2017.11.20追記
クロロと人外さんの話:【誕生日おめでとう】
それは人間の文化だ。人間でない私には適用されない。
そう告げると、クロロは珍しく困ったような顔をした。
「確かにきみは人間じゃないんだけど……それでも、きみが今日生まれたことは事実だろう?」
再度差し出された花束を、やはり再度押し返す。受け取ってなるものか、という意地さえ芽生え始めていた。
私たちは宿屋の一室で押し合いへし合いを繰り返す。
彼の不気味な面には薄々勘付いていたけれど、まさか念獣の生誕を祝うような性癖まで持ち合わせていたとは思わなかった。クロロに掛けられた念を払うよう仕組み、彼に付いていくよう告げた創造主に対して、いまは恨みに似た感情さえ抱いている。
「生まれたわけじゃない。作られただけだ。解除方法さえ分かれば、私は消える」
「そんな寂しいことを言うなよ。俺はきみと添い遂げるつもりなんだ」
「生理的に無理だと何度言えば分かる」
「何度言われたって諦めないさ」
それだけきみが魅力的なんだから、とクロロは優男然とした微笑みを浮かべた。普通の女なら魅力されるだろうその笑みも、念獣の私には錆びた銅貨一枚の価値も見出せない。
「俺にきみの生誕を祝わせてよ。伴侶の誕生日を喜ばないような男にはなりたくないんだ」
「……百歩譲って、私の生誕に価値があるとする。だとしても、おまえが祝う必要はまるで感じられない」
「意味はないよ。俺がそうしたいだけだ」
クロロが私の隣に腰を下ろした。私はすかさず彼と距離を開ける。すぐに間を埋められたので、足で物理的に彼を阻むことにした。
「好きな相手が生まれた日だぞ。これ以上の記念日があるか!?」
「繰り返す。人間の文化を私に適用するな。それは無意味かつ不毛な行為だ」
「……分かった分かった! 花束は受け取らなくていいし、俺に祝わせてくれなくていい! だからこの足を退けてくれ!」
それ以上近寄るなよ、と警告した上でクロロの頬から足を外す。「そういうプレイはまた今度しよう」とクロロは足跡のついた頬を愛しげに撫でた。次は距離を取るなんて生温い手段は取らず、まず意識を飛ばそうと決意した。
「無意味さは理解できたか。ならばさっさと解除方法を探しに出かけるぞ」
彼を一人で外に行かせた結果、収穫はあの花束一つだ。無念だが私も同行しなければ、進展はほぼないとみていいだろう。
腰を上げると、「待て」とクロロに呼び止められた。
「一つだけ、言い忘れてたことがあった」
「なんだ。手早く済ませ、」
必要以上に警戒していた筈の距離が、一瞬で詰められた。意識するよりも早く、ぐいと手を引かれる。重心を崩した私を受け止めるように移動したクロロの顔が、すぐそこにあった。
「誕生日おめでとう」
そして、彼の唇が私のそれに迫り―――
「いい加減学べ」
「うごっ」
それより早く、私の踵がクロロの顎に突き刺さった。
顎が揺れたせいで脳震盪でも起こしたらしい。床に崩れ落ちたクロロを念入りに踏みつける。
「反省してから追ってこい」
分かったな、と追撃。
それから私は解除方法を探すため外界へと赴いた。クロロは二分後に追ってきた。
海馬くんの同級生の話:【あなたといられて幸せです】
さて。一旦状況を整理しよう。
私は今日もいつも通り学校に登校した。授業を受け、午後は睡魔に襲われ、それでもなんとか無事に放課後を迎えた。ここまで含めて、いつも通りだ。
いつもと違ったのは、帰り道で黒塗りの高級車に拉致られたことである。
小市民を絵に描いたような私を誘拐するとは、なんて見る目のない奴。ぜひともその顔を拝んでやろうと誘拐犯に目を向ければ、なんてことはない、見慣れた海馬くんの仏頂面がそこにあった。眉間にしわが寄りまくった彼の形相を目の当たりにして、ついさっき見る目のない奴と思ったことは墓まで持っていこうと心に決めた。
「……えーと、こんにちは?」
「いつまで床に座っているつもりだ。さっさと人間らしく座席に座れ」
挨拶が返ってこないのはいつも通りだ。ちょっと悲しいいつも通りではあるけど。何が悲しいって、この塩対応に慣れてしまった私自身である。
我が家の絨毯より座り心地の良かった床から腰を上げ、海馬くんの向かい側のソファーに座り直す。正面から向き合うと、彼の不機嫌具合がより一層顕著に思えた。
確かに海馬くんはだいたい不機嫌に見えるけど、今日は平時よりだいぶ深刻である。
「……海馬くん。会社の株が大暴落でもした?」
「するか馬鹿者。KCの株はいつだって好調だ」
罵声にも勢いがない。これは私が思っているより深刻かもしれない。
そうかそれはよかったでも社長が同級生を帰り道で拉致するような奴だって世間に知れ渡ったら急降下間違いなしじゃないかな、などと思いながらも口には出さず、私は代わりの問いを舌に乗せた。
「じゃあ、何かあった?随分虫の居所が悪そうに見えるよ」
海馬くんはギロリとこちらを睨んだ。
「……何かあった……だと?心当たりは貴様の方にあるのではないか」
……何ですと?
海馬くんを不機嫌にさせる心当たり。記憶を漁れば二つ三つ、いや隠しておいた不始末もふくめれば五つは下らないけれど、いったいそのどれが原因なのかさっぱり見当がつかない。間違った返答をすれば芋づる式に他の心当たりも暴かれることになる以上、迂闊なことは言えない。私は神妙に思い出すフリをして、どうやってこの場から逃げ出そうかを考え始めた。
「思いつかん―――いや、後悔で喉が潰れたか。ふん、いい気味だ」
安直だが、やはり車が信号で止まったタイミングを見計らって飛び出すしかないだろうか。私がその覚悟を固め始めたときである。
「昨日は誕生日だったそうではないか」
……本日二度目の、何ですと?
「モクバから聞いた。凡骨たちに祝われたらしいな。遊戯はともなく、あの凡骨とつるむ貴様の気が知れぬわ」
ふん、と社長様は居丈高に鼻を鳴らした。
「何故、俺には何も言わなかった」
たぶん、その一言が海馬くんが本当に言いたかったことなんだろう、と直感的に分かった。根拠はない。強いて言うなら女の勘と、今まで積み重ねられた対海馬くん経験値の成せる業だ。
「……海馬くん」
「何だ」
「何も言わず長期海外出張に赴いたきみに私を責める資格はない」
「ぐっ……!」
海馬くんは歯噛みし、少しだけ身を引いた。
彼には分かるまい。いつものように海馬邸へ赴いたら「兄サマなら昨日から海外だよ」とモクバに教えられたときの私の気持ちが。明日の数学で私当たるんだけど、と絶望すら抱いた私の心境が。ちなみにそれは財布を犠牲に御伽くんへ頼み込むことでどうにか乗り越えた。
「海外で仕事してるって分かってんだから、連絡なんか出来るわけないじゃん。っていうかいつ帰ってきたの」
「……一時間ほど前だ」
「そっか、お疲れ。おかえり」
「……うむ」
「じゃ、話戻すけど。誕生日だって言う前に海外へ行ったきみが悪い。はい、この話終わり」
「ぐぬぬ……」
支社で緊急の案件が起こったのだから仕方なかろう、と言い訳めいたものが聞こえてくるけど、あえて無視。切り替えの姿勢を示すために、軽く手を叩いた。
「さて。海馬くんが言ったように私は昨日誕生日だったわけですが」
「…………」
「さすがの私も、誕生日が終わってからプレゼントを強請るほど強欲じゃないです」
「……何か、ないのか」ボソリと海馬くんは言った。「本当に、何もないのか」
誘惑多き女子高生の身で欲しいものは何もない、なんてことは有り得ない。パッと思いつくだけで優に三十は超えるし、もしそれを伝えればいまの海馬くんは余さず寄越してくれるだろう。
だけど、それは卑怯じゃないかな、って。
出来るだけ海馬くんと対等でありたい私は、そんな似合わないことを考えちゃったりするわけで。
「うん。いまは特に」
「…………絞り出せ。世界の裏側からでも取り寄せてやる」
「そんなこと急に言われてもなあ。いいよ別に。無理に祝わなくてもさ」
「無理などしていない」海馬くんはきっぱりと言い切る。「俺がそう望んでいるだけだ」
……不覚にも、いまのはクラリときた。
海馬くんをそういう目で見ないように気をつけてはいるけれど、彼はいつだってカッコいいから困ってしまう。油断すると、すぐにコロリと魅力されそうで、私はいつも戦々恐々なのだ。
それぐらいでしか、私は彼と対等に向き合えやしないから。
「……じゃあ、いつもみたいに話してよ」
「なに? そんなことでは貴様を祝え……ではない。それは俺の望むところではないぞ」
「それでいい、っていうか、それがいいんだって」適当な法螺を付け足しておく。「世界一忙しい学生社長の時間を貰うんだよ。これ以上高級なものはないでしょ」
それでも海馬くんは釈然としていなさそうだったけど、ややあって「よかろう」と折れてくれた。私は彼のそういうところが好きだ。
爆豪と人魚姫の話:【生まれてきてくれてありがとう】
……確かに、誕生日だから祝ってくれ、と事前申告したのは私だけど。
「爆豪」
「んだよ」
「……作りすぎでは?」
私と爆豪が挟んだ食卓には、色とりどりの料理が所狭しと並べられていた。どれも私の好物ばかり。何でも出来る爆豪の腕がキッチンで猛威を振るいまくったことは間違いないだろう。
「あ゛? テメーが祝えっつったんだろうが」
向かいの爆豪が額に青筋を立てたのを見て、慌てて「そうだけど」と取り成す。
「……祝ってくれ、って言ったのは確かに私なんだけど……。……こ、ここまで豪勢にしてくれるのは、さすがに予想外というか……」
「言っとくけど、まだケーキもあるかんな」
「……あの。さすがにケーキまで手作りした、なんてことは……」
「は? この俺が、んな細かいところで手抜きするわけねーだろうが」
ってことはケーキも手作りなんですね! うわ、ケーキ作ってる爆豪超見たかった……! 何で誕生日限定割引クーポンで服なんて買いに行ったんだ私……! 金で買えない光景が家で展開されていたというのに……!
くう、と一人で昼間の行動を悔やんでいたら、「いいから冷める前に食え」と爆豪に急かされた。これ以上彼の機嫌を損なうのは得策じゃない。慌てて箸を持つ。
「い、いただきます」
「おう」
爆豪は私よりずっと家事が上手い。それは料理だって例外じゃない。しかも私の好物ばかり作られたとくれば、不味いわけがないのだった。
「……めちゃくちゃ美味しい……」
「たりめーだ。……なんだ、その複雑そうなツラは」
「爆豪の女子力が私より高い……」
「そりゃ何年もイルカやってた奴よりか経験値あるわ」
当たり前だろ、と爆豪も箸を進め始める。
「テメーがイルカやってる間に、他の奴は真っ当に人間生活してたんだ。いまのおまえは出来ないことがあって当たり前。分かんねえことは教えてやるから、これからちゃんと覚えてけ」
「……うん」
折に触れて、私は爆豪に要らない苦労ばかりかけていることを実感する。
人間としての生を取り戻してもらったこともそうだし、こうして面倒をみてもらっていることもそうだ。私の存在がプロヒーローとして躍進している彼の足を引っ張り続けているのは誰の目から見ても明らかだろうに、それを一番熟知している筈の爆豪が絶対に振り払わないものだから、これでいいのだと私は度々錯覚してしまう。
いいわけないだろうに。
彼の為に、一刻も早く離れるべきだろうに。
「ーーーあだっ!?」
ふいに、強烈なデコピンを食らわされた。その痛みと衝撃で我に返る。
机に身を乗り出して私にデコピンを食らわせた爆豪は「ケッ」と悪態をつきながら、椅子に座り直した。
「テメーがそういうツラしてっときは、大概ロクなこと考えちゃいねえ」
「ど、どんなツラだ」
「そーいうツラだよ」
一口サイズに切り分けられたキッシュの一つを箸で掴むと、爆豪はそれを自分のではなく、私の口に躊躇いなく突っ込んだ。
「ぶもっ」
「食え」
言われるがままに咀嚼すると、爆豪が「美味えだろ」とニヒルに笑った。事実なので頷いておく。
「なら、それでいいだろ」
爆豪は続ける。
「俺は、おまえがいてくれてよかったよ」
―――その一言が、私にとってどれだけ身に余る価値を秘めているか。きっとこの幼馴染は知らないのだ。知らないから、こんなことが言えるのだ。知らないから――こうして、また私を救ってくれる。
突っ込まれたキッシュをごくりと飲み込んだ。
「……そうかな」
「俺がそうだっつったらそうなんだよ」
いいから残さず食え、と睨まれた。
じゃあそういうことにしておく、と私は笑い返した。彼がそう言ってくれるのなら、少なくともいまはそういうことになっているのだ。
折原さんと深海生物の話:【これからもよろしく】
「誕生日だったらしいね」
玄関開けてすぐのアパートの廊下。今にも朽ち果てそうな落下防止用の柵を背に、折原さんは白い息を吐いていた。
冬用のコートにマフラーまで巻いて、よく見れば毛皮の手袋までしていた。とことん冬と争うつもりらしい意気込みが如実に表れている。
「昨日」
と彼はジトリと付け足した。
冬の寒波は昨日今日始まったものではない。もう随分と前から、思えば秋の頃合いからジワジワと剣呑な侵略めいた速度で人間たちを包み込んでいたように思う。こんな心まで凍えつきそうな季節に外に出たがる輩など好事家以外にいるわけもない。当然私もその例に漏れず、週一の頻度で必需品の買い出しに出る以外は我が家で天照大神を気取っていた。
そんな天岩戸を訪れたのは踊り狂う裸の美女、ではなく普通にインターホンを押した折原さんだった。
「何で言わなかったの」
折原さんは不貞腐れた様子だった。まるで一人だけ同窓会に誘ってもらえなかったみたいな面をしていた。
半纏を羽織って彼を出迎えた私は、その三言目を聞く頃には炬燵の暖かさが恋しくなりつつあった。
「折原さん」
「なに。言い訳なら聞かないよ」
「寒いんで、そろそろ帰ってもらっていいですか」
「正気かおまえ」
ここは俺に平謝りするところでしょ、と折原さんがいきり立つ。「そして寒い中足を運んだ俺をもてなせよ」と彼は怒鳴った。寒さのせいだろう、色白の肌に朱が滲んでいた。
私はドアノブを握ったままだった。隙あらば扉を閉めて鍵をかけようと思っていた。
「だって、ここ開けてたら寒いし。まだ用があるなら早く済ませて帰ってもらいたいんですが」
「あくまで俺をもてなそうという気はないわけだ」
「折原さんが平和島さんなら一考しましたけども」
「一考なのかよ。っていうか前々から思ってたけど、きみの中でシズちゃん過大評価され過ぎじゃない?」
あいつはただの化け物だよ、と折原さんは毒づいた。そうですね、と私は同意を示す。
平和島さんが化け物でなかったら、私は彼と関わることなどなかったし、折原さんもここまで彼を毛嫌いしなかったろう。
「話を戻すけど」折原さんが鼻を啜った。「誕生日だって、何で言わなかったの」
彼の切れ長の目が、私の半纏に浮かぶ猫たちを睨みつけた。
白状するまで引き下がらないぞ、とその双眸がぎらぎら燃えていたので、私は仕方なく素直に吐くことにした。
「私もいま言われて思い出しました」
「は?」
「だから、いま思い出したんですよ。誕生日とか、そんなのあったなって」思わず溜め息。「私、そういうの気にしないし。だから忘れてました」
「自分の誕生日を忘れる? 嘘でしょ?」
「嘘じゃないですよ」
覚えてたら貴方に集りに行ってましたよ、と続ける。
折原さんは露骨に顔を顰めて「集るなよ」と呟いた。そして、はあ、とまた白い息を吐いた。
「……うちの妹たちなら何が何でも誕生日は有効利用するけどね」
「そうですか」で、と私は言う。「用は済みましたか」
「……これから済ませるよ」
折原さんはこれ見よがしに重い溜め息をつくと、コートのポケットに突っ込んでいた両手の内右側を引っ張り出した。見るからに暖かそうな手袋に包まれた右手は何かを掴んでいた。それを私に突き出して、
「ん」
と彼は鳴いた。
差し出された物体を注視する。小さい箱だ。
とりあえず受け取ると、折原さんの表情が少しだけ和らいだ。
「首輪だよ」
折原さんは右手をまたポケットに戻した。
「何だかんだ、きみとも長い付き合いになっちゃったからね。いつも俺が面倒みてやってるけども、それでも誕生日くらいは特別に祝ってやってもいいと思ったんだよ」
「……はあ。……それは、なんというか……どうも」
こういうときにどうすればいいか、よく分からない。適当に頭を下げておく。案外チョロい面のある折原さんは、それで完全に溜飲を下げたようだった。
「俺が祝ってやらなきゃ、きみはまともに年も取れないんだろうと思ったら可哀想になっちゃって、わざわざ買ってきてあげたんだよ。きみはろくに友達もいないからね」
「折原さんほどじゃありませんよ」
ビシリ、折原さんの饒舌が止まった。
「……とにかく」彼は仕切り直すように額に手を当てた。片方だけ開けた目でこちらを窺ってくる。「せいぜいこれからもよろしく、ってこと」
「はあ。どうも」
「……それだけ! じゃあまたね!」
床板を引っぺがすような勢いで、折原さんは走り去っていった。廊下の角を曲がっていってからは、カンカンカン、と階段を下っていく音がしていたが、二秒ほどでズルッ、ガダダダ、ベシャッに転調したので、途中で足を踏み外して落ちたんだと思う。それぐらいで死ぬ人なら池袋はもうちょっと平和だった筈なので、あえて醜態を見ることはせず、私は玄関を閉めた。ちゃんと鍵も掛けた。
炬燵に潜ってから貰い物を確かめる。小箱の中には、小洒落たネックレスが入っていた。折原さんは「首輪」と言っていたけれど、存外センスが良くて気に入った。後でお礼のメールぐらいは入れておいてもいいかもしれない。
お粗末様でした。
では改めて。
朝寝さま、お誕生日おめでとうございます。どうかこれからも健やかでいてください。