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追記


2017.11.15追記




【アクションデュエル】

 デュエルは原作からして派手なものが多いですが、多くの対戦が「じっとしていないデュエル(notスタンディングデュエル)」の流れでいくと、ゴッズ→A5→VR(最新作)ですね。上記三つのいずれもスタンディングデュエルもこなしていますが、いまは「デュエリストが位置移動するデュエル」という括りで話します。

 アクションデュエル自体は、それほど珍しくもないと思います。原作の王様からして乗馬してたりしたし(あれは厳密にはデュエルじゃないけど)。
 なので、どっちかっていうと「デュエルに付随する特殊ルール(アクションカードの存在)」の方が目立ちますね。



【アクションカード】

 「デッキに入っていないものを行使する」という括りでいけば、ノア編で杏子がやっていたりゼアルでも遊馬先生がシャイニングドローしてたりしましたが、それが「ルールとして認可されている」となると、やはり上記同様ゴッズ→A5→VRになるんじゃないかと。
 ゴッズではスピードスペルとして、A5ではアクションカードとして、VRではスキルとしてですね。アクションカードと他二つの違いは、制限がないことだと思います。スピードスペルは一定のターン消費が、スキルは1デュエルに1度だけでした。アクションカードは拾いさえすればいつでも発動でき、かつデュエルフィールドに何枚散らばっているかがほとんど明言されなかったわけですから、実質無制限に手札を増やせます。何かしらのTCGに触れた方ならもうお分かりでしょうが、「手札が増える=できることが増える」です。しかもデッキ外から手札補充するわけですから、デッキ残数は減らないのでデッキ切れで負けることもない。

 漫画版A5では制限がついているので、無制限っていうのは自由度が高くなることを引き換えに、物語を盛り上げる能力が減衰してしまうのだと思います。もちろん、上手くやって面白くなった作品も沢山あります。

 A5においてアクションカードは「ほぼ主人公専用のお助けカード」となってしまったのが痛い。主人公であるため遊矢のデュエルは必然的に多く、同時にその数だけ「何故 敵も / 他のキャラも 同じだけ使わない?」と視聴者に違和感を覚えさせてしまう。前座のモブならともかく、強敵の筈のボス格まで自らが有利になるアクションカードを使用しないのはかなり不自然だろう。ゴッズでは相手チームもスピードスペルを利用した戦略を使っていたし、VRでも同様の傾向が見られる。故に、他作品と比較したときに「結果として主人公側が勝つにしても」A5の違和感が目立ってしまっている。



【スタンダード編】

 次に物語について。

 序盤だからでしょう。1話で終わるデュエルが多く、キャラ紹介メイン。長期作品において地盤を固めるのは重要ですから、当然ともいえます。素良の顔芸や、ユートたちの暗躍で色々な推測が盛り上がっていた頃でもあります。

 ミッチーやミエルなど、出番は少なくとも今でも名前を言えるような良いキャラが多いです。LDS三人組もそうですね。チラッと映っただけですが、グレートモスを出してたモブがいたのを覚えています。

 「手負いの隼」は神サブタイだと今でも思います。この辺りはセレナの登場などもあり、当時一番続きが気になっていたアニメでした。



【乱入ペナルティ】

 A5視聴中、幾度となく耳にする単語。スタンダード編ではデュエル構成などでも上手く活用されていた印象だが、物語が進むにつれて徐々に「とりあえずLP減らしときますね」感を覚えた。正直、次元渡る前に解除しとけよと思った。何故この機能を解除しないのかは最後まで語られなかったような気がする。

 あるよりない方が絶対に良いのは誰から見ても(特に視聴者)明らかだろうに、キャラたちはまったく苦言を呈さない。誰か一人が「このペナルティ機能は解除できないのか?」と訊ね、赤馬あたりがトンデモ説明で構わないから何かしらの理由付けさえしていれば視聴者も「そういうものか」と一応納得もできようが、この五分もあれば終わるくだりもない。そのせいで相対的にキャラたちが全員間抜けに思えてしまっても致し方あるまい。何か理由や設定があって、それを制作側は把握していたのだとしても、作中で描写してくれなければ視聴者は納得できないのである。想像だけでは補えない違和感というものは存在するのだ。



【シンクロ編】

 デュエルをしない回が増えた。おい、デュエルしろよ。

 大人には色んな事情があるだろうから一概には責められないけど、販促アニメなんだから、大味でも雑な導入でもいいからもっとデュエルしとくべきだったんじゃないかな。

 この辺りから遊矢が悶々と苦悩する描写が増えた気がする。状況が状況なので、等身大の少年らしく悩むのも分からなくはないが、アニメの主人公にはやっぱりガンガンいってほしいです。書いてて思ったけど、その辺りの主人公属性はユーゴが担っていたのかもしれない。

 街の格差がなくなったのか、どうやって落としどころを見つけたのかなど結果がよく分からない。エクシーズ次元と同じく復興案件なのかもしれない。

 再会してすぐに離別する主人公とヒロインも、まあ物語的に不可抗力としてもどうなんだろう。あまりにも別れが早すぎてギャグ漫画みたいだった。



【設定】

 遊矢・柚子シリーズはワクワクする設定をしていると今でも思う。しかしどうにも本編で描写しきれていなかったというか扱いきれていなかったような微妙な印象。

 設定が面白いので、やりたかったことは分かる。しかし、遊矢とユーゴが一度もまともに言葉を交わしていないというのは、さすがにどうなのだろう。一応会ったことはあるんだけど、あれをまともなエンカウントに数えていいものか。

 「色んなシリーズの色んなキャラが一堂に会する」というスパロボ的時空なのが、A5の特徴だと思う。あくまで推測だが、過去シリーズへの入り口として用意されていたのかもしれない。デュエルアワーなどの再放送の他、いまはネット配信もあるから新規遊戯王ファンを深く取り込むつもりだったのかも。いや知らんけど。

 しかし、過去作のキャラも登場させた結果へたに退場させることもできず、かといって本作キャラをないがしろにするわけにもいかず、とどっちつかずになってしまったように思う。いっそ主人公とヒロイン、ライバル組以外は過去作キャラで構成するなど吹っ切れてしまうべきだったのか。いや知らんけど。

 沢渡さんは万丈目さんぐらいのポテンシャルがあると思ってたんだけどなぁ。



【エクシーズ編】

 シンクロ次元に尺を使い過ぎたのか、「あれ? 先週見忘れたか?」的展開がちらほら。主にエドとカイトのデレるタイミング。一応「色々あったんだろう」と脳内補完できなくもない。しかし彼らの役回りがエドやカイトである必要性があったかと問われると、「スパロボだから」としか答えられないのは痛い。

 サヤカたちの扱いも引っかかるか。黒咲さんたちの仲間役としても、足を引っ張る役としても、だからこそ丁寧に描写してやってほしかった。あれでは「いない方がマシじゃないか?」と視聴者が思っても仕方なかろう。

 ユートのアストラル化も、やりたかったのは分かるし、その方が話がスムーズに進むのも分かる。しかし「地元に戻ったからテンション上がって出て来た」ようにしか見えないのはどうなんだろう。もっと前からユートが遊矢に語り掛けているような伏線さえあれば、こうも違和感を覚えなかったのでは。

 タイラー姉妹は良いキャラしてた。もっと出番欲しかったです。



【ここまでの見解】

 「仲間を増やして次の旅へ」は王道だし、私も好きだ。しかしそれはあくまで「キャラの 差別化が / 役割が はかられている」場合であって、どいつもデュエリストという戦闘要員であり、訪れた二つの次元に少なからず影響を及ぼしている以上、「監視役」とか「スカウト役」とかの名目で、ちょいちょい離脱した方がキャラ数が絞れてよかったのでは? 後から好きなときに「助けに来たぜ!」という展開にも使えるし。キャラが多くなった結果、それ故に全員を映そうとして描写が散らかった印象があります。

 あと「融合次元に対抗するための仲間を増やす」という名目でシンクロ次元に向かったような気がしたんだが、赤馬社長の行動はそれだけにしてはあまりにアレ過ぎないか? もっと有能っぽいところを見せてほしかった。月影は全体的に有能だったけれど、あれは便利役ともいいますね。

 遊矢の「レディースアンドジェントルマン」に関しても、勝ち確時ではなくデュエル開始時に宣言させた方がショーの始まりっぽくて良かったのでは? アクションデュエルの口上があったので難しかったのかもしれないけれど。しかし、勝ち確時限定でやられると煽りにしか聞こえなくて良い印象は受けないぞ。十代さんもそういうところはあったけれど、だいたい短いからあんまり気にならなかったな。そう考えると、台詞の長短は印象に大きく関与しているのかもしれない。十代vs万丈目の「ここで俺がモンスター引いたら面白いよなあ!」の下りとか好きなんだけどなあ。遊矢のそれは、また毛色が違うように感じるのは何故なんだろう。系統はほとんど同じだと思うんだけど。



【融合編】

 機械天使新規ありがとう。しかし、それとこれとは話が別だ。

 遊矢パパを終始持て余していたようにしか思えないんですよね。パパが次元渡る必要性があったにしても、遊矢か、そうでなくとも奥さんにはきちんと説明をしておくべきなわけで。それがなかったから遊矢は幼い頃から苦悩したわけだし、それはパパがきちんと説明しておけばしなくて済んだ苦労だった。つまるところ、妻子を顧みない、正義感とエゴを履き違えたクソ野郎にしか見えなくなってしまう。いっそ敵のせいで行方不明になった、とか遊馬パパみたいなムーブをかましておけばよかったのではないか。

 「この敵キャラいる?」って奴がちらほら見受けられたこともそうですが、柚子シリーズを洗脳する必要性があったかどうかも怪しいです。百歩譲って洗脳からの対戦に持ち込みたかったにしても、主人公たちが勝ったにも関わらず洗脳続行は駄目でしょう。予想を裏切るのと期待を裏切るのでは、天と地ほどの差があるわけですから。お約束と揶揄されようと、やらねばならぬ展開というのは絶対にあります。さらに百歩譲って、洗脳続行の必要性があったにしても、洗脳を仕込んだ敵が視聴者にカタルシスを感じさせない退場をしたのも痛い。外道な敵にはそれなりの報いを受けさせるのが筋というものでしょう。深夜アニメならそういう展開もありでしょうが、これ日曜夕方の子供向けアニメですよ。

 しかし、デニス関連は全体を通して良かったような気もします。記憶が朧げなので曖昧なのですが、心の安寧の為にそういうことにしておきたいです。

 そして一々言及しているとキリがないので色々すっ飛ばしまして。

 「主人公がラスボス」。分かる。燃える展開だ。「一致団結した仲間が正気に戻す」分かるよ。王道で熱い展開だ。しかし私の印象では「毎週仲間たちがベルトコンベア式に処理され」「盛り上がるような一転攻勢もなく」「特にこれといった伏線なく弟が妹になり(強いて言うなら女性声優だったことが伏線か? しかしそれにしたってモクバという前例がある以上、言い訳にはなるまい)」「悪はその妹が赤子化して我が身に封じ込めた」で、もしかして途中でチャンネル変えてたかもしれないと思ってしまうぐらいの展開だった。

 遊戯王に超展開は付き物である。視聴者はむしろそれを楽しみにしている節すらある。しかしそれはあくまで「超展開に相応しい勢いと盛り上がり」があったからであって、それまで法定速度で走っていたものが突然ウィリーしたら誰だって唖然とするだろう。ウィリーがしたいなら、その予兆を視聴者に感じさせてほしかった。



【総評】

 最終回までのボスラッシュもどきまで言及していると、さらに長くなってしまうので省略。

 全体的に、伏線・描写・説明不足が目立つ(特にサブキャラの心情関連)。また、スタンダード編までとそれ以降でスタッフが総入れ替えされたと言われたら信じるぐらい、物語が粗くなっている。

 しかし裏を返せば、不足分がはっきりしているため、二次創作でめちゃくちゃ補完しやすいストーリーになっている。たぶんそういう意図はしていなかったと思うけど。