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『娘と雨林の昼』
ティナリ先生と授業参観。
治療系スキルについて捏造設定あります。



つやつやと光る毛並み。
草地に座り、足の上に帳面を乗せて書き付けている人影がひとり。
時折ぴくりと動く耳は、後方からの軽い足音を捉えていた。

「だーれだっ」

首の後ろにどんっと衝撃が来て、手書きの地図とポイントごとに書いたメモが見えなくなる。
ただ、手が小さいので目元を覆いきれていない。
後ろに来た重みに手を添える。
しっかりと持ち上げれば、小さな腕が肩に乗り上げた。

「誰だろう?わからないなあ」
「わからない?むずかしい?」

考えを巡らせるように視界を他所に向けると、斜面の下にパイモンとアルハイゼンがいるのが見えた。

「うーん、難しいな。聞いたことがない声だから…」
「ええーっ!?」

肩にのしっと乗っかり、重みがティナリの懐に滑り落ちてくる。
むくっと起き上がった子供は頬を膨らませて見上げてきた。

「ティナリくんこんにちはっ。本当にわからなかったの?」
「うん、こんにちは。違ってたら恥ずかしいだろ?かっこ悪いじゃないか」
「まちがっても恥ずかしくないよって言ってたのに」
「…ああ、すっかり忘れてたよ。君は本当にしっかりしているね」

もちもちすべすべの頬をツンツンとつつくと、ぷしゅうと空気が抜けていく。
拗ねていたフリをやめて、子供はティナリの足から降りた。
身を翻し、横をすり抜けて、屈んでいた蛍に駆け寄る。
子供をティナリに乗せた時のままだった蛍が、立ち上がって子供と手を繋いだ。

「この子のお願いを聞いてくれてありがとう、ティナリ」
「ありがとうございまあす」
「忙しかったら最初から断ってるよ。気にしないで。コレイに色々任せられるようになったから融通が効くんだ」

話しながら向かった昼下がりのガンダルヴァー村は、のどかな空気が流れている。子供がリスを追いかけるのをパイモンが飛んでそばに行ったり、道具の手入れをしているレンジャーに挨拶しながら歩いて行った。


ティナリの家の家具の位置は、もうすっかり四人に覚えられてしまっている。
隅に重ねられた椅子を持ち出して、蛍とアルハイゼンは隣り合って座った。
パイモンも専用の椅子があるのでそこに座って、搾りたての果汁ジュースを飲んでいる。

ティナリがアルハイゼンと蛍の子供に勉強を教えるようになってから、彼の家にはテーブルがひとつ、椅子がいくつか増えた。
木目が美しいテーブルには、アランナラの絵が天板全体に何人も描かれている。側面には手荷物を引っかけられるようになってあり、小さな引き出しもくっついていた。
テーブルもお揃いの椅子も、小さな女の子が使うのに合わせて設計されている。
これらは、ああでもないこうでもないと言いながら木材を見比べていた、とある客員教授が案を作ったものだ。

「シュナくん待っててねぇ」
「はい、お預かりします。いってらっしゃい」
「んふんふふ」

ぬいぐるみを預かって、蛍が子供の髪をさらさらと触る。抱きつくと優しく抱きしめ返されて、子供は口元をむずむず動かした。
この後、ティナリと子供の一対一の勉強の時間となる。そのため他のみんなは各々で他のことをしているが、今日は揃って同じ部屋にいた。

ティナリの授業は、シティのアルハイゼンの家か洞天の邸宅でおこなわれる。
いつもならティナリと一緒にコレイもいるが、今はいない。
雨林の巡回の他に、雨林の定期観察報告の為の日々の調査といったレンジャーの業務を、複数のチームで本日実施しているからだ。
そのチームのうちの一つを、コレイが率いている。
今日のティナリは、レンジャー長としてそれらの報告を受けるのが仕事だ。
自分が教え導いてきたレンジャー達に「ある程度の裁量をもっと持たせてみよう」と思い立ち、試験的に始めたことだった。

「でもアイシェ、いいの?今日はみんな一緒なんだから、勉強を休んでよかったのに」
「ううん。やりたいの」

訪れて早々、チラチラと母親を見る子供の様子に、ティナリは全てを察した。

最近、本だけではなく実際のレンジャーの仕事を質問してくるようになったこと。
包帯の巻き方を教わって練習していたこと。
不在が続いていて、やっと一緒にゆっくり出来るのに母を連れて来たがっていたこと。
推測した仮説が合っているとしたら、可愛い生徒の願い事を叶えるために協力が出来る。

「それじゃあ前回の復習をしようか」
「はい、ティナリ先生。よろしくおねがいします」

子供が椅子に座る足をきちんと揃え直す。
大人びた言葉遣いをするのが可愛らしくて、蛍が目を細めた。
隣にそっと寄りかかると、アルハイゼンの手が蛍の頭を軽く撫でる。
その手を取り、蛍は自分の肩の上に乗せてにっこりした。

「傷の応急処置において着目することはなんだった?」
「傷口を水で洗い流して、異物を取りのぞくこと。清潔な布を当てて、あっぱくして止血すること。でも強くしすぎると血液の流れをさまたげるので、強すぎてもダメです」
「うん。その通りだ。とくにスメールは高温多湿だから、傷を清潔に保つのが大事だったね」

ティナリが薄い冊子をテーブルに置く。
表紙にはアムリタ学院を示すマークが描かれていた。
状態からすると新しい論文をまとめたもののようで、幼い子供が読むには向いていないように思える。
でも、そういった論文や図鑑、百科事典を絵本と並べて読み聞かせしてもらっているおかげで、子供は幼いながらも豊富な知識を得ていた。

「元素を用いた治療法があるけど、神の目の所持者達はどのようにして傷を回復させているかわかる?注意点はあったりするのかな?」
「元素で細胞や血液にはたらきかけて、細胞の増殖を促進させるもの、血小板の働きをカッセイカさせるものがあります」

子供は時折、むむ、と難しそうな表情を浮かべながらもティナリの質問に答えている。耳慣れない単語の発音がやりにくそうにしている以外は問題ないようだ。
少しだけ緊張した表情は、母親が図書館で難しい本を手に取った時とよく似ていた。

「……でも、血小板が増えすぎるとけっせんが出来やすくなったり、血管をつまらせてしまうことがあります。ヒフの過剰な増殖は、しん……シン…チンタイシャを早めすぎたことによってハクリを発生させてしまうのでよくないです」

ハラハラしていたパイモンは、子供が言葉に詰まった後に持ち直したのでホッと息を吐いた。
蛍とアルハイゼンが家を不在にしていた間、パイモンと子供は本と辞書を並べてにらめっこしていた。言葉の意味を確認して、文章の内容を理解しながら覚えた。
こうして、ティナリの授業できちんと答えているのを見てもらうために。

ティナリは他にも、傷病者へ実際におこなう処置やその後の対応について質問する。
それはレンジャーにとっても必要な知識で、子供に教えていた時にコレイがメモを取っていた。既に教えていたことも改めて復習する意欲的なところは、子供もよく真似をしている。

「よし。ここまでにしよう」

うりうりうりと子供の頭を撫でて、ティナリが満面の笑顔になった。
老若男女すべて平等に、必要な時にはキツい言葉をかけるレンジャー長の面影はどこにもない。
痛くならないように優しく子供を抱き上げ、安全に配慮しながらぐるっと回すと、子供をそっと床に降ろす。ずっと笑顔のままで。

「君は飲み込みが早いから根気良く教えた甲斐があるよ。大きくなったら生論派に来てもらいたいな」
「うちの娘は習熟に時間がかかる言語学習に適性があるようだから、知論派に向いているだろう」

ティナリとアルハイゼンの間に、一瞬だけ火花が散った。
子供が興味を持っているのは生論派の専門分野に入る事柄であるし、難解な語学の勉強も楽しんでやっている。
年齢の割に多い知識量はアルハイゼンに似たからとも言われるし、子供本人の才能と努力でもある。
子供の父は、職場でも酒の席でもそれをよく話していた。

次々と褒められて、子供が自分のほっぺたに手を当てる。
無言で椅子を降りると、一目散に母の膝に飛びついた。

「難しいことを知っているのすごいね。たくさん勉強したんだ?頑張り屋さんでえらいね」
「大変じゃなかったです!全部楽しい!」
「ふふ。それがすごいんだよ」

子供が可愛くて可愛くて、蛍は子供をぎゅっと抱きしめる。
見栄を張っているわけではなく、子供が知識を得ることを心から楽しんでいるのが伝わってくる。
金色の瞳が、興味深い本や遺跡群を見た時のアルハイゼンの目の輝き方と似ていた。

「勉強だけじゃないぞ。レンジャーの人が木にぶつかっておでこにたんこぶを作ったのを、ティナリが教えてくれたやり方で冷やしてやったんだ」
「知識もあって状況に合わせた対応も出来てるみたいだし、今後君達の仕事に連れて行くのに支障はなさそうだと思う」

蛍とアルハイゼンが口を開こうとしたのを、ティナリが手で「待った」をかけた。

父母が言おうとしたことはわかっている。
知識があり、技量も努力して身に付けていて、ティナリが大丈夫だと判断していても、子供は子供だ。
教令院の入学資格に足る歳にすらなっていない。
年齢の割に落ち着いていて賢くても、魔物がいる街の外に長時間連れて行くには幼すぎる。

街の中はいい。子供は生まれる前から知られていて、巡回中の三十人団でさえも子供の様子の変化に気付くくらい認知されている。危害を加えたくてもほぼ不可能な環境だ。
一方、子供を連れて街と外部の場所とを行き来する時は、神像や不思議なオブジェを使っている。安全地帯から安全地帯への移動にするために。絶対に万が一がないように。

「街の外の危険を実際に見せながら教えてみたら?自立型元素人形のメンテナンスもファルザン先輩がマメにしてくれているし、安全な場所にいてくれるようにすればいい」

子供にいつも持たせている、綿の詰まったぬいぐるみ。
ワルカシュナを模したぬいぐるみは、魔物からの敵意を感じ取ると戦闘モードへと移行する。
ティナリが性能試験に同行した際、どうせなら強い魔物で試そうということになり、遺跡重機を起動させた。
そして、子供より小さなぬいぐるみが遺跡重機の足を真っ先に粉砕していたことを思い出す。
足を刈って即座に目を潰していたので、ぬいぐるみの中身を調整したファルザンは大満足していた。
危険排除能力の最適化は、素論派が取りまとめている魔物の生態記録を可能な限りコアに記憶させたことにより可能とした。

「次の仕事の内容にもよるけど、この子と一緒に街の外に遠出する可能性がこの先ないとは言い切れないもんね」
「好奇心を募らせて一人で外に出ていくことがあったら、そちらの方がまずいか…」

子供の父母は、しばらく考えて納得がいく結論を出した。
子供が大事にされていることは、彼らをよく知る人もそうでない人にもわかる。
ていねいに梳られた髪。ぴかぴかの髪留め。くたびれたところが何一つない衣服。あちこち歩き回るので減るのが早いが、しっかりとした作りで丈夫な靴。
幼子特有のふっくらした頬はいつもみずみずしく、幸福だけしか知らないかのよう。

蛍は子供を膝に乗せ、しっかりと抱きしめて、小さな頭を撫でて顔を寄せている。
アルハイゼンは蛍の肩を抱いて自分の体に引き寄せながら、もう片方の手で子供の頬をくすぐっている。

「パイモンこっちきて」

子供は何も気にせず、パイモンを呼んで手を繋いだり遊び始めた。
愛されて大事にされるのが当たり前だから、好きなことを好きなだけやっている。

……あんなにおとなしかった赤ちゃんが、随分のびのびと育った。

好奇心旺盛で、たくさん笑ってたくさん泣いて、活発であるが大騒ぎはしない。まだまだ幼いのに良い子だから、親も周りも甘やかしてやりたくなるのだろう。

四年前、「我儘に育って他人様に迷惑をかけてはならないので、甘くしすぎないようにしたい」とアルハイゼンが言ったことがあった。
子供が生まれた後、身体が回復した蛍は兄を探す旅を再開した。そのため、アルハイゼンの方が子供と過ごす時間が長くなった。
乳離れもまだな乳児を寝かしつけながら、彼はそんなことを言っていた。

「やっていいこととダメなことの判断がつくように育てれば大丈夫でしょ」

気が早いよと肩を叩いたのが懐かしい。
甘くして良い子に育ったのなら、それで正しかったとティナリは思う。

「ねえっ」

蛍、パイモン、アルハイゼンの三人は今後の外出や街の外に出る用事、冒険者協会と教令院からの仕事について話している。
ティナリも雨林の定期調査報告をアルハイゼンと共同で取りまとめているので、後で話したいことがある。

客人達の話がまとまるまでのんびり待とうとしていると、ティナリの腕がちょいちょいと引っ張られた。

子供が母の腕からすり抜けて、こっそり近寄ってきたらしい。
目が合うと体をよじ登ろうとするので、ティナリは子供の足の下に手をやったり屈んだりして助けてやる。

「パイモンみたいにお父さまとお母さまについていけるように、がんばってたってなんでわかったの?わたしとパイモンだけの作戦だったのに」

首に抱きついてささやいてきた子供は、そのままティナリの耳をふわふわと触ってきた。
触ってもいいか聞いてからにするんだよ、と母に教えられたはずなのだけど。

「僕が君の先生だからだよ。君のことはなんだってお見通しさ」

内緒話を返されて、金色の瞳がキラキラと輝いた。

他の人には許可を取らずに触ってはいけない、と注意するのは後でもいい。
子供に耳を触れられるのは嫌ではないし、何回触っても構わない。可愛いから、どうしたって甘くなる。
子供がもっと親と一緒にいたいと願っているなら、それを叶えるために手を貸すのは普通のことだった。

世界中の幸福を集めても、この笑顔にはまだ足りない。


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