2017.07.20追記
「副長ォォォォ!」
真選組屯所より、真っ昼間から野太い雄叫びが響いた。
会議室としても利用される大広間で、役職持ちの隊士たちが卓を囲んでいる。真選組は女人禁制なので、例外なく男である。非常にむさ苦しい空間となっていた。
「局長が女にフラれたうえ、女を賭けた決闘で汚い手使われて負けたってホントかァァ!」
「女にフラれるのはいつものことだが、喧嘩に負けたって信じられねーよ!」
「銀髪の侍ってのは何者なんだよ!」
一斉に男たちに詰め寄られている副長――土方十四郎の態度は落ち着きはらったものだった。平然と煙草に火をつけ、紫煙を吐き出す。
「会議中にやかましーんだよ。あの近藤さんが負けるわけねーだろが。誰だ、くだらねェ噂たれ流してんのは」
隊士たちは示し合せたように振り返る。
そして、土方とは真逆の席に座していた青年を指し示した。
「沖田隊長が!」
「スピーカーで触れ回ってたぜ!」
広間中の視線を図らずも独占した青年――沖田総悟は底意地の悪い笑みを浮かべる。
「俺は土方さんにききやした」
コイツに喋った俺がバカだった、と土方は物理的にも頭を抱えた。
そこで見慣れた顔が一つ欠乏していることに気付き、土方は沖田の隣を煙草で指す。
「……おい、伊万里はどうした」
真選組一番隊副隊長の姿が見えないのである。
直感的に悪寒した土方に返答したのは、またもや沖田であった。
「あぁ、アイツなら今朝から『髪は銀でも血が赤いなら殺せるな』とか言いながら出かけやしたよ」
「止めろォ! 明らかに討ち入りの気配しか醸し出してねェだろうがァァァ!」
「ね。アンタ強い?」
路地裏を歩いていた伊万里は声を掛けられて、はたと頭上を見遣った。
大きな傘が屋根に引っかかっている、と逆光のせいでよく見えなかった彼ははじめそう思った。しかし日光の眩しさに目が慣れるにつれて、太陽を背にした誰かが傘を持っているだけだと気付く。腰に提げた刀の柄に手を垂らしながら、伊万里は目を細めて返弁した。
「なァ。よく見えねえんだけど、おまえ、髪の毛何色?」
「質問に質問で返すなよ」
「減るもんじゃねえしいいだろ、教えろよ」
「たぶん血の色」
「じゃあ違うわ。俺の目当てじゃない」
伊万里は柄から手を離して、溜め息をついた。
「喧嘩なら他当たってくれや。俺ァ、いま人探しで忙しい」
「そんなに殺気立ってちゃ、目当て以外の良からぬ奴も寄ってきちゃうさ」
人影がふいに大きくなる。屋根から飛び降りてきたのだ。
朱髪の青年が目前に飛び降りてきても、伊万里は面倒そうに眉を顰めただけだった。
「俺みたいなのがね」
にっこりと笑いかけてくる青年を、目を細めた伊万里が上から下まで眺め回す。先程柄から離された筈の手は、いつの間にか元の位置に戻っていた。ジロリ、と青年をわずかに見上げるように睨みつける。
「…………おまえ。斬ったら、めちゃくちゃ気持ち良さそうだな」
「やってみる?」
笑みを深くした青年は、見るからに一般人ではなかった。風体や纏う雰囲気が、伊万里が真選組として相対してきた攘夷志士とよく似ていた――あるいはそれ以上の闇をも感じさせる何かを持っていた。近藤の命で抑え付けていた『ヒトを斬りたい』という渇望が、伊万里の腹の底で躍動する。
かぶり付ける人参を鼻先に吊り下げられた状態で、伊万里は表情筋をひどく活躍させて苦悩した後―――非常に名残惜しそうに身を返した。
「何だ、やらないの?」
青年が期待外れとばかりに問いかける。
伊万里は渾身の力で歯軋りしながら、ギロリと彼を睨みつけた。
「めちゃくちゃ相手してやりたいに決まってんだろバカ」
そもそも近頃は市中見廻りばかりで、人斬りにとんと縁がない。飢えもそろそろ限界ないま、合意の上で殺し合ってくれる相手が現れた。奇跡としか言いようのない偶然をそれでも受け入れないのは、いまだけは己が事よりも優先すべき事項があるからだった。
罠に嵌められた恩人の泥を拭わねばならない。自分のことも真選組そしきのこともどうだっていいが、伊万里は近藤を侮辱されるのだけは我慢ならなかった。
伊万里は意識して柄を手放し、肩の力を抜いて腕を回す。
「――でもいまはダメだ。来週来い、来週。絶対斬ってやるから」
「えー。俺来週には地球離れちゃうんだけど」
子どもみたいに頬を膨らませた青年に、伊万里は目を瞬かせた。
「なんだ、おまえ天人か」
あまりに人間に近しい容貌だったから、さっぱり気付かなかった。いかにも非人間然とした姿形の輩が江戸を闊歩しているのに見慣れてしまうと、人間に近い形状の天人を看破するのは難しい。違和感はいつの間にか当然になり、やがて無自覚に忘却してしまう。相手が申告してくれなければ、伊万里は青年と自分が違う生き物だとついぞ気付かなかったに違いなかった。
「うん。夜兎っていうんだ」
「あー……聞いたことあるわ。アレだろ、デリバリーゴッドとかいう」
「それは違うヤト」
「じゃあ知らねえ。興味もねえ。斬ることと気持ちいいこと以外はどうでもいい」
「根っからの人斬りってわけだ」
面白そうに目を細めた青年に、伊万里は平然と「そうだよ」と肯定する。
「じゃあ何でそんな首輪嵌めてるのさ。邪魔でしょ」
青年が傘を持っていない方の片手で指し示していたのは、伊万里であり、彼が身に着けている真選組の制服だった。伊万里はぼりぼりと頭を掻くと、野暮ったく首を傾ける。
「……まぁ、反論はしねえし、つーか出来ねえんだけど」溜め息。「ゴミクズにもゴミクズなりの忠義があんだよ。おまえも同類だったら分かるだろ」
話終わり、と伊万里が大袈裟に手を叩く。
路地裏に不釣り合いな拍手が連続して響いた。
「じゃあな、血色のにーさん。俺はいつでも江戸にいっからよ、暇になったらまた会いに来てくれや」
「ただいまー」
屯所に戻ってきた伊万里が気負わず告げた直後、大広間の襖がスパァン! と勢いよく開いた。ほとんど雪崩めいた勢いで、見知った顔ぶれが落ちるように重なっていく。
「おい誰も殺してねえだろうな、ってあ゛あ゛あ゛あ゛血まみれ! 手遅れだった!」
頭から赤色のペンキを被ったような様相を呈している伊万里を見て、山崎が絶望感と共に目を覆う。
乾いて黒ずんできた血は、一滴として伊万里のモノではなかった。彼らもそれは重々承知しているのか、誰一人として伊万里を心配する声は漏らさない。「またやったぞ……」「誰が副長に報告するよ……」「俺やだよ……」「俺だってやだよ……」悲嘆に暮れる山崎たちに、伊万里は憮然として掴んでいた紐を持ち上げてみせた。それは彼が仕留めてきた反乱分子――過激派攘夷志士たちに繋がっている。
「やってねーし。つか銀髪の侍なんか会えなかったわ。なんかやたら武蔵っぽい目付きしたホームレスのオッサンに会ったぐらいだわ」
「――え」顔を上げた山崎が震える指で拘束された攘夷志士たちを示す。「じゃあそれは……?」
「帰り道で突然襲ってきたから返り討ちにしただけだっつの。言われた通り殺してねーぞ。ほっといたら死ぬかもしんないけど」
「おいおまえら急げェ!」
縛り上げられた攘夷志士たちに山崎たちが駆け寄っていく。一気に感情を反転させた同僚たちは、伊万里の横を通り過ぎる際に誰も彼も「よく我慢した暴走列車!」「もう鉄砲玉なんて呼ばねえぜ!」「我慢した褒美に書類は俺たちがやっといてやるよ!」と肩を叩いていった。
おまえら俺をそんな風に思ってたのかよ、と伊万里がゆらりと刀を抜きかけたそのとき、局長室の襖が開いた。頬にガーゼを当てた近藤が顔を出し、血まみれの伊万里を見て快活に笑う。
「おっ、なんだ伊万里! おまえまた暴れてきたのか! さっさと風呂行って来い!」
「……うぃーす」
気のない返事をして、伊万里は脱力しながら刀を鞘に戻した。
ふらふらした足取りで風呂へと向かっていく赤い背中を一瞥し、山崎たちは顔を見合わせる。
「……アイツ、局長には素直だよな」
「上司だからじゃね?」
「でも副長には生意気だぞ」
「よく分かんねえよな、あの狂犬……」
おおまかな設定
・新撰組一番隊副隊長。
・飢え死にしそうになっていた幼少期に近藤さんに助けられて以降、彼にだけは忠実。表面的には素直でないことが多いが、傍から見ると一目瞭然である。
・三度の飯より殺し合いが好き。根っからの人斬り気質。
┗ヒトを斬っている間は己が存在を認識できるから好き。生来的な厭世家。
┗気持ちいいことも好きだが、それは斬ることがもっとも気持ちいいからである。
・沖田とは幼馴染で腐れ縁で悪戯仲間。
・近藤さん激推し。
・土方からの評は「サイコパス」「悪鬼羅刹」「アホ」。