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『アビヤッドの福音』
(2023.5.14)
前作の続き。
恋をしたことで自分は弱くなってしまったと思う蛍ちゃんと、蛍ちゃんの方から「巻き込んだ」と思わせて退路を絶つゼンの話。
筋肉で悲恋を粉砕するシリーズ。

2ページ目は1作目の前日譚的位置です。
次からはゼンと嫁の蛍ちゃんの話になります。



想いを通じ合わせた後も、いつもと同じように時計の針が進んでいった。
星が輝く時間帯。蛍もアルハイゼンも、就寝するにはまだ少し早いくらいの夜。
まだ話したいからと言って、アルハイゼンは蛍を引き止めた。

いつもなら入浴後の心地よい体温で眠くなる頃。

だが、蛍の眠気はどこかへ旅立っていた。
アルハイゼンは蛍と並んで座って、蛍を抱きしめている。
時折こめかみに唇が触れたり、うなじにかかる髪を撫でてきたり。言葉はなかった。
されるがままの蛍は、触れられるたびに肩をわずかに震わせて、他に反応を返す余裕もない。

異性がこんなに近くにいて、抱きしめられていて、しかも好き合った人同士。
いつも着ている寝巻きの薄さや、剥き出しの肩や首元が、今日はどうしてか気恥ずかしい。

頬をくすぐるようにアルハイゼンの指が触れてきたことにすら、頬が染まってしまう。
そのまま滑るように移動した指が、蛍の顎を優しく持ち上げた。
琥珀の瞳に、自分への慕情を隠さない男の姿が映り込んだ。

「あ…」

吐息と共にこぼれた蛍の声は続かない。
目が合って、鼻先が触れ合って、唇がくっつく。
僅かな隙間から入ってきた舌があっという間に絡まった。
蛍の後頭部を支える手が頭を仰向かせて、抱きしめる腕が背中から腰に下りていく。
それに抗わずにいれば、ゆっくりと優しく寝台に沈められた。
いつ終わるのか、どうやって終わらせるのか、何もわからないから、蛍はどうすることもできない。
でも、酷いことにはならないだろうという信頼がある。身を任せても大丈夫だと思っている。

唇が離れた後、アルハイゼンが無言で蛍を抱きしめてきた。乱れた呼吸を落ち着かせてなだめるように。
鍛え抜かれた身体の重みを感じることでさえ、蛍の鼓動を早くさせる。
いちいち意識してしまうのもどうすればいいのだろうか。

触れられるだけで頭が真っ白になる。
見つめられると言葉が出てこなくなる。
この人が私を好きだと伝えてくれるように、私も同じことを返したいのに。

アルハイゼンと目が合う。
慌てて目を閉じれば、今度は触れるだけのキスを一度だけ。
恥じらいで蛍の頬はますます赤らんだ。
ふ、とまなじりを緩めたアルハイゼンが、蛍の耳に口付ける。
そのままそこで声を吹き込むようにささやいた。

「明日、クラクサナリデビ様に一緒に会いに行きたい」
「ナヒーダに?」

くすぐったさで身をよじる蛍を抱きしめて捕まえ、アルハイゼンが話し始めた。
これは俺の祖母が君と同じくらいの歳だった時代の話だが……と。

アルハイゼンの祖母の、十代の頃の話。
当時のスメールに生まれ育った女性達の間で流行っていたこと。
少女達のうっとりとした声で語られた古い文化。

むかしむかし、まだクラクサナリデビ様が全盛期の力を持っていた頃。スメール人の結婚はクラクサナリデビ様の立ち会いのもとおこなわれた。
お小さくなられた草神様が教令院に軟禁され、スメールの民と引き離されてからは、徐々に廃れていってしまった。
……というものを、アルハイゼンと蛍で執り行いたいと言っている。

「これからも君と一緒にいたい。それを当たり前にしたい。君も同じことを思ってくれていたら、俺はこの世界の誰よりも果報者だ」

ほぼ毎日食事の席を共にし、共同で使う食料品や日常での消耗品を相談して買って、家までの帰り道を共に帰る。それは、第三者から見れば恋人や夫婦のように見えるだろう。
それに、想いを告げる前からアルハイゼンは蛍を恋人のように扱っていた。
蛍だけが「彼は自分のことを異性として見ていない。だから、何かあるわけがない」と思っていただけで。
アルハイゼンが、蛍が寄せる信頼のために隠してきてくれたから。

蛍の口が開いたり、閉じたりする。脳は言葉を言わないといけないとわかっているのに、音にならない空気がはくはくと出ていくだけ。

「あなたが私を、お嫁さんにしたいって思ってくれて嬉しい…。あなたの将来に私がいていいって言ってくれるのも…」

頬を撫でる手に、手を重ねる。少し、落ち着いた。
まず頭をよぎるのは兄のこと。
理由はまだわからないが、蛍は空と違って世界樹に記録されない。
テイワットを出て行った瞬間にこの世界から蛍という存在は抹消されるだろう。あるいは、別の誰かに置き換えられるか。

今うなずいて、この人の人生を縛りたくない。もう少し時間を……。

……その時間は、どれだけある?

未知数のことの方が多いから、もしかしたら次の瞬間にも関係性が消えたっておかしくはないのに。
蛍を想う心が、最初から何もなかったみたいになる。
蛍は覚えているのに。

「や、やだ」

好きな人の幸せを願える人間でありたかった。
口から出たのは正反対の想いだった。
そのまま、ぶちまけてしまった。
世界樹と蛍自身のことだけについて。全部全部、自分の胸のうちにしまっておくつもりだったのに。

「私じゃない人のこと、好きにならないで……」

アルハイゼンが蛍に選択をゆだねるから。
蛍の話を聞いて、何も言わずに抱きしめて、優しく髪や頬に触れてくるから。

──だって、好きになってもらえるなんて思っていなかった!

「好き。あなたが好き。あなただけなの」

声が震えて、蛍は顔を両手で覆い隠す。
自分の気持ちばかりを押し付けていることに嫌気が差して、いとしい人を見つめることに耐えられなくなってしまったから。
ほとんど半狂乱に近い蛍の話を、アルハイゼンは黙って聞いていた。
世界樹と蛍のこと、蛍がアルハイゼンをどう思っているかということ。蛍が、ずっと思い悩んでいたことを。

「俺も君のことが好きだから、君でないとダメだ。君でなければ嫌だよ」

アルハイゼンが、蛍の手を退けようとする。掴んだ拍子に蛍の手首を痛めたりしないように注意して、蛍がまた顔を隠せないように。
目を見ながら伝えたかった。正しく想いが伝わるようにするために。
指を指の間に通して、しっかり握り込む。
右手も左手もそうやって捕まえてしまえば、ようやく向き合うことができた。

「約束する。この世界に残ったことを後悔させたりしない。世界に、君を消させもしない」

言葉は力強かったが、アルハイゼンの表情は苦しげだった。
彼の智慧をもってしても、彼女を世界に留めておける絶対の方法が今はないからだ。
蛍に安心も、何の保証もあげられない。──それが、不甲斐なかった。

潤んでいた琥珀色が揺れて、蛍が微笑む。
蛍はアルハイゼンがその言葉をくれただけで、もう十分だった。
彼の性格を考えるなら、未知のことが多すぎて、実現方法があるのかもわからないことをやってみせると口にするのは、蛍に対して無責任だと思っているのかもしれない。
これからも蛍と一緒にいたいという気持ちは、考えるよりに先に出てしまったのだろう。
理性的になれなくなるほど、そう思ってくれている。

「ありがとう、アルハイゼン。好きだよ。大好き…」
「そうだ。君が愛しているのは俺だ。だから、他の人間との可能性は考えなくていいんだ」

だから、つい泣いてしまうくらい嬉しかった。
好き、好き、と繰り返す。蛍がうわごとのようにそう言う間、アルハイゼンは蛍に口付けていた。そうやって、慰めてあげていた。
涙声が、落ち着きを取り戻した溜息に変わるまで。

「誓いを交わさずとも俺の気持ちは変わったりしない。……それを、よく覚えておくように」

アルハイゼンからしおれた様子が消えている。思い悩む時間は終わったらしい。
蛍のことで落ち込んでいたはずなのに。

彼の中で理屈が成り立つ速さは、時に他の人を置いて行きがちだ。

だけど、アルハイゼンらしい。

くすりと笑った蛍の頬に、アルハイゼンの頬が触れる。
寝台と背中の間に腕を通されて、胸がくっついて、隙間もないほど抱きしめられた。

蛍がどぎまぎしていると、不意に、耳の後ろに口付けられる。
そのまま強く吸い付いてきたので、思わず声を上げてしまった。

「くすぐったい…」

逃れようとしても、アルハイゼンの腕の中でわずかに動けるだけだった。
逃げられるわけがない。身長差も体格差もある身体が覆い被さっているのだから。

小動物がじゃれあう感覚で、蛍はきゃらきゃらと笑う。
アルハイゼンもこうやってふざけたりする人だったんだと、新鮮な驚きが楽しい。

「も、もうダメ…アルハイゼン、くすぐったいてば…っ」
「蛍」

名前を呼ばれて、蛍は固まってしまう。
蛍の名前を呼ぶ、その声が。今まで聞いたことのないものだったから。
熱で浮かされたような目も初めて見たと思う。

蛍の寝巻きの肩紐を滑り落とす手が、言葉なく教えていた。
じゃれあいとして許されるのは、もう終わりだということを。

アルハイゼンは、蛍のことがずっとずっと欲しかったのだ。
蛍のために辛抱強く待っていてくれただけで。燻って燻って、いつ弾け飛んでもおかしくなった。それを強い自制心で隠しきっていた。
だから、蛍のことを手離すなんて発想になるはずがない。
蛍はそれを理解させられる。
朝の日差しがやってきて、アルハイゼンの腕を枕に目覚めるまで。


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