味わっている。

 ヒトの尊厳も矜持も生命すらも無下にして、奴らはひたすら“鬼”を求めた。
 弱者を弄び、実験台にして──自分たちは何一つ傷付かずに。

 どうして傷付くのが奴らじゃない。
 何故あの子たちが死に向かわねばならない。
 何で私たちがこんな目に遭わなくてはならない。

 私は、どうしてあの子たちを救えない。





【──おや。おぬしは、いい目をしておるの】





 声がしたのは、そのときだった。



【生き地獄にありながら、まだこころが死んでおらぬ。どころか、他者を気遣うか。呵呵、これは面白い】



 世界が笑う。



【頭も回るようだ。呵呵、ならば舌も回ろう】



 私だけに聞こえる世界が笑う。



【──そうだ。次は、おぬしにしよう】



 ──嫌な夢を、見た。












 クラウスが小兎の実家から真実を聞き出すよりも、チェイン・皇が情報を掴んでくる方が早かった。

 スティーブンへの連絡を済ませたチェインは、すぐに小兎の捜索を再開した。彼女からの報告を聞いたスティーブンの顔色は、いいとは言えない。



「『百鬼の怪舌』だと……!? 異界も、東洋に妙なものをばらまいてくれてるな……!」



 動揺するスティーブンに、受話器を置いたクラウスが目を向ける。

 あちらの実家は「担当者は留守にしている」の一点張りで、このままでは聞き出すよりも受話器を壊してしまう方が早いと判断しての行動だった。そもそも、担当者もクソもあるものか。大切な令嬢であるならば、情報を隠している方が怪しい。



「……スティーブン。その『百鬼の怪舌』というのは……」

「……俺も文献で見たことがあるだけで、そう詳しいわけじゃないんだが……」スティーブンは目を伏せ、はっきりと言った。「──有り体にいえば、超弩級の言魂使いロケンスだ」












 知らない内に、眠ってしまったようだ。無理もないか、食事と同じぐらい睡眠も摂っていなかった。



「……けど、立ち寝って……」



 しかも直立不動。

 弁慶じゃあるまいし、と自らにツッコむ。
 ……セルフツッコミができる程度には回復したようだ。

 まだ日は高い。腹の具合からして、さほど時間も経っていない。ならば、と私は路地裏から出た。

 HLにあの子たちを救う手立てがあるのは解っている。だから此処に来た。
 最悪それが虚偽だったとしても──此処は世界の覇権が巡る場所。他にも、一つや二つならある筈だ。

 早く──早く。

 奴らが放った追っ手が、あの青年一人だけとは思えない。じき奴らの本隊がHLにやってくるだろう。

 だから──それまでに、早く見つけなくちゃ。



 ──けど、それは──どこにある?



 最低限しか入っていない筈の荷物が、やたらと重く感じた。












 まずい状況だ、とスティーブンは事態を判断した。

 HLでチェインが情報を集められたということは、じき他の連中の耳にも『百鬼の怪舌』の話が入るだろう。そうなれば、異界も人界も総出で小兎の捕獲に入るに違いない。そして疚しい連中に彼女の身柄が渡れば──世界の均衡は、確実に崩れる。

 そもそも、どうして彼女は母国を飛び出した? 少なくとも、HLよりは余程安全が保障されている筈なのに──幾ら頭を巡らせても、判断材料が足りない。スティーブンは知らず舌打ちした。



「クラウス。悪いが、万が一の事態に備えておいてくれるか」

「……万が一、とは」



 椅子に座るクラウスの顔は、尋常ではない険しさだった。たぶん自分も似たような表情なんだろうと思いながらも、スティーブンは言うしかない。



「その少女を殺さなくちゃいけない事態になったとき、だよ」



 彼とて、口にしたい言葉ではない。だがそれでも、他に代弁してくれる者がいない以上、スティーブンが語るしかないのだ。



「いま、この街の中心は──彼女だ」




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