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『ヘリオトロープの花詞』
(2023.4.25)
時間軸は1作目の直前。0.5の立ち位置。
テーマ:でかくてつよい男が可愛い女の子に恋してポンコツになり情緒を乱されてるのって楽しい

蛍ちゃんの香りは蛍ちゃんの香水の説明文からお借りしました。
次回:蛍ちゃん編。外堀を埋められてるなんて夢にも思っていなかった話。



空の弁当箱を片付け、コーヒーを一杯用意して、アルハイゼンはソファで目を閉じていた。
深く眠るつもりはない。目を閉じて休憩しているだけ。
カップには灰色の猫の絵が描かれている。
蛍が、アルハイゼンに似てるから買ってしまったと楽しそうに笑っていた物だ。弁当箱を包む布切れにも同じ絵が刺繍されていて、同じ人が作ったとも話していた。
蛍のカップは金ヤマガラ、パイモンのカップには雪狐が描かれている。
今は並んで食器棚に収まっていた。

軽やかな足音が聞こえてくる。
空気が揺れて、甘やかな香りがやってくる。
ラズベリーとミントのような、可憐なのに甘すぎない、澄んだ香りが。

「……寝てる?」

洞天に帰ってきた蛍は、アルハイゼンが寝ていると勘違いしたようで。
寝顔を観察しようと、アルハイゼンに近寄ってきた。
顔を覗き込んで、健康状態を見ているのか。吐息の音が微かに聞こえる。

ソファが少しだけ沈んで、蛍が横に座ったらしいというところまではよかった。

「腕、すごい…」

腕に柔らかいものが触れる。次いで、重みも。
思わず目を開けると、左腕に蛍がピトッとくっついていた。
ストールがないのであらわになっている鎖骨。
華奢であるが骨っぽいところがなく、柔らかくて女性らしい身体の曲線。
それらに引き寄せられてしまう目線を、アルハイゼンは意識して逸らさねばならなかった。

蛍は一般的に見て、魅力のある少女だと思う。

教令院の女学生や学者が蛍の特徴について「おっとりとした声の品が良い、お姫様みたいな女の子」と話していたのを耳にしたこともある。
「困っていたらよく話を聞いて助けてくれた」と、同性である女性達からも好感の持てる人物であるようだ。

自分で調べて、年代による表現や記述の差を比べて、理解しながら本を読み解いていく姿が好ましいと感じたことがある。
耳に心地よい声で、歳若い割に落ち着きのあるところは印象が良い。
アルハイゼンに向ける笑顔が「花が咲いたような」という表現そのものに見える。
人間の美醜に関心はないけれど、彼女のことは美しい少女だと思う。
それこそ、祖母が趣味で収集していた物語に出てくるような。
もともと彼女はきれいだ。恋をしているからではない。
蛍だって何も思っていないだろう──と考えて、アルハイゼンは急にイライラとしてきた。

アルハイゼンの頭の中は蛍に居座られているのに、彼女は何も思っていない。
だから自分も何も思っていない。

今だって、どうせ。
アルハイゼンの目が覚めたとわかったら、蛍は申し訳なさそうにするだけで、男女の間に起こりうるようなことなんかひとつも考えないだろう。
それが面白くなくて、蛍のことを困らせてやりたくなった。

「蛍」
「アルハイゼン!ごめんなさい、起こしちゃったよね…」

アルハイゼンが目覚めたらしいと思っている蛍は、素早く体を離して眉をハの字に下げて謝罪した。
何もかも、アルハイゼンの予想と同じ。

慌てた蛍がぶつかった拍子に、テーブルの上にあったペンが転がり落ちる。
蛍とアルハイゼンが紙に書き込むために、いくつか置いてあったものが全部。

「早く拾うといい。遠くに転がったら面倒だ」
「うん…」

拾い集めたペンを、蛍の手に握らせる。そのまま握りしめてやった。
アルハイゼンと比べたら、小さな手。片手で両方とも捕まえられてしまう。

金色の瞳が不安そうに揺れている。

蛍の心の中はきっと、申し訳なさだけでいっぱいなのだろう。
心を覗き見なくたってわかる。
アルハイゼンの胸の中は、ますますささくれ立ったような錯覚がした。

「判断力が鈍っているようだな。他人が寝ている姿を見て睡魔に襲われるほどには疲れているらしい」

蛍の手からペンを一本一本抜いてやり、引っ張って引き寄せれば、華奢な身体はあっさりアルハイゼンの胸におさまった。

少し力を入れると、腕の中の女の子はぎしりと固まる。

「身体的な接触は、幸福感や安心感を得られるそうだ。丁度良いから試してみないか。疲労が回復するかもしれない」
「え、あ…ひろう、かいふく…」
「遠慮するな。力を抜いて、俺に全部預ければいい」
「でも、だって、お兄ちゃん以外の男の人と、こんなことしたことない……」
「そうか」

お願い、と目で訴えてくる蛍を、アルハイゼンは無視した。
戸惑って、混乱して、どうすればいいのかわからないと全身で主張している。
雨粒の重さにさえ耐えられない花のようだった。

ずっと、どうすればいいのかわからないのはアルハイゼンの方だった。
だから、アルハイゼンが振り回された分も蛍が困らないと釣り合っていない。
蛍に触れたいからではないのだ。彼女に代価を支払ってもらっているだけ。

金色の瞳が潤んできたので腕を緩めてやると、蛍がホッとしたように力を抜いた。

安堵の表情からは、アルハイゼンに対する信頼が伝わってくる。
アルハイゼンはひどいことをしてこない、今だって許してくれたと。
解放したわけではないのに、引き寄せて捕まえた時よりもこちらに体を預けている。

蛍の鼓動が早い。

アルハイゼンの言葉を思い出して、研究のためにじっとしているようだった。
その迂闊さが可愛らしくて、もう一度抱きしめてしまった。

それからのアルハイゼンの行動は迅速だった。

もともと蛍はアルハイゼンを信頼している節があったから、距離を詰めて、彼女が好感を持つように立ち回れば良い。

旅荷物の中の消耗品を気にかけてやって、なくなりそうな時にそれを補充すること。
蛍やパイモンが助かるだろうなと思って自然にやった、という態度をした。
疲れ切って帰ってきた日には作りたての食事を用意した。
蛍とパイモンがスメールシティを不在にする間、冒険者協会から届いた連絡を洞天まで届けた。

取るに足らない普通の日常。
そういうものの積み重ね。
安心して一緒にいられる人間だと思わせるために。
そんな、小さな優しさが自分の中にあることに内心感嘆しながら、顔にも態度にも出さずに。

「オイラはそういう思いやりが、愛情ってやつなんだと思う」

アルハイゼンとパイモンの二人でテーブルを囲んでいた時に、パイモンがそんなことを言った。
蛍は部屋で眠っている。
蛍が好むからと用意されたバスタブで湯に浸かり、疲れている身体のために消化に良い食事を用意されたからだ。

パイモンはそれを愛情と定義したけれど、アルハイゼンはそうは思わない。
パイモンのその考え方の方が、蛍への愛情に溢れている。
アルハイゼンがしているのは、蛍が自分を意識するようにするためのこと。
蛍が腕を枕にしたあの時から昼と夜が何度も過ぎている。
今では狙い通り、金色の瞳が、滲み出る熱を隠そうと必死になるようになっていた。
全ては掌の上だった。

蛍はアルハイゼンのことを、蛍を異性として見ていないと思っている。自分の身に危険が及ぶことなく恋を楽しめるような、安全な恋をしてるつもりなのだと。
腕の中からいつでもすり抜けられると思っている。
それは別に構わない。下心も欲もないように見せているのだから。

「そうか。……そうだな。同感だ」

言葉とは裏腹にまったく同意していないということは、パイモンにはよくわかった。
アルハイゼンは、蛍に対してやっていることを自分の為だと言いたいのだろう。
恋に落ちても、心の奥底では理性をきちんと沈めている。
献身とも取れる行動を、思いやりや愛情と定義してしまったら。蛍に見返りを求めてしまうと思っているのではないか。

好きな相手を困らせないように、重荷にならないように。
その想いを、愛情と言わないなら何と言うのか。

ムッとして、パイモンは小さな星座を描きながらアルハイゼンの目の前まで来た。

「忘れてるかもしれないけど、蛍はお前の恋人でも奥さんでもないんだからな!」
「………………」
「だから、いつまでも一緒にいられるわけじゃないんだ。まあオイラは蛍がお兄さんと会えた後も一緒だけど。ヒヒッ」

ルンルンと飛び回るパイモンから目を逸らし、アルハイゼンはいつも通り本を読み始める。

「そうやって意地張ったままでいたら、横取りされても文句言えないぞ」

無反応だった。
……ここまでかたくなだと、いい加減空中で地団駄を踏みたくなってくる。呆れた目を向けられそうなので我慢したが。

更に何か言ってやろうとして、パイモンは違和感を覚えた。
無言で大男をじっと見つめて、あっと声を上げそうになる。

アルハイゼンが、本を逆さまに持っていた。

パイモンが言ったことの何かが、そうさせてしまった。
だけど、本当のことを言っただけで衝撃を受けるなんて。

「お前にもペースがあるかもしれないけど、のんびりしてたら取られちゃうぞ。だって蛍はオイラの最高の相棒なんだからみんな好きになっちゃうんだ」

翡翠の目が、白い星を貫いた。
緑の虹彩と赤い瞳孔が、メラメラと燃えるように光っている。

「いいだろう、君に焚き付けられてやる。明日時間をくれないか」
「お前なぁ…。わかったよ。そういうことにしてやるし、フラれたら慰めてやるから感謝しろよ…」
「彼女は俺を愛しているから、その仮定は無意味だ」

この、自信と確信に満ちた態度からは、先ほどの奇行は気配もない。
フンと鼻まで鳴らして、アルハイゼンが席を立った。
パイモンも、蛍が眠る部屋を目指して同じ方向に飛んで行く。
蛍の枕元からシーツに潜り込んでいると、扉越しに重たい打撃音が聞こえた。

「フラれたらって言われたのを気にしてるのか…?まさかな…」

それは流石にないかとパイモンが目を閉じていた同時刻、アルハイゼンは壁に激突していた。
まるで、顔には出ないがしっかりと酔っている、酒場の客のようであった。


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