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10.  終



「【歴史改変】」



 異形がおもむろに囁いた。

 途端、建物が――いや、世界全てが震動した。組み立てたレゴブロックの根幹部をずらしたときみたいに。

 思わずといった様子でザップたちが体勢を崩す。それほどにひどい揺れだった。辛うじて直立を堪えたのはクラウスさんと異形だけだ。



「……おや」



 片眉をあげた異形が何かを探すように周囲を見回し、やがて私に目を留めた。



「おまえより余程上位の存在になったというのに――鬼の順位は変動せずか。これでは改変に一時間ほど掛かってしまうな――第一位むすめよ。私はおまえを殺して、今すぐこの世界を作り変える」



 異形がゆっくりと腕を持ち上げ、私へ見せつけるように掌をかざす。

 どうにかしなければと頭は警報を発しているのに、恐怖に竦んだ身体は唇一つ動かせない。

 異形の口がおもむろに私へ死を告げ、



十字型殲滅槍クロイツヴェルニクトランツェ!」



 ――る直前、赤色の大きな十字架が異形をぶっ飛ばした。



「ぬ――――」



 闘技場の壊された屋上から外へと放出される異形。それは一秒たらずで行われた。あの異形が私と同じチカラを振るえたとしても、一秒たらずでは何を具象化することもできなかったのだろう。



「ザップ、ツェッド! 追撃だ! 奴の言葉ではあと一時間ほどで世界が組み替えられる!」

「了解です」

「番頭は人使い荒いんだよなァ〜」



 真逆の言葉遣いで返答して、斗流の兄弟弟子は軽い足取りで異形を追いかけていった。

 外に出て行く二人の背中を呆然と見上げていた私の視界に、自分のそれより大きな手が差し出される。



「小兎、立てるかい?」

「――スティーブン、どうして……」

「そういう細かいことは、世界を救ってからゆっくり話そう」



 彼の手に引き上げられて、未だ震えそうになる足で立ち上がる。



「駆け付けるのが遅くなって悪かった。いかんせん誰かに奈落に落とされたせいで、クラウス達に連絡を取るのに手間取ってね」

「う゛……!」

「ははは。ま、その辺の処分も追々ね。――クラウス、レオは何て?」



 体格相応に大きな手に似合わない小さなスマホを見つめていたクラウスさんが顔を上げて、些か残念そうにかぶりを振る。



「まだ連絡がない」

「突然のことで見切れなかったか……。最前線に連れ出さなくて正解だったな。不意の事故で神々の義眼を失いたくはない。――ところであいつ、どこまでぶっ飛ばしたんだ? 逃げられでもしたらアウトだぞ」



 む、とクラウスさんが押し黙る。そこまで考えていなかったのだろう――私を助ける為に。
 実際、あのときクラウスさんが攻撃してくれなければ、きっと私は死んでいた。

 ――後でちゃんと謝ろうと思った。過剰なぐらい、皆に頭を下げたいと思った。

 それからお礼を言おう。
 助けに来てくれてありがとう、と。

 ―――だから、まだ世界を壊させはしない。



「スティーブン。アレはきっと逃げません。遠からずまた私を狙ってきます」

「……どういうことだ?」

「説明する余裕はないので詳細は省きますが――アレは今すぐにでも世界を改変したい筈です。その為には私が邪魔なんです。だからきっと逃げずに、私を殺そうとしてくる」



 スティーブンの目がすぅっと細くなった。



「――小兎。言っている意味が分かってるのか」

「分かっています。その上で言っているんです。私を餌にしろ、、、、、、、と」



 ライブラ突入の際の衝撃波で吹っ飛ばされたのだろう、少年は私の傍らに転がっていた。彼を引きずり起こし、肩にその腕を担ぐ。少年は目覚める気配もなく、悄然と瞑目していた。いつ崩壊するともしれない場所に置いていくこともできないし、連れていった方が生存率が高いだろう。スティーブンが一瞬だけ露骨に顔を歪めていた。

 この弟だけは何としても生かさなければならない。

 そのためには――分かっていたことだけれど――父との敵対は避けられなかった。

 一度人道を踏み外せば、もう二度とヒトには戻れない。だったらせめて、引導を渡してやるのが娘としての義務だろう――家族としての情けだろう。こんな形でしか、私とあの人は親子になれない。

 ……それをほんの少しだけ、今更ながら寂しく思う。



「大丈夫、餌になるのは慣れていますから」












 地上に出ると、台風ハリケーン襲来の真っ只中のような光景を目の当たりにした。

 ザップとツェッドという腕利き二人がかりで、それでも若干力負けしている。確かに彼らの仲は良くないが、戦闘時においては抜群の相性を発揮する二人だ。時折跳ねる雷撃はK・Kさんによる援護だろう。それでも異形を抑えるには不足している。彼らの力が足りていないのではなく、相手が強すぎるのだ。

 異形が一言囁けば、それは死の嵐となって二人に到来する。それを血法で弾いている間に、第二波が横合いから襲い来る。手数の差が圧倒的過ぎるのだ。

 異形が逃亡の一手を選ばなかったのは、やはり私を狙っているからだろう。私を殺し、自らを第一位に据えようとしているのだ。



『クラウスさん、大変です――!』



 敵の隙を窺っていたとき、クラウスさんのスマホからレオの泣き声が聞こえてきた。



『あの血界の眷属ブラッドブリード、諱名が内側にあります、、、、、、、!』

「は……!? 内側……!?」



 弟を比較的安全な場所に寝かせていると、スティーブンの愕然とした声が耳に届いた。



『そうです、内側です! だから外からじゃ、っていうか俺の位置から見えないんですよ!』

「……つまり、異形の内側に潜り込まなければ見えな――っておい、それ少年が食われる必要があるってことか?」

『それだと諱名を読み取る前に俺が死にますね! 別の方法考えましょう!』



 諱名が――内側。

 兄弟たちの血肉を集結させて自在に操ったところで、所詮それは外殻に過ぎないということか。身に纏っているだけの鎧と同じだ。あの男の本体は、外殻の奥に眠っている。

 電撃的に点と点が繋がった。一つの方法が思い浮かぶ。
 けれど他にないのか。もっと確実な―――しかし、思い悩んでいる暇はない。

 私はクラウスさんからスマホを借り受け「もしもし」と話しかけた。



『その声……小兎さん!? 無事だったんですね!』

「詳しいことは事が終わってから説明するわ。それよりレオ、内側からなら諱名が見えるのは確かなんだよね?」

『ええ、はい。それは間違いないです。でも俺が内側に潜り込んだら死んじまうし、チェインさんに希釈して入ってもらうにしても彼女の視界じゃ諱名が読めないし、どうしたもんか……』

「両方出来るのがいるでしょ、此処に」

『え。…………え、ええええ!? しょ、正気っスか!?』



 動転のあまり大きくなったらしいレオの大声に、一瞬スマホを身体から離した。

 神々の義眼と不可視の人狼の特性を併発した私が異形の内側に潜り込み、その視界をレオに共有してもらう――現状それ以外に最善策は思いつかない。

 クラウスさんもスティーブンも唖然とした顔でこちらを見つめていた。



「正気もクソも、それしかないでしょ。他に方法考えてる時間ないんだし。そもそもアレ、身から出た錆――いや、身内から出た錆? だし。私が身体張るのが筋ってもんでしょ」

『そ、それにしたって危なすぎますよ!』

「勝算がないわけじゃないから大丈夫。死にそうになっても怪舌でどうにかするから。それともレオが死ぬ気で潜ってくれる?」

『それは全力で御遠慮したいんですけれども!』



 悩んでいるらしい唸り声が三秒ほど続いた。

 その間も異形と牙狩りたちの戦闘の余波は破壊と轟音をもたらしていた。

 ――空が割れていくのが見えた。あれは世界改変の予兆だろうか。



『…………死なないでくださいね』

「うん。約束する」



 レオの言葉に頷くのは、自分でも驚くほど容易だった。もしかしたら笑ってさえいたかもしれない。

 クラウスさんにスマホを返すと、紳士は揺らぐ双眸で私を見つめていた。



「……クラウスさん。弟――あの少年をお願いできますか」

「っ小兎! だが彼はきみを危険に、」

「それでも!」私を思いやってくれるスティーブンの言葉を遮った。「――それでも、彼は私の家族たいせつなものなんです」



 紳士はじっと私の目を見つめてから、そっと首肯した。



「約束しよう。ラインヘルツの名にかけて」



 ――このヒトの言葉は、いつだって私を安心させてくれた。
 それはいまも変わらない。

「ありがとうございます」と礼を言ってから、私は何となくスティーブンを振り返った。ほぞを噛みそうな顔をしている彼に一言謝っておくべきかと思ったのだけど、レオとの約束を果たす為に私は生きて戻って来なければいけないわけで、つまりはまたスティーブンとも顔を合わせることになる。いま謝ると二度手間になってしまうことを察し、私はあえて謝罪を呑み込むことにした。



「スティーブン、行ってきます」



 ――私はちゃんと笑って言えただろうか。












 異形の内側へと侵入するためには、まず不可視の人狼の特性を得る必要があった。

 即ち、存在の希釈である。そこにあるのに、そこにない。世界から自己の存在を極限まで薄めてしまう――それが不可視の人狼。今回の私の場合、そこに怪舌による魔改造を施さねばならなかった。

 物理的存在から精神構造体への転変――存在の根幹的前提の上書きである。

 精神体となる前に、神々の義眼は装填しておいた。義眼は物理的なモノなので、精神体になってからでは具象化できないのだ。精神体になる前に私の存在根幹に植えつけておかねばならなかった。

 ――いま私の感覚を刺激するのは、底無しの暗闇だけ。
 音もなければ光もない場所へ、私はずっと落ち続けている。

 異形の内側へ入り込んでいるのはほぼ間違いないのだが、さて諱名は何処にあるのだろう。義眼による視界であれば私にも諱名が見えるから、まず私が確認しなければ、この視界を共有しているレオにも認識することができない。視界共有の成功自体は感覚的に把握できていることだけが幸いだった。

 此処での時間経過は、外界と同一なのだろうか。だとしたら、あまりのんびりしてもいられない。世界崩壊までのタイムリミットは、もう三十分を切っている筈だ。

 ――もっとも。私自身に残された猶予はそれよりずっと少ないだろう。
 三度目の義眼にくわえ、不可視の人狼の特性付与に精神体への転変という不慣れの連続。頭痛はとっくに消え去って、いまにもオーバーロードしそうな熱量だけが脳内に蓄積されていっている。いつ暴発してもおかしくないそれを抑え込んでいるのは、ただの根性によるものだ。



「ん……?」



 内心焦りを覚え始めた頃に、足が圧覚を感知した。

 底へ辿り着いた――のだろうか。周囲を見渡してみるも、依然在るのは暗闇だけ。もしやどこかで諱名を見落としでもしたか。だとしたら今から取り返しがつくのかどうか。



「――――小兎?」



 焦燥で身を返そうとした私を止めたのは、耳にこびりついた憎しみの声だった。

 知らず息を詰めてから、腹を括って振り返る。
 人間の頃の父親が、闇の底に悄然と座っていた。












「まさかここまで追ってくるとは……正直驚いたよ。座りなさい。どうせここでは私もおまえも、誰も傷つけることはできない。何でもあるが、何にもない場所だからね」



 父親は穏やかに微笑んでいた。正座したまま、立ち上がろうともしないどころか警戒の素振りすら見せない。私に敵意があることを気付いていないわけもないだろうに。

 この空間は彼の精神そのものだ。そこに入り込んでいる以上、私の情報は相手に筒抜けと見て相違ない。



「―――父さん。貴方は何をしたかったの」



 私は無意識に訊ねてしまっていた。そんなことを聞いたところで、今更どうもできないのに。



「……おまえが知っている通り、私はけして若くない。外見をいくら取り繕ったところで、老いに抗うことはできない。ヒトはいずれ寿命で死ぬ。それが道理だ。けれど、私の友は寿命ではなく、戦争で死んだ。無意味な死だった。彼らの亡骸は家族にさえ渡らなかった。私が食い、糧としたからだ。大本営は彼らの死を無為にし、まもなく我が国は敗戦国となった。
 分かるか、小兎。私は彼らの価値を証明しなければならない。国の為を謳い、己ではなく母国の勝利を願い、誰に顧みられることもなく死んでいった無辜の彼らの死を意味あるモノにしなければならないんだ。そのために私は世界に勝たねばならない」



 私は、咄嗟に二の句が継げなかった。

 ――このヒトは自分の支離滅裂さに気付いていない。目標と手段が入れ替わっていることにも気がついていないのだ。国の勝利を願い死んでいった人達を、今度は殺すために勝とうとしている。

 そんなことにも気付けないぐらい、魂が朽ちていたのか。

 いったいいつから――そう考えそうになって、益体もないと切り上げた。
 このヒトは止まらないだろう。もはや彼にとって、停止は死と同義だろうから。

 父親を一目見たときから、神々の義眼は私に告げていた。これが最後の防壁プロテクトだ。彼を何らかの方法で倒せば諱名が見える、と。



「……さっき、此処には何でもある、と言ったわね」

「あぁ。何か欲しいものがあるのか? ヒトでもモノでも思う存分与えてやれる」

「なら――プロスフェアーの遊戯盤を」



 父親が怪訝そうに眉を顰めた。それでも彼は手を一振りし、暗闇にプロスフェアーの盤を出現させた。

 私の足元に転がったそれを拾い上げ、彼の対面に座る。間には卓袱台代わりに遊戯盤を置いた。



「こんなものでいいのか? もっと欲しいモノがあるんじゃないのか?」

「これでいいの」



 私が本当に欲しかったモノは、もう手に入らない。

 ――なんて皮肉だろう。この期に及んで、ようやく自分の本心に気付かされるなんて。

 もう二度と戻れない過去に――あったこともない優しさにずっと焦がれていたなんて。



「私達、親子らしいことなんて今まで一つもしてこなかったでしょう」












「F2の兵鬼ゴアを段階12まで変形。背教徒カインを貰おう」



 私や父親の声に連動して、脳内で懐かしい声が響いている。



【――肉体おぬし、もう持たんな】



 鬼の声だ。

 ずっと私の内に眠っていた鬼が、器の限界を察して深き虚より這い出てきたのである。



傀儡レマゴグ淫后メチエテを段階11まで変形。戦域拡大デイ・カーリオします」

【このゲームが終わるか、おぬしがくたばるか。どちらが早いかの】



 視界共有をしているレオにも分からない世界で、鬼が愉快気に嗤う。

 ――聞くまでもない。ゲームが終わる方が早いに決まっている。
 そもそも前提が間違っている。私は死なない。そう約束をしたからだ。



【根性論、大いに結構。人間の愚かしさに勝る愛しきモノなしよな。……だが、おぬし自身が本能で誰より分かっておろう。持たん、、、のだ。理屈ではなく、事実としてな。おぬしの魂が砕けずとも、肉体には限界が歴然と存在してしまう】

3駒位相完成トル・メ・トル

戦塔ウーフェンを段階14に変形」

【歴代の器でもおぬしほど我を使いこなした者はおらんかった――そう思えば、うむ、恩情の一つでも掛けてやるべきかもしれんな】



 恩情? 全ての元凶がとぼけたことを抜かす。

 おまえさえいなければ、私と彼は普通の親子になれていたかもしれないのに。



暴君ボルッサを貰う」

堕天使ゴルクリオを頂きます」

【おぬしを生き延びさせてやる】



 ただし、と鬼の口が三日月を描く。



【おぬしが後生大事に抱え持っていた、もっとも大切な記憶と引き換えにな】



 ――案の定だと笑い出したくなってしまう。

 やっぱり鬼はアッチ側の存在だ。人間のことなど玩具程度にしか考えていない。



「……戦域放棄エル・アーリオ

「宣誓、26駒位相完成ドウラセクス・メ・トル。――狂戦士ベナルカントス



 ……少しだけ、痩せ我慢をやめてみる。

 非常に癪ではあるが、鬼の言葉は現実だった。もうまもなく私は事切れるだろう。ゲーム終了までは魂が底を尽きようと意地で持たす心構えではあるが、死んでしまえばレオとの約束を果たせない。

 まだちゃんと皆に――スティーブンに謝ってもいないのに。

 死にたくない、と思う。
 まだ彼らと一緒にいたいと思う。思ってしまう。

 ――その未練こそが鬼の餌だというのに。



【結論は出たかえ?】



 記憶を持っていかれて、私はちゃんと今のことを覚えていられるだろうか。

 レオとの約束。
 クラウスさんに頼んだ弟のこと。
 迷惑をかけた皆への謝罪。

 ――それから、今までのこと。ライブラに入ってからのこと。
 ずっと一人だった私がようやっと羽を休められた、止まり木での日々。

 ……無理だろうな、きっと忘れてしまうだろう。鬼はそういう生き物だ。失いたくないものだからこそ奪っていく。



「――王手チェックメイト



 だから、開き直ることにした。

 たとえ忘れてしまっても。失ったとしても、それらの価値まで無くなるわけじゃない。

 私はきっと世界一幸福な人生を歩んだのだから。



「私の勝ちです、父さん」



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