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『君ありて幸福』
(2023.4.23)
時間軸は前作の前。相変わらずの捏造設定込み。
テーマ:恋でバグってポンコツになるゼンと無自覚蛍ちゃんと苦労人パイモン
次回はポンコツに点火してしまった蛍ちゃんと開き直って追い込み始めるポンコツ。
全体を通して「筋肉で悲恋を粉砕する」が副題。



心地よい午後の、知恵の殿堂。
緑の教令院制服の横を純白が通り過ぎる。
少しだけ服がかすめて、白い少女が……蛍が小声で謝り、相手は大したことないと首を横に振った。
それに安心したように微笑んで、蛍はまた目的地を目指した。

蛍が腕に抱えているのは「プシュパの歌」という本、何枚かの紙。それから、厚みのある本。
各国の図書館や個人所蔵の本を手で書き写す。
言語の学習に良いとパイモンに言われて、習慣として続いているものだ。
辞書を引いて言葉を理解しながら、内容を噛み砕いていく。その作業を蛍は好いていた。
本に描かれたその国の文化、作者の好みや考え方を知っていくのが楽しい。蛍向きの勉強方法を教えられるパイモンは、本当に最高の相棒だと蛍は思う。

──そうして、全3巻あるうちの、第1巻を書き写し終える頃。

もともと第1巻は数日前から書き写していて、今日最後の章が終わるところだった。
聞き覚えのある声が聞こえて、蛍が顔を上げる。

それは、数人の学生に詰め寄られているアルハイゼンだった。

学生達が前のめりに話をしているので詰め寄られているように見えるが、当のアルハイゼンはいつも通りの平静さであったため、とくに問題があるようには思えなかった。
アルハイゼンは学生達に相槌を打つこともせず、黙々と歩いている。
不思議な色の瞳と目が合ってから、だんだん自分に近付いてきているのだと気が付いた。

「先程も言ったが、先約があるんだ」

広々とした机の上に、本と紙と辞書を広げる蛍。
蛍の隣の椅子に座って、アルハイゼンが淡々と言う。
彼女との約束があるので、学生達の要件を預かることが出来ないと。

そのまま蛍が置いていた本の一冊を手に取り、読み始めてしまったので、学生達は困ったように顔を見合わせた。

代理賢者の約束の相手は、スメールの英雄と呼ばれる金髪の旅人だった。
先の混乱の際、代理賢者と共に草神を救った者達のひとり。
草神が後ろ盾となり、寵愛する少女。
彼女を押し退けてまで自分達の用事を通してもらうのは難しそうだ。代理賢者も本を読み始めて、話を聞いてもらえそうにはない。

学生達が諦めて踵を返し、アルハイゼンも本を静かに閉じた。
そのまま蛍の手元を眺めてくる。

「君を理由に使ってしまったが、俺のことは気にしなくて構わない。続けてくれ」
「……そんなにじっくり見られたら落ち着かないよ」

俺のことは気にするなと言われても、自分の書きつけた紙を凝視されてしまえば気にせずにはいられない。

「さっきの人たち、よかったの?」

蛍の疑問に、アルハイゼンが顔をしかめた。
深い溜息を吐いて、語ったのはこうだ。
アルハイゼンが代理賢者になった後、これまで以上に業務が増えた。それだけではなく、退勤後に呼び止められたり家まで訪ねられたりすることも多くなった。

苛立った彼の様子に蛍は納得する。

これまでは、規則通りの様式ではないから、定時だからといった理由で煩わしいことを突っぱねることができていたのだろう。
しかし、草神救出後に教令院の上層部をほとんど入れ替えた今、代理賢者となったアルハイゼンに一点集中になりやすくなってしまった。
アルハイゼンの性格を考えれば、どんなに仕事が立て込もうと彼自身の体調に影響が出ないように調整しているとは想像できる。
家まで押しかけられたとしても脅威にはなり得ない。
それでも毎度毎度対応していたら嫌気もさすだろう。フィールドワーク帰りで泥だらけの学者まで来たと聞いては、同情してしまう。
何せアルハイゼンは、草神の救出に参加した理由も「穏やかな暮らしを乱されたくないため」だったほどのマイペースだ。
アルハイゼンが悠々自適とした生活を望む理由を蛍は知らなかったので、そんな人物なのだと捉えていた。

視覚的にはとくに変わりのないアルハイゼンを見上げて、蛍が言った。

「……提案があるんだけど…」

──道具と本を片付けて、蛍はアルハイゼンを伴って教令院を出た。
周囲に誰もいないことを確認して、アルハイゼンの手に触れても構わないか尋ねる。
蛍がやりたい事を教えていたので、アルハイゼンは拒まなかった。
アルハイゼンよりもずっと小さな手が、ぽんっと軽く音を立てて重ねられる。

「これでよし」

頷いて、蛍は両手の上に乗る大きさの壺を用意した。

蛍の提案はこうだった。

ごちゃごちゃとしたことに煩わされる代理賢者様に、他の人に邪魔されずゆっくりできて、自分の好きな時に出入りできる場所を提供してもいいが、どう思うか?

それが蛍の言葉通りの場所なら、アルハイゼンにとって大変魅力的である。
メリットしかないので、当然、疑問を口にした。
そこは蛍や、同行者であるパイモンにとっての安全地帯ではないだろうか。
家族でもない赤の他人の、しかも成人した男性を出入りさせるのはいささか危機意識に欠けるのではないかと。

対する蛍の答えは「問題に思うところがない」だった。
アルハイゼンが蛍に危害を加えるとは思えないし、性格的にも荒らして何かを壊したりしないだろうし、家主の言うルールにだってきちんと従ってくれると思っている。だから問題はないというのが蛍の考えだった。

アルハイゼンは「家主の言うルール」のところでしみじみと頷き、それならばと頷いた。

そうして、ゆらゆらと揺れる風景が落ち着いた頃。

蛍とアルハイゼンの前には、空にまで届く巨大な花と、家屋を包み込むように生えた大樹があった。
璃月の仙人から授かったという塵歌壺、その中に広がる空間。
マルに声をかけ、蛍はさっそく屋内を案内し始めた。

台所、浴室、蛍とパイモンのそれぞれの部屋など基本的な場所を教えて、本命の「図書室」にやって来た。

その部屋は蛍がこれまで収集した書籍の写本や、散らばった本のページを揃えて綴じて本の体裁にしているものを集めた部屋だった。
アルハイゼンに安全地帯を提供する代わりに蛍が求めたのは、蛍が集めてきた本の校正や校閲作業である。

蛍はこれまで、辞書や参考資料を使って、なるべく正確に意味を理解しながら写本を作っているものの、それが本当に正しいのかはわからなかった。専門的な内容となると、パイモンの知識にも限界がある。
趣味に留まる範囲で集めた物ではあるが、せっかくなのでより正確さを高めるのもいい。

私達だけの秘密と言われた淵下宮関連の資料以外はこの図書室に置いてある。他の人が興味を持つと説明が大変なので、それだけはあらかじめ寝室に隠してあった。

「夕ご飯が出来たら声をかけるね」
「わかった」

ソファの上で一冊の本を開いたアルハイゼンが、顔を上げることもせずに返事をする。
家主のルールに従うつもりはあるようなので、蛍は気にせず扉を閉めて図書室を出た。
パイモンに、洞天にアルハイゼンを招くことをまだ言っていない。
アルハイゼンを案内していた際に寄った部屋にはいなかったので、屋外にいるのだろう。

──その時は、そんな利害関係が始まっただけだった。


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