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4. 提示








 それがリングに降り立ったのは、本当に突然だった。前触れも気配もなく、クラウスさんの前に現れた。

 丸い巨体。申し訳程度に添えられたような顔の口は、大きく裂けていた。母国の怪談に出てくる女を彷彿とさせる口元に、それが人類ではないことを理解させられる。



「……お……オーナー!」



 愕然とした司会の声に、ハッとさせられた。

 あの巨体が──オーナー? となれば、ザップの行方に絡んでいないわけがない。
 クラウスさんの勝負に感動して降りてきたのなら、リングを鑑賞できる位置にいた筈だ。

 レオ程ではないが、私も視力は良い。上方へ視線を巡らせて──見つけた。ガラスの向こう側から此方を見下ろしているザップを。

 確認できた限り、ザップは拘束も何もされていなかった。私からは見えない位置から銃でも突きつけられているのかも知れないが、その程度ならあいつの血法で何とでもなる筈だ。

 やっぱり──嘘か!

 ちょっとでも心配した自分が馬鹿みたいだ! ……いやいやいや違う違う違う。私はザップの心配なんてしてないしてないしてないから。

 ザップのいる方向へと駆け出す。道中の警備員らしい奴らは全員、死なない程度に怪舌で退けた。職務を邪魔して申し訳ないとは思うが、私はいまザップを一発殴らないと気が済まないのである。

 私が疾走している間に、クラウスさんとオーナーの勝負は始まっていた。ちらりとそちらを窺って、自分の目を疑う。



「──嘘……」



 クラウスさんが──押されてる?

 知らず止まりそうになった足を、両手で叩いて叱咤する。クラウスさんが負けるものか。いまはあの馬鹿野郎を殴ることが最優先だ!

 階段を上がって、上がって──廊下を走り抜けて、ばん、と扉を蹴り開けた。部屋の窓からリングを眺めていた銀髪を見つける。



「──ザァァアップ!」

「げ!? 何でおまえが此処に!?」

「何でもどうしてもない!」



 ずかずかとザップに近付くにつれ、窓から見えるリングの様子が鮮明になった。そして、クラウスさんの拳がオーナーの頭部を破壊した瞬間を目にして、ザップ共々固まった。

 観客までもが静まり返っていた。──だって、オーナーの身体の中から、別人が現れたのだから。



「──あれ。この空気……」



 黒光りする身体に、皮らしきものはない。まるで限界まで磨かれた肉と骨しかないような身体だ。

 その人形ひとがたは──一見、人類ヒューマーのように思えた。その思い込みが壊れたのは、とんでもない悪寒が身体中を走り抜けたときだった。



「あーあ、一応死体を使ってるんだけどなあ。それも僕が殺したんじゃない奴……」



 悪寒の元は──舌だ。“鬼”だ。

 闘技場を見回す人形ひとがたと──目が合った。それだけで腰が抜ける。咄嗟に窓枠にしがみついた。

 人形ひとがたがクラウスさんに視線を戻した。



「こうでもしないと」



 人形ひとがたは、一瞬でクラウスさんに肉薄した。



血界の眷族ぼくらは、下位存在きみたちと遊べないのにね」



 ──トン。

 軽くクラウスさんの腕に触れた。少なくとも、私にはそう見えた。

 ただそれだけで、クラウスさんはトラックに撥ね飛ばされたように吹き飛んだ。鉄網を歪ませる勢いでぶつかり、闘技場中に轟音を響かせる。



「クラウスさ──!」



 思わず漏れた叫びは、人形ひとがたが私の方を見たことで喉の奥へ引っ込んだ。



「きみは──どっちだ?」



 人形ひとがたは、確かにそう言った。

 私が瞬きをした一瞬の内に、人形ひとがたは姿を消した。それが纏っていたらしいオーナー──いや、死体ごと。

 ガタガタと指先が震えている。窓枠にしがみつくこともできなくなって、私は膝を曲げた。

 私の本能は確かにアレの危険性を叫んでいる。アレは人類じゃない。もっとかけ離れたものだ。

 だというのに──“鬼”は悦んでいるのだ。

 久しいな、同族よ──と。










「……あの、もう本当にすみませんクラウスさん……私なんかよりよっぽどお疲れなのに……」

「何、気にすることはない。女性のきみを、無遠慮にあんな場所に連れて行った私の配慮が足らなかったのだ」



 ──超を何億個付けても足らないぐらいとても申し訳ないことに、私の腰は抜けたままだった。あれから悪寒は収まったものの、立ち上がることすらできなかったのだ。

 レオは私を抱えられるほど力があるわけじゃないし、ザップはありとあらゆる意味で論外。そうなると消去法でクラウスさんしかいないわけで──「いいですその内立ち上がれるようになりますからそれまでほっといてくださいどうぞ置いていってください」という怒濤の弁舌は無視し、無類の紳士はさらりと私を横抱きして闘技場を後にしたのだった。

 羞恥心と申し訳なさでクラウスさんの顔が見れない。両手で顔を覆って、自分の不甲斐なさに落ち込んだ。

 私は何一つ役に立っていないじゃないか。したことといえば、クラウスさんに賭けて大勝ちしたこととザップを発見したことぐらいで──。



「こんなときに言うことではないのかもしれないが……」



 頭上から、クラウスさんの優しい声音が降ってきた。指の隙間から目を覗かせ、彼の様子を窺う。



「……小兎がついて来てくれたとき、とても嬉しかった。きみがザップを心配してくれたのが、ライブラに馴染んでくれたようで」

「──────」

「……すまない。忘れてくれ。やはり、いま言うことではなかったな」



 そう言って、クラウスさんは口をつぐんだ。黙然と足を進ませていく。

 連戦で、血界の眷族ブラッドブリードにあんなにぶっ飛ばされて──疲れていないわけがないのに、私を抱えて。

 その上で、そんなことを、言うのか。

 言えるのか──この人は。



「……【治癒】」



 む、とクラウスさんが瞠目した。キョトンとした目で私を見てくる。

 にこりと微笑んで、私は彼の腕から飛び降りた。怪舌の効果は私にも及んだから、腰はすっかり元通りだ。



「応急処置です。一応の処置なので、後でちゃんと病院に行ってくださいね」

「……あぁ。ありがとう」



 怪舌には時間制限がある。一時的にマシにしただけで、怪我自体がなくなったわけじゃない。

 腕を回して、クラウスさんは調子を確かめる。そんな彼に見ていると、自然と笑みが溢れた。



「ありがとうございます──クラウスさん」



 世界には、こんな優しいヒトもいるんだね。

 ──と、クラウスさんの背後から襲いかかる不徳な影。



「往生せいや旦那ァァァ〜!」



 やめといた方がいいよ、と私が声をかける前に、不徳な影──もといザップはクラウスさんが見事に返り討ちにしていた。

 その姿を見ていたら、まだ一発も殴っていないけど、何だか気が済んだ。

 ふいにレオと目が合って、互いの意識が同調していることを察した。同じタイミングでへらりと笑い合う。

 ──後でザップを拾って、夕食にでも行きますか。







 家に帰ったら怪舌の効果が切れてまた腰が抜けました。




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