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10.  終


 そうして――世界はいつも通り救われた。

 今回は平時より多少毛色が異なる事案ではあったが、終結さえしてしまえば世は全てこともなし。例によって後始末に追われている内に、誰も彼もが知らず日常の只中に戻っていく。
 あのときは空が割れていたというのに、今やHL特有の霧で空は灰色に埋もれていた。それがまた事の終わりを報せているように思えてならず、スティーブンは知らず溜め息をつく。

 彼は病院の廊下を歩いていた。見舞い品らしい一輪の薔薇以外は何も持たず、泰然と歩んでいく。

 廊下の先にある角を曲がって、白髪の少年が現れた。髪も目の色も異なるくせに、彼は小兎の腹違いの弟だという。

 少年はスティーブンに気付くと複雑そうに眉間にしわを寄せて「アンタか」と言った。お互い気付いてしまってはやむをえず、スティーブンも足を止める。



「きみはもう退院だそうだね」

「おかげさまで。……アンタらのボス、マジで何なの? 毎朝毎晩キッチリ顔見せに来るんだけど。いい加減うざくて寝てらんない」

「ハハハ、人選ミスの報告はきみのお姉さんにしてくれ。彼女が原因だろうからね」

「……覚えてもないことで責められるわけないだろ」



 少年は沈痛そうに俯いた。

 何を言うでもないのにスティーブンが口を開きかけたとき、少年はグッと顔を上げた。人形めいた動きで動いた彼に思わずたじろぐ。少年はヒトが変わったような顔でニシシと笑った。



「――おうおう、人間共が浅はかに凹んでおるわ。身の程を知らんというのはまこと幸せなことよな」

「……小兎からこの少年に鞍替えしたとは聞いていたが、どうして異界の存在というのはこうも常識外れなんだ」



 あの日以来、小兎は怪舌を失った。同時に少年へと鬼は器を乗り換えた。

 理不尽こそが異界の常識だ。人間が総出で抗議したとしても、鬼は毛ほども気にしないだろう。スティーブン一人が不満に思ったところで何が変わる筈もない。

 少年の顔で、しかし絶対に彼ではない口調で鬼が語る。



「下手な歌を囀るなよ、人間の雄。いまここで貴様ら種族を絶滅させてやってもいいのだぞ」

「……なら逆に訊ねるが、どうして人間おれたちを殺さない? 異界の上位存在にかかれば赤子の手をひねるようなものだろう」

「一時は殺し尽くしてやろうと思うたときもあったがな。いまは飽きた」

「……飽きた?」

「貴様ら人間は殺すより、眺めていた方が愉快と気付いた故な。たまに弄ってやりもするが、まあそれぐらいだ」



 白髪赤目の鬼がスティーブンの横を平然と通り過ぎ、さも人畜無害そうな面をして去っていく。

 ――人間を眺める、と鬼は言った。それをヒトは「見守る」と言い換えることもあると、あの存在は気付いているのだろうか。気付いているのだといたら、どんな思いであの少年の内に留まっているのか。

 不思議には思えど、スティーブンは尋ねることをしなかった。鬼に背を向け、彼は先を急ぐ。

 西病棟の五階。その最奥にある扉をノックする。すぐに「どうぞ」と応答があった。

 病室は白を基調としたごく一般的なもので、個室であること以外にこれといって特徴はなかった。たった一つのベッドで、取り立てて特筆すべきところのない少女が身を起こしている。窓の外を眺めていたらしい彼女は黒々とした髪を靡かせて振り返り、同系色の目をスティーブンに据えた。

 温かい木漏れ日の中で、少女が穏やかに微笑む。



「こんにちは。――申し訳ないのですが、どちら様でしょうか?」



 あの日以来、小兎は怪舌と共に全ての記憶を失った。












 ライブラにまつわる類は当然として、HLに来るまでの道程や生家での因縁など。そのことごとくを彼女は忘却せしめたらしい。それが度を越えた怪舌の乱用によるものなのか、あるいは突発的なものなのかは未だ判然としていない。エステヴェス女医によれば前者の可能性が高いそうだが、真偽は定かでない。

 日常生活を送るにあたって不自由しない程度の知識は残存しているらしく、目を覚ましてからというもの、彼女は入院しているにも関わらず、最低限の事柄しか他人に世話を焼かせなかった。ライブラの監視下に置かれている白い少年曰く「記憶を持っていかれてあの現状ってことは、根っこからああいうヒトなんだよ」とのことだ。弟妹たちのことなど露程も覚えていない状態から推すに、生来的なしっかり者気質らしい。



「スティーブン。スティーブン・A・スターフェイズだ」

「スターフェイズさん!」



 小兎がパァッと顔を輝かせる。以前の彼女なら絶対にスティーブンに向けなかっただろう表情だ。



はじめまして、、、、、、! ええと、スターフェイズさんも前の私とお知り合いだったんでしょうか? それとも失業者組合の役員さん?」

「……スティーブンでいいよ。ところでその言い分だと、僕の他にも誰か来たのかい?」

「はい! レオくんと、ザップさんと、ツェッドさんと、チェインさんと、ラインヘルツさんにアルトシュタインさん……」



 ベッド脇にパイプ椅子を置き、スティーブンはそこに腰を下ろした。

 小兎がベッドの上で嬉しそうに指折り数えていく。その横顔は無邪気そのもので、以前の彼女とはことごとく相手の呼び名が違うことに気付く素振りもない。

 本当に全て忘れているのだとスティーブンは今更ながらに身につまされた。



「沢山の方が会いに来てくださいました。私は覚えていませんけれど、前の私は本当に人脈に恵まれていたのですね。とても光栄なことです」

「……その話し方は誰かに教わったの?」

「いえ、これは日本人の癖みたいなものというか! ……あの、同じようなことをザップさんにも言われたんですけど、もしかして何か癪に障りますか……?」

「そういうことじゃないんだけど……」



 落ち着かないのは自分だけではなかったらしい、とスティーブンは何とも言えない気持ちになった。

 もし素の彼女がこんな性格だったとすれば、自分たちの知る小兎はどれだけ分厚い皮を被って生きてきたのだろう。慣れない皮がいつしか馴染んで剥がれなくなってしまうぐらい長い間、全部自分のせいだと抱え込んだ彼女はどんな気持ちで一人生き延びたのだろう。



「……僕はきみの友人だったんだ。きみが記憶を失う前、僕は彼女に酷いことをしてしまってね。ずっと謝りたかった」

「ひどいこと?」

「彼女の大切なモノを傷付けたんだ。……言い訳はしない。それが彼女にとって何にも代えがたいモノだと知っていたのに、僕はそれを壊しかけた」



 何も覚えていない彼女に懺悔したところで意味はない。

 それでもスティーブンは言わずにはいられなかった。本当に謝りたい彼女はもういないとしても。



「――でも、それって結局壊れなかったんでしょう?」



 小兎の言葉に、知らず俯いていたスティーブンはハッとして彼女を見遣った。



「壊れては……いないけれど……」

「じゃあ大丈夫ですよ。前の私だって分かってくれます。もし壊れたって直せばいいんですし」



 無垢な笑顔で何度も首肯されるものだから、スティーブンは知らず口を開いてしまった。

 彼女の中に、自分の知る小兎が生きているように思えてしまったのだ。



「――もし、きみがよければの話なんだが。もう一度僕と知り合ってくれないか」



 彼女はキョトンとしてから、花が咲いたような笑顔で大きく頷いた。



「喜んで!」



 ――そんな笑顔を、あの彼女からはついぞ引き出せやしなかった。
 だから、これからやっていく。
 これからの小兎が今まで以上に笑えるように尽力していこうと心に決めた。

 スティーブンが片手を差し出すと、小兎は疑いもせず握手に応じた。



「スティーブン・A・スターフェイズだ」

「小兎といいます」



 よろしく、と照れ臭そうに笑い合ってから、スティーブンが改めて開口する。



「じゃあ手始めに――ランチでも一緒にどうかな」






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